13. それぞれの土曜日-2

 「夏葉ちゃん、ホント可愛かったよね!」


 「うん。でも、どの水着も似合うから決めるの難しかったね……。あの水着でよかったのかな?」


 お返しの水着選び第二ラウンドは無事終了し、麗華はその光景を思い出しながら楽しそうに幼馴染で親友の眞文へ感想をぶつけた。ショッピングモールのフードコートでお茶をしている二人の周りにはたくさんの人がいて、その喧騒の中ではそれほど声の大きくない眞文からの返事は少々聞き取りづらいものであったはずだが、長い付き合いの麗華にはたとえ断片的にしか聞こえていなくても大体のニュアンスが伝わるようで、そこで聞き直す必要はなかった。


 「女子高生ならあのあたりがベストチョイスだと思うね、アタシは! あんまり露出多いのもやりすぎだし、かといって色気がまったくないのも面白くないし!」


 「麗華ちゃんが楽しんでただけな気もするけど……」


 「そんなことないって。夏葉ちゃんも満足そうな顔で帰っていったじゃん」


 「そうだよね。上手くいくといいね、夏葉さんの恋」


 水着選びの途中で二人が夏葉本人から聞いた話によると、彼女が今回水着を買いに来た理由は色恋沙汰に端を発したものであるらしく、その本気度は水着を選ぶ中でひしひしと二人にも伝わっていた。


 (あんなに可愛い、綺麗で明るい女の子でも好きな人に振り向いてもらうために行動してるんだよね……)


 奥手で自信がなくて積極的に行動できない自覚のある眞文としてはその姿がとても眩しく、年下の女の子にあこがれのような感情を持ってしまった。また、それと同時に、言葉にできない焦燥感のような、心地の悪い謎の感情が胸の内を渦巻き始めていた。


 「それはまふまふも一緒だよっ! これからバイトでしょ? 当たって砕けるつもりで誘わなきゃダメだからね! せっかく可愛い水着買ったんだし」


 全てを把握したわけではないが、眞文の様子からその心情を察した麗華は、いつものように親友を鼓舞しようと発破をかけることにした。その普段通りのテンションに眞文もいつも通り引っ張られ、胸中に生まれた謎の感情が掻き消される。


 「が、頑張ってみるけど、当たって砕けたくはないなぁ……」


 「そんな弱気じゃダメだって。初対面からもう二年半くらい経ってて何も進展ないのは積極性が足りない証拠だよ!」


 痛いところを突いてくる麗華に、眞文は下を向いて今度こそ聞こえないくらい弱々しい声で心中を吐露した。


 「そ、そうだけど……せっかく仲良くなれたのに変に関係がこじれるのはイヤなんだもん」


 「その可愛さをもっと見せていかないと! うーん、でもまああれだよね。その付き合いの長さで四条くんの方から何もアクションがないことも問題なんだよねぇ。涼介によると彼女はいないらしいけど、あの人何考えてるか分かんないし、なんか闇抱えてそうだし、めんどくさそうだし、アタシは無理だなぁ」


 守りたくなるその愛らしさに母性本能をくすぐられる思いの麗華だったが、ここはおせっかいでも強く言っておかないと眞文のためにならないという直感が働いたようで、挑発的な言葉を入れるために結人のことまで持ち出した。


 ちなみに、眞文の弟である涼介とも接点のある麗華は、色々と男同士の会話で出てきた結人の情報を知っている。


 そしてその策は流石幼馴染といったところできちんと身を結び、あまり見られない眞文の表情と言葉の強さを引き出す結果となる。


 「麗華ちゃんでも怒るよ。結人くんのことあんまり知らないのに勝手なこと言わないで」


 「ごめんって。でもさ、今のままでホントにいいの? まふまふが本気で今の関係でいいと思ってるならもう口は出さないけど、アタシとしてはまふまふに後悔してほしくないんだよね」


 「麗華ちゃん……」


 心配そうに思いのこもった言葉をかけてくれる麗華はとても真剣な表情で、いつもの雰囲気が完全に息をひそめている。これまでにも何度か同じような状況を経験している眞文は、また親友にその顔をさせてしまったという後悔と、これだけ真剣に相談に乗ってくれる友人の存在への感謝を胸に、自身の気持ちと向き合う決意をした。


 表には出ていない親友の覚悟をその瞳から感じ取った麗華は、少々複雑な気持ちを抱えながらも自分にできることをやろうと同じように覚悟を決めて、いつも通りの口調で親友に言葉をかける。


 「まあ、面白そうだからなんだかんだでやりたいようにやるんだけどねっ! それじゃ、アタシはバイトあるから行くね! 連絡はするけどまた明日! ちゃんと四条くん誘ってくるようにっ!」


 慌ただしくそう言ってショッピングモールの近くにあるバイト先へと向かった麗華の背中を見つめながら、眞文は自分が麗華に頼ってばかりだと情けなくなった。どうにかしなければならないことは、恋だけではない。二十歳を過ぎ大人になったつもりでも、今のままでは自立などできるはずがないと、眞文は改めて現状を理解した。


 「やっぱり凄いなぁ、麗華ちゃんは。よし、私も頑張らなきゃ」


 その呟きは人混みの喧騒の中でも掻き消されないほど、意思の強さを感じさせるものだった。


 「あ、私も帰って手伝いの準備しないと……」


 残っていた飲み物をゆっくり飲んでいると思いのほか時間が経過しており、眞文は時計を確認して立ち上がった。その姿はこれまでよりも華があり、周囲の人の視線を集める。


 (あれ? 目立ってる? どうして……?)


 立ち上がる時に何かおかしなことをしてしまったのかと思い込み、眞文は恥ずかしさで下を向きながら、そそくさとその場を立ち去った。



 「うん! まふまふは大丈夫だね。だけど……はぁ。あれが見間違いとか偶然なら良いんだけど、そうじゃなさそうだし、おせっかいでも本気でサポートしないと……」


 バイトに向かったと見せかけて、人混みに紛れて眞文の様子を伺っていた麗華は、親友の成長を喜びながらも一つの懸念事項が頭から離れず、憂鬱そうにため息をついた。


 (水着選びが終わってからスマホを開いてメッセージを見たときの夏葉ちゃんの様子からして、その相手が意中の異性なのは明らかで、好奇心に負けてチラッと見た相手の登録名は【せんせー】ってなってたけど、そのアイコンが見覚えのある写真になってたんだよね……)


 過去に眞文からそのアイコンにしている理由を聞き、写真が印象に残っていた麗華には分かってしまった。


 『それ四条くんのアカウント? なにこの写真? ぼろぼろの眼鏡?』


 『前に付けてた眼鏡らしいよ。ちょっとした事故でこんな感じに壊れちゃったらしくて、処分する前に写真撮ってアイコンにしたんだって。事故のこと忘れないように。どんな事故だったのかは言いたくなさそうだったから聞いてないけど……』


 (四条くんが新しくアルバイトを増やしたことはまふまふからも聞いてたけど、まさか家庭教師で女子高生に教えてるの? しかも、そこで教え子に好意向けられるなんて、どこのラブコメの主人公? 勘弁してほしいんだけど)


 親友が恋する相手と、今日知り合った夏葉の思い人が同一人物であるということに。


 鋭い麗華は諸々の状況から結人との夏葉の関係を予想して見事的中している。そしてその鋭さは麗華をもう一つの推測に導いた。


 (これは絶対まふまふに言っちゃダメなヤツだよね……。ん? ちょっと待って。夏葉ちゃんが水着を今買ったのが、もしアタシたちと同じで明日のイベントのためだとしたら……? そうなら誘わなくても四条くんはプールに来る? それはそれで……って、夏葉ちゃんと二人で行くならまふまふが誘っちゃいけないんじゃ……。うーん、でも夏葉ちゃんはサプライズ的な感じで水着のお披露目するって言ってたし、一緒に行く感じじゃないか。いや、そもそもこれはあまりに飛躍した想像だよね。自分のことを結び付けすぎて客観的に見れてないし。ただ、もしそうなら全力で三人が出会うような事態を回避させなきゃいけない。四条くんは頼りにならないというか、おそらく二人の好意に気づいてない可能性が高いし、二人と同時に遭遇しても気にしないはず。でもまふまふと夏葉ちゃんは確実に気づく。そうなると夏葉ちゃんは分からないけど、まふまふは諦める道を選びかねない……。高校生と大学生はほとんど接点がないんだし、推測が当たってたとしても今回だけ回避すればお互いの気持ちに気づかずに、思いのまま四条くんに向き合えるはず!)


 「はぁ、明日のイベント楽しみにしてたけど、もしホントにそうなったらこっちを優先させないとなぁ。好奇心に負けて夏葉ちゃんのスマホ覗くんじゃなかった……」


 自分の選択を後悔しつつも、そうしたからこそ可能性を考えることができたのもまた事実である。麗華は貧乏くじを引いたと思いながら、それで純粋な二人の恋が予期せぬ終わり方をする未来を回避できるなら、多少の苦労をしてでもそうするべきだと思った。


 いずれは全てを知ることになるとしても、今はそのときではない。確信は持てないが、おそらくそういう運命なのだろうと、麗華は現実逃避気味に自身に言い聞かせた。


 「ヤバッ、バイト遅れるっ!」


 思考に意識を取られて時間を忘れていた間に、時計の針はそれなりに進んでいたようだ。スマホ画面でぎりぎりの時間になっていることに気づいた麗華は急いでバイト先に向かうべく走り出す。


 先ほどまでの悩まし気な様子はどこへやら。その足取りは非常に軽快で、そこに迷いは感じられない。彼女もまた、親友とはまた違った方向で周囲の視線を集めながら、我が道を駆けていった。



――――――――――――――――――


 ほぼ同刻、水着選びを手伝ってくれた女子大生二人と別れて帰宅していた夏葉は、自身のスマホに映し出されている結人とのメッセージのやり取りを眺めながら思考を巡らせていた。


 →『     』


 『返事遅れてすまん

  詳しいことは家庭教師で家に行ったとき話すけど、

  夏葉の思っている通り俺に寝ている女性に手を出す度胸なんてないぞ

  学長には俺の大学生活をかけて頼んだし、誓って何もやましいことはしてない』←


 →『返事遅すぎ』


 →『せんせーのことはヘタレだって信じてるけど』


 →『ちゃんと説明、証明してね』


 『分かった』←


 「うーん、やっぱせんせーは何もしてないかな? ということは、今の問題はさっきの人かぁ」


 メッセージが返ってきてからしばらく冷静ではなく気づかなかったが、夏葉が先ほどの水着選びで一つの可能性に思い至っていた。それはもちろん、眞文が結人に好意を寄せている可能性だ。麗華は眞文という恋のライバルの存在を知って夏葉がどうするか分からなかったが、彼女の行動は至ってシンプルである。


 (確かに綺麗で可愛いし、落ち着いた清楚系美人だけど、だからこそそのおとなしさから積極的に行動するタイプじゃないはず。それに、せんせーのバイト歴からしても長い付き合いのはずなのに進展してないみたいだし、何かのきっかけで積極的にならない限りは大丈夫、かな。それならアタシはただ攻めるしかないよね)


 思考は夏葉自身も驚くほど冷静で、よく頭も回っている。眞文と麗華の二人と接している中で、夏葉は家庭教師のために家を訪れた結人からたまに匂う、普段の彼とは違う匂いと同じ匂いは眞文からすることに気づいた。そして結人からその匂いがするのは、もう一つのアルバイト終了後に訪れたときだということも把握していた。


 となれば、自身の嗅覚を信じるなら眞文は結人のバイト先の関係者ということになる。そのうえで、結人から聞いた彼の交友関係では、バイト先には同い年の同僚が一人だけだったはずなので、眞文がその一人であると予想できる。


 ただ、嗅覚に自信はあっても不確かな根拠だと夏葉自身には分かっていた。そして推測に推測を重ねた論理的でも何でもない曖昧な予想であることも。だが、夏葉はそうだと確信している。女の勘が、眞文を同じ人に恋する乙女であると告げているのだから。


 (話を聞いてた感じだと、おそらくあの人たちも明日のイベントに行くはず。そこでお互いに水着姿で勝負するのはいいとして、鉢合わせるのは得策じゃないよね。あっちもアタシが異性に水着姿を見せようとしてることは知ってるから居合わせたらバレて気まずくなるはずだし、せんせーがそこから何かを察して予想外の行動に出たら面倒。ということは、先に水着姿を見せつけてから、人が集まる前に撤退するのがベストかなぁ。そのためには……)


 偶然か必然か、麗華と同じように遭遇を避ける方針に至った夏葉は、そのまま具体的な行動手順を考えていく。そして様々なリスクや可能性を洗い出し、最適解を導き出した。この思考に対戦相手がいれば、彼女の好きなチェスや将棋のような先の読み合いになっていただろうが、今はその相手もいないため夏葉にとってはそれらのゲームよりも楽であった。


 もっとも、結人の感情まではコントロールできないため、完璧な計画にはならない前提がある時点で、難しく考えすぎては自身の計画に支配されるリスクが高いこともあり、ゲームほど真剣にやっているわけでもないようだが。


 そのため既に夏葉の頭の中でだいたいの構想は固まっている。それには他者の協力も必要であり、そのことに多少思うところがあった夏葉は自嘲気味に呟いた。


 「あのうるさい人みたいな味方はいないけど、アタシにも孫にチョー甘いおじいちゃんがいるんだから。利用するみたいで申し訳ない気持ちもあるけど、上手くいったらおじいちゃんのお願い聞くこと検討するから許してよね」


 祖父の願いによって家庭教師がついたことは分かっていた。それでも今の夏葉に、それに応えるつもりは皆無だ。それでも今この願いが叶うなら、その先を見ることもできるかもしれない。


 先のことを考えつつ、夏葉は自宅の玄関を開く。今の彼女の様子を外から一見しても分からないが、その胸の内には罪悪感とともに大きな熱に満ちていた。勝負ごとには負けたくないし、負けるつもりもない。恋愛ならなおさら、負けられない。


 ただ、負けられない戦の中にどこか楽しさのような充実感があることに、夏葉は気づいた。先を見通すことのできない様々なファクターが絡むこの戦いに、自然と夏葉の口元に笑みがこぼれた。

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