第3話

 花宮は江川に連れられて、お洒落なことで有名なイタリアンレストランに来ていた。


「ふぅ〜ん。いい店だね」


 控えめに置かれた調度品。静けさを演出する小さな明かり。付き合いでしかあまりこういったレストランに来ない花宮にも、ここは結構な値が張ると予想できる店だった。


「はい。今日はディナーコースにしていますし、俺が持ちますので、楽しんでくださいね」


 江川は花宮と話せることの何が嬉しいのか、さっきから口調が弾んでいる。


 そのまま、江川に流されるままに向かい合って座り、食事中は流れで仕事の話になり、文学編集部の裏事情を聞くなど花宮にとって、とても有意義な時間になった。


「花宮さんって、結構仕事できるって話ですけど、そのモチベーションってどっから出てくるんですか?」

「う〜ん。元々漫画読むの好きだってこともあるし、編集部に務めてたこともあるから、この面白いのをもっと売り出したいっていう感じかな〜」

「器用そうですもんね」

「江川くんもあの気難しい浅賀先生の担当ってだけでもすごいと思うけどね〜」

「いやいや、俺なんてまだまだですよ」


 などと話が盛り上がりを見せたのはすでにデザートのときだった。


 ほぅ、と花宮が笑みを見せると、江川もつられて微笑んだ。


 そこで、ひとつ自然な沈黙ができた。


 花宮はそろそろ聞きどきか、と口を開く。



「ところで江川くん、今日の目的っていったい何かな?」



 今まで楽しそうだった江川の顔が少しくもった。

 しかし、花宮は江川から目を離さない。じっと見つめて、彼の答えを待つ。


「あ、あの。実は……。金曜の夜、公園で花宮さんを見かけて……」


 次に固まるのは花宮の番だった。しかし、それをなんとか顔に出さないようにする。


「それで、お、俺も、虐めてくれませんか…?」


 紅潮した頬、見上げてくる潤んだ瞳。悲しいかな花宮には彼が遊びではないドMという属性だとすぐに分かってしまった。


 「…………ふむ?」


 花宮千景はあまり物事に執着しない性格から、その穏やかさを得ている。

 そんな彼を大きく乱心させる事象は大きく分けて三つある。そのうちの一つが、彼の性癖に関することだった。


 彼は、自分の性癖をよく理解している。


 典型的なドSで、人に命令されることが苦手。そのくせ飄々と何事もなく躱す術を身につけているし、あまり多くの上司ができない、高めのポジションを維持している。

 そして何よりも、自分は女性に対してだけ嗜虐心を覚えるのだ。

 花宮は侮蔑と蔑みの視線を、今しがたドM宣言をした江川に向けていた。


「僕は男に興味はないんだ。悪いけど、そういうお店に行った方が早いんじゃないの?」

「俺、△▽高校の三十五期生なんです。あの、花宮先輩のこと、そのときから……!」

「あぁ、いいよそんな話〜。それに、こんなレストランで話す話じゃない。君、女性に嫌われるよ?」

「女性ではなくて……」


 あまりにもしつこい江川の態度に、花宮は苛立っていた。怒りをコントロールすることに長けたエリート商社マンは、この話にめっぽう弱い。


「あなたが好―――」


 ガタリ、と花宮が江川の言葉を遮るように立ち上がった。



「俺はゲイでもバイでもない、サディストだ!」



 びんっとレストラン内に花宮の声が響き渡る。客がこちらを見ている。

 花宮は苛立ちを隠そうともせず、呆然とする江川を見下げた。


「これくらい、払っておかないと目覚めが悪いし、迷惑料もあるからね。こんだけ置いていくよ」


 テーブルに十枚ほど万札をテーブルに置き、花宮はその場を立ち去った。


 涼しい夜気に包まれ、少し正気に戻る。

 俺という一人称は久しぶりだった。それこそ、彼の高校時代である。

 皮肉な事実に花宮はふぅっと、自虐的に口角を歪め、気分転換に玩具屋に足を向けるのだった。

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俺はゲイでもバイでもない!サディストだ! 紫蛇 ノア @noanasubi

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