3. 夏休みと教え子

 「終わったよ、せんせー! それじゃいつもみたいにやろっか、楽しいコト!」


 夏に咲く向日葵のような元気な笑顔が、俺の視界で明るく輝いた。年齢的には 4 つしか離れていないものの、高校二年生の若さに驚かされる今日この頃である。


 彼女の名前は水瀬夏葉みなせなつは。俺が家庭教師をしている、妹の芽衣と同い年の高校生だ。その我が妹は、流石に尾行してこのアルバイト先を突き止める真似はしなかったようだが、今後も警戒はしておこうと心に誓う。


 それはさておき、夏葉の容姿について触れておくと、生まれつきの明るい茶色の髪と瞳に加え、整った顔立ちと女性らしいプロポーションをも兼ね備えている、正真正銘の美少女だ。


 その可愛い現役 JK に魅力的な笑顔で楽しいコトをしようと言われたが、決して何かやましい行為をしようと言われているわけでない。


 だからこそ俺も冷静に対応することができる。


 「ちょっと待て。まずはその解答用紙を確認してからだ」


 勘違いしないで欲しいが、もしもそういう意味だった場合、俺が犯罪者になってしまうために冷静でいられないのであって、そう、決して理性を失ってしまうとかではありません。


 目の前の教え子が自分自身の魅力を分かっているのか定かではないが、彼女は距離感が近く少々無防備な部分がある。


 現に今も薄手の部屋着姿できれいな肌をさらしている。日曜日であるため制服を着ていないのは分かるが、もう少し男に対して警戒心をもっていた方が良いと思う。お互いのために。


 そんな教え子は家庭教師の考えなど露知らず、記入を終えた問題用紙を手に此方へと近づいてきた。


 少しだけ不機嫌そうな表情をつくって、その小さな口が開かれる。


 「いつもきちんと仕上げてるのに、まだせんせーはアタシのこと信用してないの?」


 「そうではないけど、間違ったところがあればすぐに直した方がいいだろ」


 「間違ってないからへーきだって! せんせーだってホントは分かってるくせにー」


 笑いながら肘で胴体を小突いてくる教え子に、思わずため息が零れる。


 「……はぁ。どうしてこんな成績優秀なやつの家庭教師をやらなきゃいけないんだ」


 「そんなのはおじいちゃんに聞いてよ。まあアタシが真面目に学校のテスト受けてないのが原因なんだけどね」


 悪びれることなくそう答える教え子に再びため息をつきそうになったが、いろいろと事情を知っている身としては彼女を責めることはできない。


 話すと長くなる経緯があって、彼女の祖父の頼みで家庭教師をはじめて3か月になるが、何も解決していない現状を打開する術が見つからないでいた。俺の中で方針は決まっているが、今は何をやっても意味がないような気がするのだ。何かきっかけさえあれば……。


 そんなことを考えつつ、言葉を選んで返事をする。


 「分かってるなら次こそは真剣にテスト受けてくれよ……」


 「でもいい点取ったらせんせーいなくなるでしょ? せっかく見つけた遊び相手がいなくなるのは嫌なんだよね……」


 見るからに寂しげな、しゅんとした表情でそう呟いた彼女も様になっているが、それが演技でつくられたものだと分かる俺は優しい言葉などかけてやらない。


 「俺みたいなのじゃなくて学校の奴らと遊べばいいだろ」


 「アタシに友達がいないことはせんせーも知ってるでしょ。あんなガキっぽい連中とは一緒にいるだけで疲れるし、何よりアタシの相手にならないもん。だからせんせーは特別なんだよ? ほら、さっさと準備して! 始めるよ」


 まあ結局押し切られてしまうことに関してはどうしようもない。夏葉のような美少女に特別と言われ、楽しみにしている様子で遊ぼうとせがまれては断れないだろう。それに、やる必要のない勉強をする代わりに遊ぶという約束をしてしまっている時点で俺には逃げ道がない。もっとも、そもそも逃げる必要すらないのだが。


 「はいはい。それにしても、どれだけ連敗記録を伸ばせば諦めるんだ?」


 「うるさい! 勝つまで諦めないから!」


 (じゃあわざと負ければいいのだろうか……)


 「わざと負けるのは許さないからね!」


 隠すつもりもなかったが、表情から完璧に思考を読まれたようだ。


 「……分かってるよ」


 こうして毎回恒例の遊び、ボードゲームが始まった。今日は将棋の日だ。



 将棋をはじめとしたチェスやオセロなどのボードゲームに毎度付き合わされていると、ふと疑問に思うことがある。


 偏見だと言われてしまうかもしれないが、夏葉のような今どきのJKが没頭するものはもっと他にあるはずなのに、どうしてボードゲームなのか?


 まあどうでもいいことか。夏葉が何を趣味にしていても、何が好きでも、俺には関係ない。


 家庭教師としての役目を果たす。それが俺の仕事であり、彼女と関わる唯一の理由なのだから。


 ――――――――――――――


 一通りゲームを終え、昼過ぎから夕方までのアルバイトも終了の時間だ。二階の部屋から玄関まで夏葉が付き添ってくるのはいつものことで、今も玄関でゲームに負けたことをグチグチ言っている。


 「……今日も全敗。せんせーってどういう思考回路してるの?」


 その言葉の中にそこはかとなく悪意を感じた俺は、心外だと言わんばかりに反論した。


 「おい、その言い方だと俺がヤバイ奴みたいじゃないか」


 「えっ!? せんせーって自分のことまともだと思ってたの?」


 「は? どうみても普通の大学生だろ、俺は」


 当然のことだと思って俺がそう答えた後、数秒の間があってから夏葉が苦笑しながら口を開いた。


 「もー、変な冗談言って笑わせないでよ」


 (えっ? 俺ってそんなヤバイ奴だと思われてたの?)


 「……」


 「えーっと、本気でそう思ってたの?」


 心底驚いたかのように、夏葉が疑問をぶつけてくる。これは演技でもなんでもなく素でそう思っているようだ。


 他者からの思わぬ評価に絶句している俺へと、夏葉が無自覚な追撃をしかけてきた。


 「なんかごめん。でもせんせーはもうちょっと客観的に自分を見た方がいいよ?」


 マジトーンでそんなことを言われると、流石に簡単には聞き流せない。


 「……忠告ありがとな。それじゃ、帰るわ。次は火曜日だったよな」


 「う、うん。またねせんせー」


 悪いことをしてしまったと、バツの悪そうな表情で夏葉に見送られ、俺は一人岐路につくのだった。


 「もしかして眞文さんとか芽衣にもそんな風に思われてるんだろうか……」


 沈んでいく太陽が、まさに俺の今の心情を表しているようだった。

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