第3話 南武セントラルビル

 テロがいつ起きるかわからない不安の中でも、新東京都は発展を続けていた。多くの人々がここに流れ込み、過ぎ去っていく。初めてここを訪れる者は競って建てられた高層ビル群に目を奪われるだろう。ピカピカと輝く、真新しいビル達。そんな発展を続ける新東京の真ん中に新しく建てられた高層ビルがある。

 南武セントラルビル

 地上69階建てでデパートとオフィス、ホテルなどが入る複合商業施設だ。地下にも5階分の駐車場が用意され、新東京の中心を具現化するような建物だった。その威風堂々とした姿はまさに日本の富の象徴だった。

 この巨大なビルはテロなどの犯罪に備えて、警備体制がしっかりと整備されている。監視カメラや警備員などは当然。全ての入口には危険物をチェックするためのセンサーが設けられ、警備ロボットまで設置されている。徹底した警備体制によって、いかなる犯罪もこの中では起させないようになっている。


 地下一階にある警備室では夜勤を終えた警備員が交代の警備員を待っていた。いつもなら、少し早めに交代の警備員がやって来るのだが、今日は少し遅れていた。

 交代時間が迫る中、ギリギリの時間に交代の警備員達が現れた。綺麗にアイロンが掛けられた紺色の制服を着た警備員達は笑顔で挨拶をする。夜勤で疲れた警備員達はようやく終業だと言う感じで彼等を迎え入れる。

 「ご苦労様です。主任のチェン=ウェインです」

 交代に現れたのはアジア系の外国人だ。人材不足の日本では警備員は主に外国人の仕事になろうとしている。正式な労働ビザを持って、入国した外国人はちゃんと身元調査の上、警備会社などに雇われる。現在、警備員として派遣されている者に日本人はほぼ居ないと思っても良いだろう。

 「あぁ、ここは初めてなんですか?」

 夜勤の主任は心配そうにチェンに尋ねる。事前に連絡があったが、本来、交代に来るはずの警備員達全員がノロウィルスに掛かり、勤務に就けないという事で、彼等が臨時で警備に就く事になったのだ。

 「マニュアルは本社で叩き込まれましたので、大丈夫ですよ」

 チェンは自信たっぷりの笑顔で答える。それを見て、夜勤の主任は安堵する。

 「そうですね。では、我々は帰りますので」

 夜勤組は日勤組と交代を完了して、帰路に着いた。

チェンは彼等を見送る事無く、すぐに警備室の司令台に座った。ここは全ての監視カメラの映像とセンサーの状態、無線管制が行なえるようになっている。言わば、警備の要だ。彼と部下の一人が手際よく、操作盤を操作して、警備状況をチェックする。すでに警備員達が持ち場に到着して、業務を始めている。

 「本社に警備の引継ぎが終った事を連絡した。さぁ、今日が始まるな」

 チェンは責任者用の椅子に座って、目の前にある大量のディスプレイに目をやる。そこにはビル中に設置された監視カメラの映像が流れている。その一つであるデパートの倉庫搬入口の映像にチェンは釘付けになる。

 デパートの朝の業務は商品の搬入から始まる。従業員の朝礼が終り、すぐにデパートの裏の搬入口からトラックによって、大量の商品が運び込まれる。日本全国から商品を持ち込む為に多くのトラックが搬入口に押し寄せる。商品管理部門の従業員はそれを手早く、倉庫へと並べ、検品していく。

 「これは、今度の催事場の展示物かぁ」

 運び込まれた大量の木箱。本来なら、ここで中身の確認も行なわれる。だが、運び込んだアジア系の作業員は商品管理部門の責任者に告げる。

 「これは大事な美術品なので、会場の設営が出来るまで開けないように契約でなっていますから、気を付けてください」

 責任者はメモを読んだ。確かに商品の注意書きにそのようなことが書いてある。

 「そうかぁ。わかったよ。このまま、奥まで運び込んでくれ」

 フォークリフトで次々と木箱が運び込まれる。その様子を監視カメラの映像で見ていたチェンは余裕の笑みを浮かべる。

 「ふふふ。順調だな」


 朝10時になり、デパートは開店する。入り口の前で待っていた客が次々と入ってくる。皆、待ち侘びていた瞬間だ。従業員達はよく訓練され、丁寧にお辞儀をして迎え入れる。警備員達もお辞儀をするが、不審者が居ないかを確認することを怠らない。少しでも不審な客や検査に引っ掛かった客が居れば、別室に移動して貰って、詳しく調べる。それは全て、誰もが安心して、買い物を楽しめるデパートを作るためにはこれぐらいのセキュリティシステムが必要だった。

 平穏なデパートの日常が過ぎていく。そうこうしている内に昼前の時間となる。デパートの中は多くの人で賑わっている。買い物を終えて、帰ろうとする人々。すると、デパートの正面入口が警備員によって閉められた。

 「どうしたんですか?」

 客の一人が気軽に警備員に尋ねる。きっと、防災訓練か何かだろうと思っているからだ。警備員は尋ねて来た客に振り返る。その瞬間、銃声が鳴り響く。それが合図だった。

 警備員が次々と懐から拳銃を取り出して、客や従業員を撃ち始める。その光景を監視カメラの映像で見ているチャン達。

 「ヤンさん、始まりましたね」

 チャンの部下は彼にそう告げる。その言葉にチャンはニヤリと笑う。

 「無駄口は後だ。防犯シャッターを降ろせ」

 「了解」

 1階から3階までの入口や窓を塞ぐために設置された防犯シャッターがゆっくりと降ろされる。

 部下がチャンの事をヤンと呼んだ通り、彼はテロリストのヤンだった。彼はデパートに警備員として潜り込むためにチャンという偽名を使った。無論、普通の警備会社ではこれは通用しない。だが、ヤンは事前にこの会社の内部に内通者を作り、ヤンを含む、テロリスト達が入り込めるように準備していた。

 「ふん、予定通りだ。日本人にしっかりと地獄を教えてやれ」

 ヤンは館内の社内ネットワークを利用した通信システムで、警備員に扮したテロリスト全員に指示を与える。彼の指示に従って、警備員達は客や従業員を次々と撃っていく。館内に銃声が鳴り響く。床には人が転がり、血が飛び散った。恐怖に怯える人々の叫びや嗚咽が聞こえる。ビルの中は恐怖が支配した。

 ヤンは倉庫の監視カメラを見た。倉庫の中でも銃声が鳴り響く。そこで働く従業員達が射殺されていた。倉庫内を制圧した警備員達は運び込まれた催事用に持ち込まれた木箱へと近付く。

 「こちら、倉庫です。ブツは確保しました。これより、梱包を外して、使えるようにします」

 彼等は携帯端末でヤンに連絡をした。

 「手早く頼む。すでに警察は動いているからな」

 ヤンがそう答える頃には部下達によって、木箱の蓋が開けられ始めていた。

 「ひゅー、すげぇな」

 部下達は木箱の中で見た物は自動小銃やロケット砲、大量の爆薬などだった。これだけの量は並大抵ではお目に掛かる事が出来ないだけに部下達は驚いたのだった。


 南武セントラルビルからの通報が相次ぎ、警察が動き始める。付近をパトロールしていたパトカーがすぐにビルの前まで到着する。パトカーから降りた警察官達はデパートの前に集まる人々の姿を発見した。人々も警察官の姿を見ると、駆け寄って来る。

 「な、中で妻がっ」

 人々は恐怖とパニックで警察官に掴み掛かりそうな勢いだった。

 「安心してください。あとは警察が対応します。ここは危険ですので、安全な場所まで誘導しますから、どうぞ、一緒に来てください」

 警察官達はまずは人々を安全な場所まで連れて行く事を最優先させた。その間にもビルからは銃声らしき音が聞こえる。警察官達は不安を感じながらも一般人の避難をさせつつ、警視庁指令センターへの連絡を行った。


 警視庁では大騒ぎになっていた。情報はすぐに警視庁総監まで上がり、彼は緊急事態として、対策本部の立ち上げを命じた。同時にこれをテロ事案として認定して、CATに対して出動を命じた。すでに現場周辺には指令センターからの緊急配備によって、多くのパトカーが集まり、規制線が張られていた。集まりだしていたヤジ馬やマスコミは警察官によって遠退けられる。

 警視庁では対策本部が設置された。東田はその対策本部の責任者として着任する。無論、警視庁上層部は別に会議室に集まり、政府や関係各所との調整などを行っている。東田は即座にCAT作戦課の課長を呼び出した。

 指令センターからの命令で待機状態に入っていた作戦課の課長室で情報収集を行っていた室田課長は東田からの指示を受ける。

 「部長からの命令だ。状況に備えろ。私は対策本部に出頭する」

 室田はムサシにそう告げるとオフィスから飛び出す。ムサシもすぐに作戦課待機室へと向かった。ムサシが待機室へと入ると同時に副官のアザミが敬礼をする。同時に室内に響き渡る声で号令を掛ける。

 「全員、傾注」

 タマ達は慌てて、ムサシの前に整列をする。だが、彼女達の整列を待つ事無く、ムサシは話を始めた。

 「現在、南武セントラルビルにて、テロ事案が継続している。すでに調査課が先行して、現場へと入っている。我々は指示があるまで、第一種警戒態勢を維持する。総員はいつ、突入が命じられても良い様に常に突入計画を頭に叩き込むようにしろ。私もこれから作戦課指揮本部を連れて、現場に向かう。こちらは副官のアザミに任せる。いつ、状況開始が命じられても動けるように備えろ。以上」

 ムサシの命令で室内の緊張感が一気に高まる。


 ビルの周辺は機動隊なども動員されて、半径1キロで規制線が張られる。その規制線の中にCATの車輌が次々と入ってくる。それらはビルから見えないように近くの路地に並ぶように駐車された。バスから調査課所属の職員やヒューマアニマルが降りてくる。最後に調査課課長の井坂が降りた。

 「猫共は現場指揮所の設営だ。捜査員は所轄などを使って、周辺から情報を集めて来い」

 井坂の命令で一斉に動き出す部下達。

 運び込まれた指揮車と呼ばれる大型観光バスを改造した車両に電源車から電力供給がなされる。中では5匹のヒューマアニマルのオペレーターが端末を前に作業をしていた。並んだ端末の奥には大型ディスプレイなどが並び、卓型ディスプレイを囲むように作戦課指揮本部の課員が座れる場所が設けられている。ここで現場の作戦指揮が全て執り行われる。

 機材搬送用トラックから調査課のヒューマアニマル達が手際よく、観測用機材を降ろしていく。その多くは現場を観測する為に用いる機材だ。それらを担いで、ヒューマアニマル達が現場周辺を駆け回る。ビルに近付くと、彼女達は警戒する。特に気を付けるのは監視カメラだ。テロリスト側に知られてはいけないからだ。犯人に発見されてしまえば、交渉において、不利になるのは間違いがないからだ。慎重に設置された機材からはすぐにデータが指揮車へと送信される。そのデータをオペレーター達や搭載されたスーパーコンピュータに搭載された人工知能が分析を始める。


 室田が到着した頃には全ての設営が終っていた。彼の部下達が指揮車などに乗り込む。

 「室田さん、お待ちしていました。猫は?」

 設営を指揮していた調査課の井坂が室田にそう声を掛ける。

 「こちらに向かっている。それで、状況は?」

 室田は指揮車の最後部に乗り込み、井坂に尋ねる。

 「うちの方で周辺を探ったけど、意味は無いな。刑事部の捜査待ちだよ」

 井坂は諦めたように答える。

 「なるほど。中の方はこれからか?」

 「今、分析中だ。ただ、あまり良い感じじゃないな」

 井坂はオペレーター達を見て言う。

 

 指揮車の情報はリアルタイムに警視庁の対策本部にも流れる。東田はそれを見ながら忙しそうにしている。彼の周りに居る者達も自分達の部署との連絡などに忙しい様子だ。

 「内部の情報が少ないな。観測方法などの再検討を命じろ。それと犯人との交渉を開始したい。接触を図れ」

 東田は調査課の井坂に命ずると、彼はすぐに交渉担当者の警部に交渉を始めるように命じた。指揮車の中には交渉用の座席が用意されており、ここには様々な手段で交渉が行えるように機材が配置されている。

 「すぐに犯人グループとのラインを確保しろ。可能なら、即座に交渉を開始したい」

 交渉担当者はオペレーターにそう指示を出す。この交渉には事件解決の為の交渉以外に内部情報を多く獲得するという目的があった。オペレーターは未だに内部でどのような犯行が行われているか解らないビルに対して、様々な通信手段を試し始めた。


 事件発生から1時間が経過する。状況は一向に変わらず、ただ、時間だけが過ぎていた。内部の状況を観測していたオペレーター達だったが、あまりの情報不足に手詰まりとなっている。同時に内部との交渉を図っている交渉担当者も一切の手掛かりを掴む事も出来ずに最後は大型スピーカーによる呼び掛けを続けるしか方法が無くなっていた。

 現場からの報告を聞いているしか出来ない東田も苛立ちながら、ただ、待つしか無かった。ここで下手に動けば相手の術中にハマる危険性が高いのは誰もが承知である。だが、時間が過ぎれば過ぎただけ、中の人質の生命が危険になるのも解っていた。冷静でありながら、何かの突破口が無いかを探る努力を誰もが尽くしていた。

 「中の様子がまったく窺えないとは・・・」

 失望したように東田は呻く。この状況に陥った原因は最新鋭の高層ビルが警察の想像を超えていたからだ。ガラスや外壁は振動などを抑える工夫がされている為にコンクリートマイクやガラス振動マイクなどの振動を検知する機器が無効化された。断熱を重視した構造のためにサーモグラフィでも中の温度などを検知が出来ない。そればかりか、排気ダクトなどからの無人偵察機や小型カメラの侵入も、幾重にも設置された外部侵入防止設備によって、阻まれてしまっている。これにより、ビル内部の情報はまったく、得られる事は無かった。

 「くそっ・・・警備会社の方は?」

 東田は警備会社の家宅捜索を行っている刑事部に尋ねる。刑事部部長は報告書を眺めながら答える。

 「刑事部からの報告ですが・・・本来ならば、ビルの警備情報は警備会社の方で全て把握する事が出来るシステムが構築されているはずですが・・・。現在、通信が完全に遮断されてしまったようです。警備会社のエンジニアにはがんばって貰っていますが、復旧は困難だと思われます」

 その言葉に東田は愕然とする。

 「状況は解った・・・。ただ、警備会社にこの事件を手引きした連中が居るかも知れない。すぐに調べさせろ」

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