20. サインと連絡先

 イベントステージは盛況のうちに終了し、集まっていたファンは各々の感想を口にしながら施設内に散っていった。大勢の人から注目されて少々精神的に疲れていた俺は、その様子をボーっと見ながら休憩している。とはいえ、この後予定外の呼び出しをくらっているため、いつまでもここでじっとはしていられない。


 「はぁ……」


「四条くーん! ちょっとまって!」


 気は進まないものの、キャストの控室に向かおうと馴染んできた着ぐるみの重みを感じながら立ち上がったところで、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。声は徐々に近づいてきており、振り返るとその相手は目の前まで到着していた。


 「あれ、笹川さん?」


 「はぁ、はぁ……。これから、控室いくんだよね!?」


 ダッシュでここまで来たのか、息を切らしている笹川さん。先ほどとは違ってパーカーを羽織っているものの肌の露出は多く、その息遣いもあってどこかエロく見えてしまうのは男の性だと思うので許してほしい。とはいえ、今の心情を口や表情に出せば俺の人生が終わりかねないため、冷静さを取り繕って返事をした。


 「え、まあそうだけど」


 「みんなのサイン貰ってきてください!」


 ラストステージの付近にいた俺のところまでダッシュで来るには時間が経ちすぎていると思ったら、その手に持っているサイン色紙を更衣室まで取りに行っていたということか。疲れているためか彼女にいつもの鋭さはなく、俺の邪な視線に気づかないでくれたことは幸運としかいえない。だがそこで俺は一つの重大な事実に気が付いた。


 「……それくらいいいけど、それよりもこの人混みでふみちゃん置いてきたのか?」


 ふみちゃんは極度の人見知りで、人の多いところも苦手なのである。今回は親友の誘いで一人ではないということもあるが、何よりもそんな自分を変えるための訓練をしたいと考えてイベントに参加したらしい。


 心配性の俺としては、そんな彼女を現状で一人きりにするのは得策ではないと思ってしまう。あれだけ可愛い女性が一人でいたら男に絡まれるかもしれないし、おとなしく人見知りな彼女は抵抗できないという可能性もあるのだから。


 「待ち合わせしてるし、すぐに合流するからだいじょーぶだって! それじゃ、サイン貰ったらさっきのお店の近くに来てね!」


 同様の危険性は俺よりも幼馴染の笹川さんの方がよく分かっているのだろう。自分のことが済んで即座にふみちゃんのもとへと駆け出したことがその証拠だ。


 とはいえ、ここから先ほどの店まではそれなりに距離がある。イベントが終わって一般の客も入場できるようになり、不埒な輩がナンパをしに訪れているかもしれないため、俺は二人が早く合流することを願った。笹川さんならたいていの男は上手くかわせるはずだし、ふみちゃんのことを守ってくれるだろう。


 「元気だよな、ホント」


 遠ざかっていく美しい後姿を見ていると、そんな呟きが零れた。


 「よし、サイン貰ってさっさと戻ろう」


 人というのは目的がはっきりしていた方が気持ち的に楽なのだと思う。先ほどまで、何のためにあのアホのところに行くのか分からず足が重たかった俺が、サインを貰うというミッションを得たことでそれなりにやる気を出しているのだから。


 綺麗な女性に頼まれたからだろ? という質問に対しては黙秘権を行使させて頂こう。




 先ほどのステージはスタッフもほぼ全員が見ていたため、俺はスタッフ陣に案内されて容易にキャスト控室へとたどり着くことができた。念のため頭の部分は外して本人確認をしたが、この着ぐるみを入手して潜入する策を実践する輩などいないだろうとは思う。そんなことを考えつつ、俺は再度パンダの頭部を装備して控室の扉をノックした。


 どうしてまた被ったのかって?可能なら素顔は見せたくないし、最初から外すのは負けた気がするからに決まっている。


 「失礼します」


 室内から「どうぞー」と陽気な返事があったため、俺はさっさと話を終わらせる覚悟で少々重たい足を前に踏み出した。


 「おっ、やっと来たね。パンダくん」


 「呼び出しておいてその態度は失礼だろ」


 相変わらず軽いノリで俺をパンダくんと呼ぶアホを、常識人のお兄さんが注意している。なんやかんやでこの二人は良いコンビなのだろうと、雰囲気から察することができた。室内には他に二名の男性キャストさんがいるのだが、彼らはこのコンビのやり取りを微笑ましく眺めている。事前に調べたところによると、俺と年の近いコンビの二人よりも少々年上の先輩のようなので、後輩たちを少し離れて見守っているのだろう。


 あなたたちが助けてくれればこうはならなかった、という意味のない文句を胸の内にしまい、俺はアホの出方を探る。


 「もー、そんな気にすることじゃないって。あ、パンダくんはとりあえず顔出してそこ座ってー」


 「……はい」


 さらっと顔を出せと言ってきたことにはもう驚かないし、アホなんじゃないかとは思わない。こいつはアホだ。


 表情が見えない状態をいいことに、失礼だと思うこともなく白けた視線を送りつつ、指定された椅子に腰かける。パンダの頭部を外さないことも考えたが、無理やりはぎ取られるくらいなら自分で取った方がマシだ。芸能人はファンの顔なんてそれほど気にしてみないだろうし、今後会うこともないであろう俺が顔を見られたところでノープロブレムだろう。


 「へー、けっこうカッコいいじゃん! 声もいいし、なんで着ぐるみでバイトなんかしてんの?」


 「……知り合いに頼まれた接客のバイトが、いつの間にか客寄せパンダになって、最終的にイベントで宣伝までさせられたって感じです」


 初対面であることを忘れるくらいに馴れ馴れしく話しかけてくるため、俺は少々呆れてしまった。だが、お世辞でも褒められると嬉しいものである。つい、しなくてもいい返答をしてしまった。


 「ふーん、苦労してんだね。パンダくんも。でもまあ、そういう理由があったわけね」


 パンダくんと呼ばれるのは違和感しかないが、それよりも何か含みのある物言いが気になった。


 「どういうことですか?」


 「いやさ、俺くらいになると分かるんだよね。仕事に真剣か、そうじゃないかってこと。着ぐるみとかで表情とか分かんなくてもさ」


 話し方からは調子に乗っている感じが伝わってきてムカッとしたものの、何が言いたいのかを理解して自分の思慮の浅さと至らなさに気づかされた。あまりに想定外の出来事に、思わず黙ってしまう。


 「……」


 「ほら、心当たりあるっしょ? ステージ上に立ってたパンダくんが心ここにあらずって感じで仕事に集中してなかったから、人気者の俺が社会人として仕事の厳しさを教えてあげようと思ってね。それであんな無茶ぶりしたってわけ」


 「そんなこと考えてたのか。俺はてっきり適当に遊んでるだけかと……。なんかすまん」


 人の良いお兄さんもステージ上での無茶ぶりは気まぐれな行動だと思っていたようで、そのまっとうな理由を聞いて軽く頭を下げている。俺はその様子を見ながら、まさかこの人に痛いところを突かれるとは、と正直呆気に取られてしまった。それと同時に反省点を自覚していたところ、人気者の有名人さんが上から目線で尋ねてきた。


 「まあ遊ぶつもりもあったから間違ってないし、謝んなくてもいいよ。それで、パンダくんは何か言うことないのかな?」


 「自分も正直アホなのかなって思っていたので、すみませんでした。それと、遊ぶためというところはともかく、仕事に対する姿勢を注意してくださってありがとうございます」


 この人なら許してくれるであろうという謎の確信から、少々失礼な言葉を使ってしまったが、相手も態度は宜しくないのでお互い様である。そんな俺の確信はやはり外れることもなく、年の近そうな先人は笑いながらアドバイスをくれた。


 「ちょっ、アホって……。でもま、素直に感謝を言えるのはいいことだよ。仕事してると色々あるからさ、こういう当たり前だけど疎かにしがちなことはしっかりやらないとね。俺も新人の頃に先輩から教わって意識してることだからさ。どこか上の空だったパンダくんにちょっと先輩風吹かせとこうと思ったわけよ」


 「やり方はアレですけど、見ず知らずの学生バイトに色々と気を遣ってくださってありがとうございます。心の中で文句や暴言ばかり言っていた自分が恥ずかしいです」


 こういう人との絡みはこれまでに経験がないため、かなり新鮮な気分だ。ただ、そこに不快な気分はなく、最初の足取りの重さなど忘れ去るくらいに楽しいと思う自分がいた。それもこの人の凄いところなのだろう。たまに言動が鼻につくものの、それを帳消しにできるだけの人徳というか、巻き込み力がある。友人が一人だけの俺でも、この短時間で仲良くなった気になるのだから、本当に尊敬すべき魅力だと思った。


 「うーん、さっきから敬意の中に馬鹿にした態度が入ってない?」


 「人気者で気遣いができる先輩の勘違いですよ」


 「おい、やっぱ馬鹿にしてんだろ!」


 興が乗って必要以上に関わってしまっているが、今後会うこともないのだからやりたいようにやっておこうと俺は思っていた。このような形で色々なことを気づかされた自分自身への憤りを、先輩の胸を借りて発散させてもいいのではないだろうかと。


 我ながら子供じみたことをしているな、と内心で自嘲する俺に、文句を言いながら突っかかってくる社会人の先輩。彼の動きを止めたのはやはり常識人のパートナーであった。


 「どーどー、落ち着けって。そろそろ俺たちも東京に帰る時間だし、彼もバイトがあるんだから早く解放してあげようぜ」


 「あーもう、わかったよ! じゃあパンダくん連絡先教えて!」


 人気者で多忙な彼らである。それほど時間に余裕がないのは当たり前か……ってこの人今なんて言った?


 「え?」


 「年もそんな離れてないし、せっかくの縁だからさ! こういうのを大事にしてると、そこから色々繋がっていくわけよ」


 やっぱりこの人すげえな、と思ったが調子に乗りそうなので口には出さない。人を見る目は養ってきたはずだが、それは冷静な状態でこそ判断できるものだと改めて思い知らされた。それを教えてくれた人が連絡先の交換を申し出てくれたのだ。俺に断るそれを理由はない。だが、最優先事項を忘れていることに俺は気づいた。


 「……分かりました。あ、すみません、その前に皆さんのサインいただけませんか?」


 「最後まで俺の扱い雑だなっ!」


 愉快な叫びが室内に響き、何かが吹っ切れた俺も心から笑うことができた。こうして俺は、笹川さんに頼まれたキャスト陣のサインに加えて、「アホ」改め「森澤もりさわ しん」という芸能人の連絡先を手に入れたのであった。


 この繋がりが自身の未来に想定外の選択肢をもたらすことになるのだが、それはもう少し先の話である。


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