21. ヒーロー
予定外の事態はあったものの、サインを貰うという役目を果たした俺は再びパンダマスクを装備して待ち合わせした店の前へと歩いていた。わずかな違いかもしれないが、確かに軽くなった足取りで一歩一歩前進する。あの先輩のようにはなれないかもしれないが、刺激を貰うことができたし、色々と自身の問題を考えさせられた。
あの一見無遠慮だが相手に思いやりをもった接し方はまだ真似できないものの、人と向き合って考えることはできる。いや、しなければならない。
「ん? あれは……」
着ぐるみ内の蒸し暑さにも負けないくらいのやる気をその身に宿して歩いていた俺は、そろそろ待ち合わせ場所に着くというところで、目の前から走ってくる笹川さんに気が付いた。焦った表情で、いつもの冷静さは完全に影を潜めている。
嫌な予感がした。
「あ、四条くん! 大変なのっ! まふまふがいなくて、連絡にも全然でないの……」
説明としては少ない情報量であったが、事前に予想できたことであったため、俺は冷静さを失わずに済んだ。もっとも、笹川さんが取り乱しているからこそ、俺が冷静でいなければと直感的に判断しただけかもしれないが。
「……ひとまず落ち着いて。俺も探すの手伝うから、状況詳しく教えてくれる?」
パンダ姿なのは状況からすれば少々場違いかもしれないが、今はそれを気にしている場合ではない。胸中に生まれた抵抗心を抑えつけ、俺はその震える肩に手を置いて状況説明を求めた。
笹川さんが俺の行動をどう思ったかはどうでもいいが、ハッとなって小さく深呼吸をした彼女は頭の中を整理して言葉を紡ぎ始める。
「……うん。あの後ダッシュで待ち合わせしてたお店の前に向かったんだけど、そこにまふまふの姿がなくて、お手洗いかなって思って待ってたけど全然返ってこないし、変だと思って連絡したけど何の反応もなくて……。おかしいよね? まさか変な輩に連れていかれたとか……」
サイン色紙を渡されてから現在に至るまで、せいぜい十数分しか経っていない。キャスト陣が多忙な人たちでよかったと幸運を感じつつ、聞いた情報を整理する。店まではそれなりに距離が離れているものの、軽く走れば数分だろう。往復しても十分はかからないはずだ。ということは、笹川さんとふみちゃんが一旦別れてからすぐに何かがあったということになる。すなわち、何らかの事件発生からもまだ十数分しか経過していないということだ。
「その可能性もあるけど、まだそんなに時間も立ってないし、施設内にはいるはずだ。とにかく今は情報収集しよう」
「わ、わかった……。もしまふまふに何かあったら、アタシ……」
最悪の想定をして責任を感じている様子の笹川さんだが、別に彼女は悪くない。ただ、今はそんな慰めの言葉をかける場面ではないし、そもそも上手く慰められるような言葉を俺は持ち合わせていない。
「考えるのは後で」
「……うん!」
俺の優しくない言葉で頭を切り替え、自分にできることをやるという顔つきになった笹川さんを見て、俺は正直羨ましいと思った。
「えっ、本当ですか? 情報ありがとうございます」
待ち合わせの店の周りにいたお客さんにふみちゃんの背格好や服装を伝えながら聞き込みをしていると、すぐに目撃情報が出てきた。情報提供してくれたカップル客に感謝を伝え、俺は笹川さんのところに駆け寄る。
「チャラい男の二人組がふみちゃんらしき女性に絡んで、手を引っ張ってどこかに歩いて行ったらしい」
「そんな……早く助けに行かないと!」
聞きたくなかったというような暗い表情を浮かべ、動揺から焦ったようにそう叫んだ笹川さんへと、俺は一つの提案をする。
「笹川さんはここで待っててくれない? 俺が行くから」
歩いて行った方向も教えてもらったため、この施設のマップが頭に入っている俺には、ナンパ野郎どもがどのように行動しているかだいたいの見当がついていた。それに、一人で行く方が断然早いし、パンダ姿の俺ならスタッフとして注意することもできる。
「……分かった。まふまふのことお願いね」
俺の事情を察してくれたのか、それともまた別の理由かは判断できないが、笹川さんはその提案を承諾してくれた。
「任せてくれ」
着ぐるみで全力ダッシュするなど後から思えば自殺行為だが、そのときの俺は自分を冷静だと勘違いしていただけで、実際にはかなり動揺して焦っていたのだろう。
「……まふまふはちゃんと思い人から大切にされてるみたいだよ」
全力でふみちゃんを助けようとする必死な俺の姿を見て、不安とうれしさの入り混じった表情になって笹川さんが呟いたその言葉は、俺の耳に入ることなく風に流されていった。遮音性能の高いマスクの存在もあったが、そのときの俺は一つのことしか考えておらず、笹川さんのことを気にしている余裕がなかったというのが正直なところである。その店先でアルバイトをしているはずの教え子がいなかったことにも気づかないほどに、俺は全力で必死だった。
「おそらくこのあたりに……ハァ、ハァ」
全力ダッシュするパンダヒーローの姿は他のお客さんからすれば一つの見世物に過ぎなかったかもしれないが、中にいる俺は注目を集めていることと滝のように汗が流れる暑さで限界に近かった。ときおり子どもや学生が大きな声で「あのパンダはえー!」とか、「走り方きれいすぎじゃね!?」とか感想を口にしているのがマスク越しでも聞こえてきたが、瀕死状態の俺はそれどころではない。
あまりの過酷な環境に冷静な判断ができなくなってきた俺は、楽しそうにしている周りの客を見て苛立ちを覚えた。
これは八つ当たりでしかないと分かっている。それでも、先ほどの情報提供カップルのように事件を目撃した他の客が何か行動してくれていれば、と思わずにはいられなかった。おそらくこのあたりにいる客だってふみちゃんの様子を目撃しているはずなのだ。
「我ながら自分勝手な言い分だな……」
誰にも聞こえない呟きを零しつつ、休めと命令してくる身体を無理やり動かす。
分かっている。俺だってそういう場面に出くわしたら見て見ぬふりをしてしまうだろうから。誰だって自分のことは大切だ。生物の生存本能を考えてもそれが自然である。赤の他人が危害を加えてきそうな輩の標的になっていたとして、自分が害されるリスクを背負ってまで行動する人間などそうそういないのだ。
フィクションに登場するヒーローのような存在は、現実にはいない。
ヒーローの格好をしているパンダの俺も、ふみちゃんが関わっていなければ行動していないだろう。
ただ、今だけは大切な人だけでも助けられるヒーローでありたいと思う。
そろそろ馴染んできた着ぐるみに勇気と力を貰いながら、俺は自身の予測を信じてひたすら走るしかなかった。
そして見つけた。
腕を掴まれながら、弱々しくも抵抗して歩みを遅らせているふみちゃんの背中を。
何か声を荒げながら、乱暴に彼女の腕を引っ張る男たちの姿を。
落ち着け。頭を冷やして行動しろ。今大事なのは感情で動くことじゃない。
そう言い聞かせながらも、俺の身体はなお全力ダッシュで、ナンパ男どもに体当たりする勢いだ。
「汚ねえ手で触ってんじゃねえぞ。このナンパ野郎ども」
小さな声でそう呟き、脳からの命令を聞かず止まらないパンダボディで突っ込む。マントをなびかせ疾走する姿はカッコいいヒーローに見えなくもないのでは?
「な、なんだあのパンダ!っ?」
「知らねぇよ!」
「ゆ、ゆいとくんっ!?」
タックルをかまそうとする制御不能の肉体は放っておいて場違いな思考をしていると、客寄せパンダと言われるほどの動物をデザインした目立ちまくるヒーローに、敵とお姫様も気が付いたようだ。
このままふみちゃんを巻き込まず敵に突進してやる!
「あっ!」
ツルっという擬音聞こえてきそうなくらい見事に、俺は水に塗れたタイルで足を滑らせた。
めちゃくちゃカッコ悪いヒーローになってしまうと、俺を見ていた誰もが思っただろう。
だが、そうさせないために俺は日々筋トレで鍛えているのだ。背中から倒れながら瞬時に行動を決定し、実行に移す。
上方に拡散し消えてしまった突進の運動エネルギーは諦め、背中から落ちそうになっているところを、両腕をついてストップ。落下エネルギーをその両腕で上手く吸収して後方へとためをつくる。そしてそのエネルギーを再度前方に向けて放出。仮面をかぶったバイク乗りヒーローように華麗なフォームのスライディングを完成させた。
「ふみちゃん、そこでジャンプして!」
咄嗟に発した言葉であったにも関わらず、ヒロインはヒーローもどきを信じて飛び跳ねてくれた。さらにその意図も汲んでくれたようで、彼女は両足を抱える形で宙に身を投げ出してくれている。
「きゃっ!」
後ろから突進した俺は、近い位置にいたふみちゃんを両腕でキャッチし、そのままスライディングで一人だけではあるがナンパ野郎の足元を崩す。受け身を取れず背中から思い切り倒れ込んだ男の一人は情けなく地面に伸びていた。
「なんなんだよ、こいつ!」
突然の出来事に呆然と立ち尽くすもう一人の敵に、ヒロインを腕に抱えたまま立ち上がった俺は容赦しない。
「うるせえよ、このエロ猿が」
事態を飲み込めず反応できない相手に対し、不意打ちの金的をくらわす。悪は成敗!
「おうふっ!」
ヒーローならもっと正々堂々戦えって? 知るかそんなの。ヒーローってのは自分の正義を貫くためなら何でもやるんだよ! 不意打ちだろうがだまし討ちだろうが俺は厭わない。
テンションが最高潮になっていた俺は、お姫様だっこをしたままの状態でふみちゃんに尋ねた。
「間に合ってよかった……。腕掴まれてたけど、ケガとかない?」
「う、うん。大丈夫だよ。助けに来てくれてありがとね、結人くん」
恥ずかしそうな様子ではあったが、腕は掴まれていた部分が少し赤くなっているものの腫れてはいないし傷もない。着衣も乱れていないし、泣かされた跡もない。
間近でジロジロと観察していると、腕の中のヒロインは顔を真っ赤にして羞恥に震えながら口を開いた。
「あ、あの……私、重くないかな?」
可愛いなぁ。マジ天使!
今俺の頭の中はお花畑状態である。とはいえ、ここで「全然重くないから大丈夫!」と言ってこの状態を続けることが間違いであることは分かっている。この問いの意味することを、俺ははき違えなかった。
「軽すぎるくらいだと思う。ゴメン、今下ろすね」
ゆっくりとふみちゃんの足側の腕を下に持っていき、助け出したヒロインをその場に立たせる。
「……ホントに間に合ってよかった。まあこんな格好のやつに助けられるのもどうかと思うけど」
正面に立ちきちんとその顔と向き合ったところで少々気恥しくなった俺はそんな言葉をかけることしかできなかった。
少しの間ふみちゃんからの反応はなかったが、顔を伏せていた彼女はきゅっと軽く俺の着ぐるみに抱き着いてくる。その行動にドキッと心臓が跳ねた気がした。
「結人くん、ありがとう……。あと、ごめんね。わたし、ほんとに怖くて、何もできなかった。少しは強くなれたかもって思ってたけど、全然だめだった……」
表情は伺えないが、その心情は容易に推測できた。だからといって今のふみちゃんにかけるべき言葉の正解は分かるはずもなく、思っていることを口にすることしかできない自分が恥ずかしい。
「悪いのはそこに倒れてるやつらだから気にしないでいいよ。それに、これだけ人の多いところに来て人が密集するイベントに参加しただけでも成長できてると俺は思う」
俺が紡いだ言葉を聞いて顔を上げたふみちゃんの目元に浮かぶ雫を見て胸が痛む。しかし、その瞳には力強い熱が灯っているように見えた。何かを決心したかのような、それでいて何かに怯えて不安げに揺れているかのような。
「……そうだと、いいな。あの、その、今はまだこんな私だけど、きっと克服してみせるから、これからも私のこと……と、隣で見守っててくれますか?」
震えながらもしっかりと紡がれたその言葉に、きちんと向き合って答えなければならない。そうは思っていても、俺が返した言葉はどこか曖昧で、変わらない性根を映し出しているようであった。
「もちろん。俺にできることはサポートするし、近くで応援するよ」
「……うん、よろしくねっ!」
ただ、目の前の大切な人がそれでも笑ってくれることは嬉しかった。だからこそ、これからは俺も変わっていかなければならないと強く思った。
とはいえ、この姿だと如何なるシーンもシュールに見える気がする。まあヒーローっぽいからそれほど違和感はないのかもしれない。実際に一連の光景を目撃したお客さんからはたくさんの拍手が送られている。
このナンパ男どもを問題だと思っていたなら動けよとか、見世物じゃないんだぞとか、とにかく観客に言いたいことはたくさんあったが、今はそれどころではない。
「なんかすごく注目されてる?」
「……よし、とりあえずここから離れよう!」
顔の見えない俺はともかく、ふみちゃんに視線を集めるのは気が引ける。プールということもあってか、スマホをこちらに向けている人間がいないのは不幸中の幸いだろう。ただ、やはり注目を浴びるのは苦手だし、ふみちゃんも同じ気持ちだと思われる。走らせるのも悪いと思ったが、その小さな手を取って俺は走り出した。
「あ、すみません。実はあっちに迷惑客が―――――」
思わぬ盛り上がりをみせた救出劇に何事かと駆け付けていた警備員が近くにいたため、軽く事情を説明してダウンしているナンパ野郎どものことをお任せしておく。
ダッシュに比べればゆっくりとしたペースで去っていくヒーローとヒロインに送られる観衆の拍手や歓声が、まるで俺たちの行く先を応援してくれているかのように鳴り響いていた。
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