19. 不機嫌と仕事

 「せんせー、ただいま……って、なんか暗くない?」


 「ああ、夏葉か。おかえり。着ぐるみなのにそう見えるか?」


 「うん、なにかあったの? さっき施設の人と話してたけど、それが関係してる?」


 休憩から戻ってくるなり、夏葉は俺の様子の違いに気が付いたようだ。つい先程ここのオーナーと話していたところは戻ってくるときに見えていたらしく、そこからの状況把握は流石である。表情が見えていないのに鋭いヤツだと感心しつつ、俺は質問に答えた。


 「まあそうだな。イベントステージに立たなきゃいけないらしい」


 「え? 着ぐるみ素人のアルバイトだからそういうのはないって話じゃなかった?」


 夏葉が指摘した最初に聞いていた話との差異は、もちろん俺としても不本意である。しかし、何かが変わるということはその原因が必ず存在するということで、話の中でそれは十分に説明された。


 「そうなんだけど、なんでもこのイベントだけじゃなくてこの施設を運営する会社全体でコラボするみたいで、その発表がある締めのステージでは宣伝に使えるものは全て使えって上から指示があったらしくてな。上の命に逆らえないここのオーナーから、立ってるだけでいいからってお願いされたわけだ」


 「それなら最初から言えばいいのに、どうして今更?」


 もっともな疑問だが、今日着ぐるみを着させられていること自体も当初の予定ではないところからも、今回かなりドタバタした状況で企画が動いていることは明白だ。


 「突然本部の人間が見学に来たみたいで、用意も人員もギリギリ間に合ったこのキャラクターを見てしまったって聞いた」


 「それはお気の毒さま……。でも別に立ってるだけなら、そんなに大変でもないじゃん」


 そう思うだろ? 確かに客観的に考えればまさにその通りなんだよ。でも俺に限って言えばそうではないのである。


 「……俺は人前が苦手なんだよ」


 これに加え、今回の場合では視線の主がほぼ女性である。別にそれが嫌なわけではないが、大勢の女性に囲まれるという状況が過去のトラウマを想起させるのだ。本当に昔の俺はアホで、思い出したくない黒歴史ばかり経験しているような気がする。恥の多い人生を送ってきた自信だけは、同世代の中では誰にも負けていないのではなかろうか。


 あからさまに覇気のない声で返事をした俺に対し、俺よりも人生経験が少ないはずの夏葉は簡単に答えを出した。


 「誰もせんせーなんて見てないって。見てるのはパンダの着ぐるみなんだからさ」


 うん、そうだな。確かに俺が見られているわけではない。どうしてそんなことにも気づかなかったのだろうか。俺が中身だと知っているお客さんは、ふみちゃんと笹川さんくらいなのだ。ほかのお客さんはただのキャラクターを見ているだけで、その中身になど興味はない。


 「まあたしかにそうか。そう考えるとたいしたことじゃないような気がするな。ありがとう、夏葉」


 「うん、じゃあ今日のアルバイト代で何かおごってね」


 はぁ。感謝はしているが、またおごる機会が増えるのか。でもまあ俺の教え子はこういうヤツだよな。


 「……仕方ないか」


 表情は分からないが、今度は自覚できるほどあからさまに、言葉に不服な態度を出してしまった。とはいえ、これはいつものノリだ。俺のこういう態度を、夏葉はいつも気にしない。


 はずだった。


 「ふーん、そんな態度取るんだ。女の人の胸にダイブした変態のくせに」


 どういうわけか不機嫌丸出しで頬を小さく膨らませ、夏葉は俺から視線をそらしてそっぽを向いている。


 どうしてだ? いや、そんなことよりも……。


 「なっ! 見てたのか!?」


 「まあねー。それで、どうだったの? 感触は」


 相変わらず不機嫌を隠さないでそう尋ねる夏葉は、めんどくさくもあり可愛らしい。そんな教え子へと冷静に返事をしようとした俺だったが、問いかけられて先ほどの出来事を思い出してしまった。思わず冷静さを失い、動揺が言葉へと伝わってしまう。


 「そ、そんなの着ぐるみがあって分からなかったに決まってるだろ」


 「めちゃくちゃ早口だし、動揺してるのバレバレだよ?」


 「動揺なんて、し、してないぞ。それにアレは事故で―――――」


 不安定な精神状態で、この鋭い教え子を誤魔化す演技力など俺は持ち合わせていない。しかし、今の状況を嫌がっている自分がいる。いつもよりも確実に棘のある彼女の物言いに、傷ついている俺がいた。


 どうすればいいのか。あの出来事以降、向き合うことから逃げて表面的にしか異性と関わってこなかった俺には解決策を導くための経験が皆無である。だから俺の口が発そうとしたのは、ただの言い訳に過ぎない。しかし状況が、それすらも許してくれなかった。


 「あの、四条くん、そろそろ出番だ。申し訳ないが、一緒に来てくれ」


 「え、あ、はい……」


 色々と取り込み中であることは察してくれていたみたいだが、時間がよほどないのだろう。イベントスタッフは申し訳なさそうにしつつも、少々強引に夏葉との間に入ってきた。


 何も言えず、俺はただ連行されるしかない。形はどうであれ、また逃げることになってしまった自身の情けなさに嫌気がさしてくる。


 知ることは怖かったが、それすら直視できない人間ではいけないと覚悟を決め、俺は離れていく教え子の顔色をそっと伺った。


 「せんせー焦った? もー、いつもみたいにからかっただけだからそんな気にしないでよ。いってらっしゃい!」


 優しい言葉ときれいな花のように咲く笑顔。


 本心を隠して紡いだ音と無理につくった完璧な表情だ。それが分かるくらいには、俺は夏葉を見てきていた。


 (ああ、ホントに俺ってヤツは……)


 いつまでも過去に縛られて今を見ようとしていない。


 頭の整理がつかないまま、俺は遠ざかるその姿から視線を外すしかなかった。


 だからいつもより耳の遠い俺に、夏葉が悲しげに呟いた言葉など当然聞こえるはずもなく、それは夏葉自身の耳に響いて霧散する。


 「わざとじゃないってことくらい、分かってるよ、ばか……」


 そのとき見た表情を、もう二度とさせたくない。そう思ったものの、何をどうすればいいのか。今の俺には皆目見当もつかず、ただ望まぬ足を進めることしかできなかった。





 「関連施設でコラボ決定!!!」


 イベントのラストパートでファンを沸かせるお知らせコーナー。広い野外ステージ大きなスクリーンに映し出され、キャストから大々的に宣言されたその情報にファンがそれぞれの反応を見せる。


 場所を確認して喜ぶ者、肩を落とす者。まだ決まったばかりで抽象的な情報に、どういう内容か分からず首を傾げる者。ただ周囲が驚いているから同じように「おぉー」っと声を出す者。その他いろいろ。


 ステージ上にただ直立しながらできることなど限られているため、ファンのみんなの反応を観察していた俺は、よく見なくてもこういうことなら分かってしまう自分に内心でため息をつく。


 (はぁ。目の前にこれだけ水着姿の異性がいるのに、見てしまうのがそういうところなのは、さっきのことかなり引きづってるんだろうな)


 まあたとえそうでなくても、これだけ女性に囲まれれば委縮して過去のトラウマに精神もっていかれるから変な目で見ることはできないだろうけど。


 自嘲気味にそんなことを考えつつ眼前に広がる大勢のファンを眺めていると、此方に視線を向けているふみちゃんと笹川さんの姿が目に入った。


 どうしてそこにいるの? 羨ましい! などと笹川さんが少々騒いでいるのを、ふみちゃんが周囲の視線を恥ずかしがりつつも抑えようと頑張っているようだ。


 中身としても不本意なので、何を言われても俺にはどうしようもないが、何故か二人の姿を見て少しだけ元気になった気がした。


 しかし、周囲を見ることに注力していた俺に、思わぬところから厄介ごとが飛び火してくる。


 「ねえ、君はどう思う?」


 MC をしていた同年代らしき男性キャストから突然話を振られてしまった。


 「……は?」


 おそらく着ぐるみのおかげで相手には聞こえていないが、素で驚きの声を出してしまった。


 その後、どうしていいか分からない俺は何も答えられず無言。当然だ。そんなことは聞いていない。ただ立っているだけのはずなのだから。


 一瞬生まれた沈黙に、他のキャストが少し焦った様子で MC をしているキャストに向けて小さく呟く。


 「おい、それはなしって言われただろ?」


 「そうだっけ? でも別にいいじゃん。俺たちよりちょっと下の大学生とお話してみたいんだよね」


 「いや、だからこそ運営に話を振らないよう釘を刺されたんだろ……」


 おいおい。MC の独断で話振ってくるなよ。運営サイドはきちんと仕事をしてくれたのに、全て台無しじゃないか。ステージ横で待機しているスタッフの方を見ると、手を合わせて謝罪のポーズをしつつ、同時になんとかするようにお願いしていた。


 「それで、パンダくんは今回のコラボどう思う?」


 仲間の忠告を無視して再度質問してくる MC は、自分だけ楽しければいいタイプなのだろう。それか、他人の困っている姿が笑いになると勘違いしているに違いない。俺が言うのもなんだが、その仕事向いてないのでは?


 とはいえ、このままだとイベントラストの盛り上がりが急降下して宣伝どころではない。何か答えなければならないと覚悟を決めたものの、俺には場を盛り上げるトーク能力など備わっていない。だからできるのは真面目な回答だけだった。


 「たくさんの人に作品を知って貰うために、とても良いコラボだと思います」


 着ぐるみのキャラクターがこのような返事をしているのもシュールな気がする。ファンの様子を見ると、これまた反応はまちまちだが、それほど白けている雰囲気はないのでひとまず大丈夫そうだ。ただ、ここで一つ問題が発生した。


 表面のキャラクターしか見ていなかった観客の目線に、中身への興味が入り混じり始めたのである。


 大丈夫だ。俺のことは見えていない。そう自分に言い聞かせつつ、俺は予定外の話を続けるしかなかった。


 「へぇー、大学生ってみんなおちゃらけてるイメージだけど、君は違いそうだね」


 「どうなんでしょうね。自分ではあまり分かりません」


 「そうだよねー。というか、君の声いいね! 低めのかっこいい声じゃん」


 そろそろこの会話終わらせてくれませんかね? 俺の声なんて今はどうでもいいし、コラボともまったく関係ない話を続けてどうするのだろうか。それに、パンダマスク越しの声を誉められても、それは俺の地声とは少々異なっているのでは? ふみちゃんは分かったみたいだから一概には言えないけど。


 「この状態だと多少声は変わっているかと思いますが……ありがとうございます」


 「たしかにそっか。じゃあそれ外してホントの声聞かせてよ!」


 は? マジでこいつなんなんだよ。俺みたいなバイトスタッフには何やっても許されるとか思って勘違いしてる系のアホか?


 「えっと、それは流石に……」


 イライラマックスの俺が大人の対応を見せ、偽りの困った雰囲気を出していると、先ほど助けようとしてくれたキャストの一人が MC に近づき、マイクが音を拾わない程度の声で再度忠告をしてくれた。


 「おい、それはマジで止めとけって。正規のスタッフでもないバイトなんだぞ」


 「面白そうだし別にいいでしょ。ファンだって期待して見てるんだし!」


 思考回路に俺の迷惑とかこれっぽっちもないんだろうなぁ、と全く悪びれる様子もない MC の男に白けた視線を送る。マジで、こいつなんで調子乗ってんの? 水着姿の女性に囲まれて脳みそ溶けてんのか?


 内心での暴言が止まらない俺はキャスト同士のやり取りを傍観することしかできなかった。


 「そういう問題じゃないだろ! 運営曰く、彼は臨時のバイトで無理やりここに立たされてるんだぞ。こんな大勢の前で顔出しなんてさせるわけにはいかないだろうが」


 「はいはい、わかったよ。ホント、真面目なんだから」


 「……お前なあ」


 なんとか諦めてくれた様子のアホに呆れたという視線を送るナイスガイ。さっきも頑張って欲しかったけど、とにかくありがとうございます! こういうきちんとした考えを持っている人が近くいるんだから、このアホにも少しは見習って欲しいものである。


 もはや何の敬意も持たず俺がアホと呼ぶその男はマイクを手にし、こそこそ話していた結果を観客に伝えた。


 「はい! 顔出しは流石に NG みたい。というわけで、パンダくんは終わったら俺たちの控室に来てね!」


 最後まで迷惑なアホに、後ろから蹴り飛ばしてやろうかと一瞬思った。


 どうしてそんなに俺のこと知りたいんだよ? もしかして好きなの?


 いや、それは流石に失礼か。ただ子供のように好奇心が強いだけなのかもしれない。精神年齢もガキのままみたいだし。


 「じゃあ最後のコーナーいくよー!」


 お子様が元気にラストコーナーを開始したところでようやく解放された玩具の俺は、ステージ上から脇へと静かに移動する。するとこの施設のオーナーが寄ってきて、俺に頭を下げて謝罪した。


 「四条くん、すまなかった。君には触れないように言っておいたんだけど、もっと強く言っておくべきだった……」


 確かに迷惑ではあったが、悪いのはあのアホなので俺としては運営側に文句を言うつもりもない。


 「自分は気にしていませんので、頭を上げてください。そもそも悪いのはあの人ですし」


 「そう言ってくれるなら有難いが……そうだ。今日の給料に色をつけておくよ。予定外の仕事をさせてしまったからね。特別報酬ということで」


 何故あのアホの尻拭いをこの人がしなければならないのか分からないが、こういう人は断ろうとしても筋を通そうとするタイプだと判断した俺は好意をきちんと受け取ることにした。


 「……そういうことなら有難くいただきます」


 とはいえ、この後あのアホに呼び出されていることはどうしようもない。そもそも冗談かもしれないし、俺は返事をしていないので行かなくても問題はないと思うが、彼は何故か人気があるみたいなので、バイト中にいきなり現れて周りを混乱させるとそれこそ迷惑である。


 「はぁ。めんどくせぇ」


 マスクの中で消えたその呟きは、まだ午前だというのに心身ともに疲弊しきっていることを自覚させた。


 午前よりも長い午後の労働が残っていることは考えたくもないが、夏葉とのこともある。長い一日になりそうだと、俺は再度ため息をこぼすのだった。

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