6. 教え子とトラウマ
「ねえ、せんせーは告白ってしたことある?」
「……いきなり何言ってるんだ?」
火曜日の夕方。研究室生活の初日を終え、家庭教師のアルバイトで水瀬家を訪れた俺に対し、到着早々教え子が意味の分からない質問をぶつけてきた。
それに対する返答から俺の困惑が伝わったのかどうかは分からないが、高校の制服姿でだらしなく座っている夏葉は詳細を話し始めた。
「また学校で告白されたんだけど、まったく接点のない名前も知らない相手だったんだよね」
確かに夏葉はモテるだろうと、俺も思う。ただ、本人にその意識はないかもしれないが、今のところ自慢にしか聞こえない。まあそれも俺の性根のせいかもしれないが。
「だから?」
「人間性を知らない誰かに告白する気持ちが分からないから教えて、結人せんせー」
うーん、教えてほしいことを口にしてくれたのは家庭教師として嬉しいが、そうじゃない。
「それは俺の仕事の範囲外だ」
「へぇ、そういうこと言うんだ。あ、でもそっか。恋愛経験なくて彼女いない歴イコール年齢の童貞さんには答えられないよね、ごめんなさい」
よし、こいつどうしてやろうか。
いや。落ち着け、俺。ここで冷静な対応ができないようじゃ家庭教師として、いち大人としてダメだろ。
「ホント、夏葉は俺のこと馬鹿にしてるよな。俺だって告白したことはあるし、されたこともあるんだぞ、一応」
「えっ……。へ、へぇ、そうなんだ」
ふっ、流石は俺。あまりに冷静すぎる対応であの夏葉が困惑してやがる。とはいえ、言われたことは全て事実なので否定もできない。
「まあどっちも付き合うところまで発展しなかったけどな」
「なぁんだ。じゃあ結局彼女いたことないんじゃん」
どことなく嬉しそうなのはどうしてだろうな。いや、あれは面白がってるだけか。それにしても可愛いな、くそ。
「うるせぇ、ほっとけ。今は告白の話だろ。あくまで俺個人の意見だけど、好きになったのはいいもの接点が乏しい相手にはまず意識されることが必要になってくるんだよ。ついでに、クラス内での関係性が固まっている状態だと、いきなりそこに近づいて友達から始めようとするのは周囲に気持ちを気づかれるリスクがある。夏葉がいつも一人でいるなら、そこに周囲の目がある状態で近づくのは自殺行為だ。周りのおもちゃにされかねない。だからこそいきなり告白という行動に出たんだと、俺は思う」
我ながら良い回答ができたのでは?思春期男子の心を代弁できているのでは?と思っていた俺だが、それが間違いであることは夏葉の様子から簡単に察することができた。
「うわぁ、なんか真剣に語りだしちゃったよ」
ドン引きされました、はい。
教えてほしいって言われたから俺なりに考えたのだが、おそらく夏葉としてはそこまで真剣に相談したわけではなかったのだろう。軽い雑談のつもりで振った話をマジトーンで返されれば引くわな、そりゃ。こういうところが会話の難しいところであり、考えなければならない点だと思う。
ただ、それでも何も言い返さず終わる俺ではない。
「あのな、親切心で意見を出したのに何で気持ち悪がられなきゃいけないんだよ」
「いや、だって正直きもいし。どうせせんせーがそうだったとかでしょ。そりゃ振られるのも仕方ないって感じ」
おっふ。
「……」
思い出しそうなところをぎりぎりで抑えていたのに、夏葉からきもいと言われたおかげで過去のトラウマが完全に蘇ったわ。
「え、図星なの? はあ、哀れなせんせーのためにアタシからアドバイス。まったく接点のない人に告白とかナンパと一緒じゃん。まああれも誘いについていく人がいるから成功率がゼロというわけでもないけど、普通は怪しいと思ってついていかないし、こいつならいけるとか上から見られてそうで正直アタシは無理。別に長い月日が必要とかは思ってないけどさ……」
「どうもアドバイスありがとうございます。参考にさせて頂きます」
くそぉ、どうしてかすげえ悔しい。夏葉が勝ち誇った目で見てくるからか? それとも年下の教え子に教えられた敗北感からか?
どっちもだよ、ちくしょう。
「このお礼は新作のお菓子でいいから」
そう言って楽しそうに笑う夏葉を見て、楽しそうならいいかと思ってしまうくらいにはちょろい俺である。
「へいへい。今度買ってくるよ。というか、夏葉も思春期真っ盛りなんだから好きな男子の一人や二人いないのか?」
「い、いるわけないじゃん。てか、いてもせんせーに教えるわけないし。そういうせんせーこそもうすぐ学生生活終わるんだから、もっと自分の心配した方がいいよ」
「ぐっ、痛いところを! ……まあでも」
「でも?」
「いや、なんでもない。それよりもさっさと今日の課題をやってくれ」
俺の恋愛なんてどうでもいいのだ。本当にこればかりはどうでもいい。話を合わせるために会話はするが、できるならこういう話はしたくない。過去のトラウマというのは、本人にはどうしようもないくらいに重い呪いだ。
……落ち着け。今は夏葉と一緒にいるんだ。こんな感情を表に出してはいけない。
「ああ、それならもうできてるから大丈夫!」
緊張感のないその声に、意識が急速に引き戻された。
勢いよくプリントの束を差し出す夏葉を眩しいなと思いつつ、女子高生の夏服の魅力を痛感させられる。大きい動きをされると、いろいろなところを視線で追ってしまうのは男の性だ。仕方ない。健康的な肌だなぁ……。
いかんいかん。現実逃避であってもこんなことを考えてはダメだ。緩んだ思考を締めなおす。
「いつの間にやったんだよ……。えっと、どれどれ……って全問正解かよ!?」
「だから、何回も言ってるじゃん。家庭教師なんて本来必要ないって。せんせーはアタシとゲームしてればいいの」
えーっと、それだと俺は仕事をしていないことになるのだが、そんなことを言っても無駄だということはこの三か月で分かり切っているので何も言わない。
「はぁ。もう今はそれでいいよ。それで、今日は何をするんだ?」
「今日はチェス!」
「前回将棋でぼろ負けしてるのに、よくそれを選んだな」
「取られた駒が使われない分将棋よりも少しシンプルだし、ネット対戦で世界中の人と戦って鍛えたんだから、前回みたいにはいかないからね!」
言っていることはもっともだが、つまりチェスは駒を取られてからの逆転がしにくいということでもある。将棋もチェスもそれぞれの魅力があって面白いが、俺はどちらであっても負ける気はしない。
ネット対戦についてだが、強い相手と戦えるし、経験を積むのには有用かもしれない。勝つために努力することは素晴らしいと思う。夏葉の向上心は、俺にとってはうらやましいものだ。
「期待はしてないけど頑張ってくれ」
「その余裕がむかつく」
「本気でやったら負けないぞ、俺は」
「やってみなきゃ分かんないでしょ!」
そうして決戦の幕が開けた。
――――――――――――
「また勝てなかった……」
悔しがる夏葉に同情しないこともないが、手を抜くなと言ったのは夏葉自身だ。たとえ三戦とも圧勝してしまっても、俺は悪くない。
「だから言っただろ、負けないって」
多少の罪悪感を覚えつつも、なんとなくこの充実感は好きなので気にしないでおく。
「むぅ。次は頭使わないゲームにしようかな」
流石に連戦連敗でそろそろ勝ちが欲しいのだろう。夏葉自身も頭を使ったゲームの方が得意なはずだが、別ジャンルのゲームに手を出そうとしている。
「例えば?」
「……告白ゲームとか」
少し間が空いたのは気になるが、それよりも気になるのはその内容である。
「なんだその頭の悪そうなゲーム」
今俺は心底嫌そうな顔をしているだろう。先ほどの会話で夏葉も俺の黒歴史はなんとなく察しているはずなので、ここは感情を隠す必要もない。
「自分で告白セリフを考えて告白しあって、先に相手を照れさせた方が勝ち。告白するときに照れると負け」
「おいおい、そんなゲームがあるのか、恐ろしい。確かにそれなら俺は勝てないかもな」
正直な感想である。まず勝てません。照れることはないのかもしれないが、まず告白ができない。
そんなことを考えていると、夏葉が何かを呟いていた。声が小さくて聞こえなかったが、何を呟いたのかは口元を見ていれば分かる。
「少しずるい気もするけど、せんせー大丈夫かな。嫌われたりしないよね……」
「? 何か言ったか?」
とはいえ、俺も多少は空気が読める男のはずだ。聞こえなかったことにしておこう。勝ちが欲しいという気持ちがありながらも、相手のことを気遣える優しさを持っている点は素直に感心する。そんな夏葉を嫌いになることなど有り得ない。
「ううん、何も言ってない。とにかく次はそのゲームだからね。今度こそ勝つんだから」
「そういうことなら少し練習でもしてくるかな……」
「せんせーってなんやかんや負けず嫌いだよね」
「夏葉に比べるとそうでもないと思うけどな。それに、夏葉が相手だから馬鹿げたゲームでも真剣にやろうとしてるけど、ほかの人から誘われてもやらないぞ、絶対」
「ふ、ふーん。そっか、アタシだけ特別ってことなんだ」
今度は夏葉が下を向いて呟いていることもあり口元が隠れていたため、後の方は何を言っているか分からなかった。
しかしまあ、どこか嬉しそうにも見えるので悪いことは言われていないのだろう。
「それじゃあまた明後日な」
「うん、次もよろしくね、せんせー」
明後日、そのゲームでお互いに大変な思いをすることになるのだが、今は俺も夏葉もそれを知らない。
「さて、いろいろと準備しとかないと勝負にならないしな……」
まだまだ暑い帰り道。ひょんなことから自分の過去と向き合う覚悟を決めることになったが、そういうこともあるのが人生だろう。
ふと空を見上げると、なんとなく夜空の星が応援してくれているような気がした。まあ気のせいだとしてもいいか。ポジティブが大事だからな!
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