32. 二人の距離

 しばらくの間眞文と麗華の二人とゆっくり話をし、自分が寝た後どうしてほしいか伝え終えた結人は、再び夢の世界に旅立っていた。彼の眼鏡をはずした顔を見る機会が少ない二人は、その寝顔につい視線を向けてしまう。先ほどまでの苦しい表情はなく、スヤスヤと規則正しい寝息を立てている結人はどこか幸せそうにも見えた。


 とはいえ、そろいもそろって静かに寝顔を眺めているのもおかしい。いつもよりおとなしいように感じる親友がしゃべらないので、眞文は自分から話を始めることになった。


 「結人くん、また寝ちゃったね」


 「うん、空腹満たして薬飲んだから必然といえば必然かもしれないけど」


 「そうだね。あ、そういえば、結人くんからお昼ご飯代貰ったけどどうする?」


 お金に関してきっちりしている結人から、いろいろと買ってきたものの代金にプラスしてお礼に昼食代を貰った二人。最初は同じ大学生なので遠慮しようとしたが、昨日のバイトで稼いでいることは封筒を見れば分かる。それに加え、病人自らがお礼をしたいと強く言っていたため有難く頂戴することとなった。


 「今封筒に返しても後でなんか言われそうだし、有難くいただくとして……近くにいい感じのお店あったかな?」


 「うーん、よく分からない……。そうだ、時間もあるし、麗華ちゃんのバイト先周辺でもいいかも。お昼からバイトなんだよね?」


 あまり馴染みがあるとはいえない土地でお店を探すのはめんどくさい。そう二人が思い始めたところで、眞文が時計の指す針を見て名案を思い付いた。すっかりバイトのことが頭から抜けかけていた麗華もそれに同意する。


 「それいい! あれ、でもまふまふも午後から家の手伝いって言ってなかったっけ」


 だが自分の予定を思い出すとともに、もう一つ思い出したことがあった。この後の眞文の予定である。


 「えっと、そのはずだったんだけど、結人くんのお見舞い行くって言ったらお母さんが今日はいいって……」


 照れと困りが混ざった表情でそう告げた親友があまりに可愛くて、麗華は目の前の可愛い生き物を抱きしめたくなった。だが男の部屋でイチャイチャするのも気が引けるため、強い精神で我慢して会話に集中する。


 「つまり、つきっきりで看病しなさいってこと?」


 「……たぶん」


 「じゃあお昼食べたら戻ってくるんだ」


 「うん……。一人で大丈夫か分からないけど」


 まだそんなことを言っているのかと、麗華は少々呆れてしまう。だがそういうところが眞文らしいのであり、愛らしい点なのだ。結人を思うもう一人の少女について考えると、あまり悠長にしている時間はないかもしれないが、焦って何か決定的なミスをするのも怖い。たださえ恋愛に対して逃避気味の結人である。必要な段階を飛ばして過去のトラウマをぶち抜いてしまったときには目も当てられない。


 だから彼女は、今言えることだけをきちんと恋する親友に伝えた。


 「まあダメそうなら帰ればいいじゃん。でも、後悔だけはしちゃダメだからね」


 「うん! いつもありがと、麗華ちゃん」


 「よし、じゃあ昼ご飯にレッツゴー!」


 お腹がすいているのだろうか、麗華はさっさと準備を終えて部屋を出ていこうとする。眞文はそれを少しおかしいなと思いつつ、思い人の寝顔に視線を向けた。心の中で「いってくるね」と呟き、良い夢をと祈ってから麗華を追いかける。


 「鍵をかけて……よし」


 きちんと戸締りを確認し、結人の安全を確保。このまま帰るなら鍵は外から掛けて郵便受けから中に入れておいてほしいと言われたが、眞文が戻ってくるので一旦預かることにする。


 「まふまふ少しドジなとこあるし、なくさないようにね!」


 「……うん、気を付ける」


 今まで大切なものをなくしたことはないものの、昔から麗華には助けてもらってばかりという自覚がある眞文は少々緊張しながら鍵を見つめ、それを愛用しているカバンのしっかりしたポケットに入れた。


 逆効果だったかも……と多少申し訳ない気持ちになった麗華だが、親友の様子を見る限り大丈夫そうなのでこれ以上緊張させないように一つ提案をしながら歩みを進める。


 「バイト先の近くにオムライスが有名な定食屋あるから、そこ行こっか!」


 「うん!」


 病人におかゆを食べさせておいて自分たちは優雅に外食、というのは二人としても申し訳ない気持ちがあったが、結人がそれを気にする人間ではないと分かっているし、気を遣うところとしては間違っているような気もした。だからこそ気にせず楽しむべきだと、駅へと向かう二人に迷いはない。


 軽やかな足取りで進む二人の乙女。いつも通りの関係をわずかに歪ませている小さな違和感はまだ認識できるレベルに達していないのかもしれない。或いは気づいていながら言い出せないのか、気づかれないように抑えているのか。


 太陽が高く上がっているせいか、二人の影の間にはいつもより距離が空いているかのように見える。地面の熱による蜃気楼が、その黒影を揺らしていた。



 選択のときは、至るところに迫っているのかもしれない。それがいつになるかは各々の行動次第だろう。ことあるごとに迫ってくる選択の先を、この二人はもちろん誰も知りはしない。


―――――――――――――――――――――――――


 太陽が高くなるのに伴って上昇する気温と紫外線の強度に肌がひりひりと焼かれる。熱を反射するコンクリートが、足元からも身を焦がさんと躍起になっているようだ。


 「……やっぱり日本の夏はあっちと違うな」


 一人の青年が空港を出て呟いた。その声は楽し気に弾んでいて、久しぶりに再会する友人との邂逅を待ちわびているようだった。


 「さて、どんな大学生活を送ってるんだろうな、アイツ」


 楽しみでありながら多少の心配もあるという複雑な思いを、彼の表情はしっかりと映し出している。感情を表に出さず生きている彼の人生にも例外があった。唯一無二の友人がそれだ。


 お互いのために距離を取った親友のことを考え、青年は頭上の太陽に負けない熱量をもった眼差しで歩き出す。


 偶然か必然か。運命を廻すもう一つの歯車が徐々に、けれど確かに動き始めたのだった。

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