第2話
月曜日。
花宮は職場である森宮書店漫画営業部で営業社員として働いていた。
花宮は元BL雑誌編集部で編集者の仕事に就き、営業部に移動して早四年。
彼は類まれなる営業成績を残すやり手社員としてお偉方には大層人気となっていた。
「花宮さん、おかえりなさいっす!」
「ん?」
外回りの営業からデスクに戻ってきた花宮に、後輩である宇佐が近づいてきた。
「外回りお疲れ様です。フェアの件、安藤書店抑えてきました。そんで、安斎先生にも許可頂きました」
そう言って宇佐は花宮に企画案の書かれた紙を手渡す。
「ふぅ〜ん、ありがとね〜」
眠たそうな口調で花宮はちらりと紙を見直す。しかしその目は仕事モードで、一部の隙もない。
「じゃぁ、未だに断ってる雑賀崎先生と、ゆーころりっち先生の担当にも連絡しといて〜」
「え!俺っすか……?!」
「はい、あめちゃ〜ん」
花宮は宇佐にいちご味の飴をぽいっと、真っ白な企画案とともに渡して、部屋の外に足を向ける。
「ちょっ! どこ行くんすか!」
「ちょっと外回り〜」
「さ、さっき帰ってきたばかりじゃないですか!」
「朝は弱いんだよね〜。一件忘れてた〜」
「ちょ……!花宮さん!もう昼間……っす……」
宇佐は悟る……。花宮は絶対“あの”場所に行ったのだと。彼があそこに行けば、呼び戻すことなんて宇佐には不可能だ。
森宮書店漫画営業部花宮千景の“お昼寝”スポット。日当たりのいい七階ベランダの隠れたベンチは、平社員なら誰でも知ってる花宮千景のテリトリーだ。
花宮は平社員のあいだでのみ、憎めないサボり魔優等生という、なんとも矛盾を生じる悪名が付けられていた。
******
日当たりのいい森宮書店七階ベランダの隠れたベンチ。
平社員なら誰でも知ってる花宮千景のテリトリー。
そのテリトリーに足を踏み入れ、叱る上司があるものなら、悉く何らかの手によって森宮書店に居られなくなり、イタズラをしようものなら、次の日には真っ赤な印が所狭しと並べられた企画書がデスクに置かれているらしい。
その噂は、森宮書店の平社員の間でまことしやかに語られる、誰でも知っている話だ。
今日は花宮が外回りをしているときに、「あの在庫が無いこの在庫が無い」を連呼する「在庫ゾンビ」や、どこの作家が何周年だの何万部だのの企画に追われて忙しかったのだ。
朝は低血圧な上に、店員を宥めるのに小一時間かけさせられた花宮は、疲労が重なって見た目には分からないが、疲れきっていた。
「休憩は必要だよね〜」
寝言をむにゃむにゃとつぶやき、花宮がお日様に照らされてうとうとしている、その最中だった。
「あ、あの。花宮さん、ですか?」
いきなりだった。
花宮はパチリと目を覚まし、目の前に立っている男を見つめる。
「あ、あの、自分は文芸編集部の江川潜って言います。今日の夜って、空いてますか?」
花宮の夜の予定が埋まっているのは古谷と会う金曜の夜だけだ。しかし、営業マンは基本忙しく、平日の夜に予定を聞いてくることはまれだ。
花宮は内心首をかしげながら、顎に手を添えた。
「まぁ、空いてるよ。今日は早く上がるつもりだったし……。なぁ〜に?相談?」
花宮はいつもの調子でそう答える。
「は、はい。まぁ……」
「ふぅ〜ん。まぁ、いいよ〜。待ち合わせ場所は〜」
江川の歯切れの悪い言い方になにか引っ掛かりを覚えたものの、花宮はたんたんと話を進めていく。
古谷を満足させるために鍛えている花宮は、それなりに力もあるので、調子の悪い朝ならともかく、本調子の夜なら何かあっても逃げられると考えていたのだ。
食事代は江川が払うらしく、既に店も予約済みらしい。
その日花宮は、残業を訴える宇佐を残して、定時に帰ることとなった。
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