第2話 予兆

 新東京のとあるスラム街

 古びた建物の間を一人の男が通り過ぎる。彼は特にサングラスやマスクなどはせず、ニヤニヤとしながら、汚れた路地を歩く。ここには平然と強盗を働くような輩も多いが、それを気にする様子も無く、慣れた様子で彼は路地の奥へと入って行く。彼は路地の奥にある建物の前で足を止める。その建物の前にはホームレスが座っていた。蝿が集るような悪臭を放つホームレスに男は声を掛ける。

 「よう、暇そうだな?」

 ホームレスは男を一瞥すると煙草を要求するように左手を口元に持っていく仕草をする。それを見た男は懐から煙草を出して渡す。男は何も言わずにそれを受け取ると、今度は火を要求するように振る。男はポケットから使い捨てのガスライターを取り出し、火を点ける。ホームレスはその火で煙草を炙り、口元に運ぶ。煙草を一回、深く吸い込んで、ゆっくりと煙を吐く。煙草の煙がフワーと広がる。

 「あんた・・・ヤンさんか?」

 「あぁ」

 ホームレスの問いに男は答える。

 男は大阪を脱出したヤンだった。彼は仲間と共にこの新東京都へと移動していた。

 ホームレスは相手がヤンだとわかると、咥えていた煙草をアスファルトに捨てて、踏み潰す。そして周囲を一瞥してから、彼を路地へと招く。

 雑多に建物が建つ路地は複雑に入り組むがその先に古びた倉庫があった。ホームレスは倉庫のシャッターの鍵をポケットから取り出した鍵で開く。そしてガラガラと五月蝿い音と共にシャッターを上に押し上げた。それほど大きくない倉庫の中には大量の木箱が雑多に置かれていた。

 「入ってくれ」

 ホームレスに言われて、ヤンは倉庫の中に入る。すぐにシャッターが降ろされた。そして、中の電灯が点く。古びた蛍光灯の薄明かりが倉庫内を照らす。

 「道具の状態は?」

 ヤンの問いにホームレスは木箱の一つを開く。その箱には56式槍銃。中国製のAK47自動小銃がぎっしりと収まっている。ホームレスはその内の一挺を取り出す。機械油が全体に吹き掛けられていて、ベトベトする感じだ。ヤンはそれを受け取る。コッキングレバーなどを動かして、銃の調子を見る。

 「錆なども無いな。これだけの銃をよく持ち込めたもんだ」

 ヤンの問いにホームレスは含み笑いをする。

 「日本は人口減少によって、穴が広がっていますから、その隙を狙えば、どんなブツでも持ち込めますよ。それはあんたらだって、知っているだろ?」

 「そうか、それと爆薬は?」

 ホームレスはさらに奥にある箱を示す。

 「中国軍が保管していた軍用の爆薬だ。これだけあれば、ビル一個ぐらい余裕で吹き飛ばせるぜ。あんた達は一体何をしでかすつもりだ?」

 ホームレスに言われてヤンはほくそ笑む。

 「ふふふ。観客は筋書きを知らない方が楽しめるってもんだ。まぁ、日本人に地獄って奴を一度、ちゃんと見せてやらないとな・・・。あいつらは無人兵器ばかりで、戦争をゲームか何かと勘違いしてやがるからな」

 ホームレスはそう聞いて、大笑いした。

 「楽しみにしておいてくれ。じゃあ、鍵をくれ」

 ヤンはホームレスから鍵を受取る。

 「あとは好きに使ってくれ」

 ホームレスはそう言うと、その場を後にした。ヤンは彼を見送った後、じっくりと木箱を確認していく。中に入っている銃器を手に取っては、満足そうに見詰める。


 そんなことが都内で起きているとは知らず、タマ達は10キロランニングに励んでいた。10キロランニングは隊員にとっては当たり前の日課だった。その距離を走り切るのは当然で、時間まで指定されている。並の人間なら厳しい基準だが、多くのヒューマアニマルにとってはそれほど難しい基準では無かった。

 「はぁはぁはぁ。スズにゃ。そんなスピードでは意味が無いにゃ」

 「タ、タマ先輩にゃん。速過ぎるにゃん」

 CATの隊員は体を鍛えるのは基本だ。同じヒューマアニマルの一般警察官以上に高い身体能力を有していないと意味が無い。一定の身体能力が維持されていなければ、すぐに配置転換となる。それはCAT隊員にとっては屈辱的な事だった。現在でこそ、配置転換などの処分だが、3年前までは廃棄処分が普通だった。ただし、これは動物愛護の観点から間違っていると、市民団体が抗議した事から、配置転換など、生命を奪わない方法となった。日本は深い戦争の爪痕を残すものの、高い経済力と文明によって、まだ、動物愛護などの力は残っていた。


 警視庁総監を乗せた車は警視庁本庁舎を目前に停車した。

 「何事かね?」

 総監が尋ねると、助手席に乗るSPが答える。

 「動物愛護団体の連中です。ヒューマアニマルの権利を求めてのデモですよ。今、機動隊が道を開けますので、お待ちください」

 「そうか・・・あまり無理はさせるなよ。ケガでもされたらまた、揉めるだけだ」

 警視庁の前では動物愛護団体が抗議活動をしている。彼等はヒューマアニマルが不当に厳しい労働を課せられていると訴えているのだ。警視庁総監は彼等を見て、嫌な顔をする。

 「ったく。人間の代わりに彼女達が働いているって言うのに・・・」

 抗議団体を横目に車は警視庁の地下駐車場へと入っていく。


 スズが入庁して、1ヶ月が経とうとした。

 彼女はかなり慣れた様子で、すでに他の隊員と遜色が無いほどいなっていた。それはパトロールの時にもそれは垣間見える。ちょっと前なら、事件を発見すると、無闇に飛び出す感じがあったが、最近は慎重に状況把握に努めるようになってきた。これなら将来はナナの代わりにポイントマンになれるとタマは思った。

 「スズにゃ。周囲の警戒を頼むにゃ」

 タマはスラム街に逃げ込んだ強盗団の一人を捕まえた。男は抵抗するも、ナイフをタマに殴り飛ばされて、今は地面に伏せた状態に圧し付けられていた。彼を残して逃げた犯人達が彼を奪還する為に戻って来ないとは限らないので、タマはスズに周囲の警戒を厳にするように命じる。

 スズは拳銃を構えて、周囲を見渡す。その動きは鍛え抜かれた感じで、隙が無い。タマは安心して、周囲の警戒をスズに任せて、捕まえた男に手錠を掛けた。スズが周囲を警戒しながら、次の指示をタマに仰ぐ。

 「他の奴等はどうするにゃん?」

 「本部に連絡を入れて、引継ぐ。それで私達の仕事は終りにゃ」

 「わかったにゃん。そいつをパトカーに乗せるまで援護するにゃん」

 スズの動きが良くなったお陰で仕事はスムーズに進むようになった。タマはそれだけスズの成長を間近で感じていた。


 タマ達が待機室に戻ってくるとクロが彼女達を呼ぶ。

 「パトロールご苦労。強盗を捕まえたらしいな」

 「はいにゃ。近くのコンビニを襲った3人組の内の一人を確保しましたにゃ」

 「そうか。すぐに報告書を作成してくれ。それと新たな命令が指揮官から発令された。第一種待機命令だ。暫くの間、パトロールは無しだ。いつでも出動が可能なように待機室にて待機だ」

 「第一種待機命令にゃ?何かあったのですかにゃ?」

 タマは驚く。第一種待機命令は突入作戦用の装備を装着したまま、待機室にて待機する事を言う。これはすでにテロ案件が発生しているか、または、その可能性が非常に高い場合に発令されるからだ。

 「あぁ、神戸の方でかなり大きなテロがあったようだ。こっちでも同様のテロがある可能性があるから、それに備えろってよ。すでに機動隊は要所警備に狩り出されたらしい。かなり、忙しくなっているみたいで、庁内が慌ただしいよ」

 「わかったにゃ」

 タマ達はすぐに警察官の通常の制服から特殊作戦用の戦闘服へと着替える。そして、待機室にて、彼女達はただ、じっと待機しているだけとなった。


 作戦課が完全に待機状態に入った頃、CAT部長の東田は次々と寄せられる情報を整理するのに必死だった。第一種待機命令が出される原因になったのは神戸で起きたテロだった。神戸は壊滅した大阪に代わって、関西の中心地として栄える街だった。神戸は戦争での爪痕が少なく、戦後は急激な発展を遂げたが、大阪と接している事から、多くの犯罪者が流れ込む場所となりつつあった。兵庫県警はそれを防ぐために躍起になっているが、巨大な魔窟と貸した大阪は無尽蔵に周辺の都市に犯罪者を送り出しているようなものだった。

 「調査課はすぐに神戸と連携を取って、テロの詳細を集めろ」

 東田の命令でCATの頭脳と呼ばれる調査課の課員達は慌しかった。彼等の多くは人間である。ヒューマアニマルの知能は決して低くは無いが、彼女達を指揮命令系統にはあまり配置しないという慣例があるからだ。これを揶揄して、上層部を『飼い主』と言う者も人間、ヒューマアニマルの間には存在する。

 すでに神戸の事件から数日が経つが、未だにテロ実行犯の足取りは掴めず、集まってくる情報の多くも信憑性の低い物ばかりだった。この事に東田は苛立ちを感じている。

 神戸の事件では自爆テロだった。数人の男女が地下鉄の駅構内や、電車内で自爆した。死傷者は数百人に及び、地下鉄は暫くの間、一部運休という形になった。

 昨今のテロの危険を考えて、このような公共交通機関ではテロ対策が施されていた。それはX線や金属探知機から、爆弾や可燃物特有の臭いを検知する装置や、訓練された犬を用いた取締だ。この徹底したチェックを犯人がどのようにしてすり抜けたか。それがまだ、判明していなかった。

簡単に自爆テロを許すはずがなかったのに、それを許してしまった。これは兵庫県警の失態だろうか。それを調査するのも彼の部下の仕事だった。だが、集まってくる情報にはろくな物が無かった。兵庫県警が失態を隠しているとも思われるが、テロリスト側が何か良い方法を編み出したと考えるのが普通だろう。これを解き明かさないと、自爆テロは新東京でも起きる可能性があった。東田はその辺を留意しつつ、都内でのテロを防ぐための命令を次々と指示する。

 「とにかく・・・不法入国者の動きに注意しろ。どんな手を使っても構わない」

 東田の指示に調査課の倉田課長は敬礼をして、自分のデスクに戻る。


 テロの捜査及び対応がなされている間、作戦課は暇そうにしていた。実際にテロが起きない限り、出動が掛かることが無い。それはただ、退屈な時間だけが過ぎるだけだった。

 「退屈なのにゃ。ゲームも出来ないなんて横暴にゃ」

 タマが待機室でゴロゴロしている。待機室内は機密保持のためにネットワークも遮断されている為、基本的にやる事は無い。皆、板状端末に予め入れておいた本などを見て、過ごすか、待機室に

 「タマ、五月蝿い。後輩に示しをつけろ。待機中は一切の私事は禁止だ」

 クロが怒鳴る。他の班の隊員から笑いが起きる。

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