第3話 ラーク
「あんな、わしさっきトラックにドーンってぶつかられてなあ、きいついたらわけわからんとこにおんねん。これどういうことやねん、ほんま。わけわからんわ。あんた飲みすぎてへんなもんみてるんちゃうのって言いますけどな、ほんならカワサキ屋んとこのタイショーに聞いてみいや。あそこはなんぼでも酒出すとこちゃいまんね。しゃーんと、節度持って飲むとこでっしゃろお。ホッピーしか飲んどらんで。なか5杯や。ほんなもんで酔うアホやないでえわしはあ。なんやねえちゃん、わしの話わからんか?わしかて今はこんな歯ないけどなあ、昔は町内放送やっとったんやでえ。そらえらい評判やったで。あんた聞いたことない?あの三丁目の?」
「あの、聞いたこともないですし、あなたどこから来たの?聞きなれない方言ね」
「せやからさっきからゆうとるやないの。大阪やって! あんた知らんの? めずらしなあ。阪神タイガース。阪神タイガースや!」
「ユートルヤナイノ・オーサカ? そんな国この近くにあったかしら……?」
「なんやあんたあ、べっぴんさんやのにアホなんか? もったいひんなあ」
「まあ! おませさんなのね。でもあなた、お父さんやお母さんは?誰か大人の人と一緒じゃないの?」
「せやからわしゃカワサキ屋でひとりで飲んでたんや!あそこに母ちゃん連れてってみい、そらえらいことになんでえ」
「とにかく、あなたみたいな小さな子どもが、こんな森の奥を一人で歩くのは危険だわ。お姉さんが街まで連れて行ってあげるから。教会もあるから、そこまで行きましょう? ね?」
「小さいゆーなって! これでも150あるん……」
わしは改めて周りを見渡し、気づいた。この女、デカすぎる。
いや。
自分自身の体が縮んでいるのだ。手も足も、いつもより小さい。肌も潤いがあって、これではまるで4歳児だ。
「なんやこれ……わし、ほんまに夢見とるんやろか」
自分の腕や足をつねってみたが、酔いが醒めるくらい、ものすごく痛かった。夢ではないらしい。
ふと、目の前の女の腰元に目が行く。今まで酔っていて気がつかなかったが、ベルトには短剣を二本携えていた。鞘も金属で出来ていて、値打ちがありそうだった。ブーツも西洋風だし、金属の重そうな鎧まで着ている。装備は全て磨かれていて、ツヤツヤと木漏れ日を反射していく。ビリケンさんもびっくりなこの女の装いを見ているとさらに酔いが醒めてきた。
そして次の瞬間、自分の人生でいちばんの衝撃が訪れる。
短剣の鞘に映る自分の顔が、幼い少女になっているのだ。
「なっっっっんやコレェ!? わし、なんやァこれ!??」
驚愕で上手く言葉が出ない。
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「うーん。面白いんだけどね」山口は煙草の煙を吐き出しながら言う。「なんかこう、大阪のネタが薄いっていうか。というか、おまえ、こういうのをあんまり書かないだろ。書き方がはちゃめちゃだぞ」
午後の喫茶店。担当編集の山口が指定したのは、神保町駅近くの昭和レトロで良い雰囲気の店だった。少し暗めの店内に対して、窓の外は夏真っ盛りの日差しが道路に刺さり、コントラストが強い。
艶のある木製のテーブルの上には、二人分のアイスコーヒーと僕の短編小説を印刷した二枚の紙が乗っている。
僕は音楽情報誌に短編小説の連載を持っている。バンドファンやミュージシャン向けの月刊誌で、それなりに売れているようだが、僕の連載は一ページの半分しかなく、読者がいるのかもわからないほど目立たないものだ。売れない作家なので仕方がない。
この原稿は昨日の夜、思いつきで書いた。大阪生まれの中年が、異世界に転生してしまう、という内容だ。いつもの自分では絶対に書かないような文体で、自分でも何故書いたのかわからないような物語だった。
山口はそれを一気に読んだ。一気に書いた短編だから、一気に読んでもらって構わない。
「なんでこういうの書いてみようと思ったわけ? 樫村らしくない」
「僕にもわかりません。突然ひらめいたんです。こういう明るいものもたまには書きたいのかもしれません」
「そうか」山口はまた煙草に火をつける。「でもなあ、おまえの良さがでてないよ」
「良さ、ですか」
「樫村は暗いストーリィのほうがあってると思う。いつものようにドロドロしてるやつ、頼むよ」山口はそう言って原稿を返してくる。
「でも、今からだと締め切りが……」
締切日は五日後だ。売れない作家が締め切りを守らないのは気が引ける。
「大丈夫だって。なんなら、ネタをやろうか?」山口は唇を斜めにした。彼が下世話なことを考えているときによくする表情である。「知り合いのバンドマンの話なんだけど」
「そういうのばかりだと、読者も飽きませんか? 先月もバンドマンの女関係の話でしたよ」僕は顔をしかめる。先月はバンドマンと二人の女の三角関係を題材にした。これもまた、山口から聞いた実話が元になっている。
「今回はちょっと違うんだ。ある意味、色恋じゃない。ストーカされてたって話なんだよ」
「ストーカですか。やっぱりあるんですね、音楽業界にも」
「業界って言ってもそいつがまだ売れてない時代、デビューもしてないときだ。そいつは……仮にAとしよう。Aはあるバンドのベーシストだった。他のメンバはいい男ばかりで、Aはどちらかというと目立たない、地味なタイプだったんだ。どうして自分が被害に遭うのかわからなかったそうだよ。
ある日、バイト終わりにスタジオへ行く途中、後をつけられてる感じがする。スタジオ練習が終わり、自宅に帰る時も後ろに人の気配がある。二週間ぐらい、それが続いて、ある夜、帰宅してポストを開けると、自分宛の手紙が入っていたんだ。住所も消印もなく、封筒には自分の名前だけ。開けてみるとストーカからの愛の告白が書かれていた。いつも見てますって。Aは怖くなってその手紙を処分したそうだ。メンバに相談もしたけど、彼らはそんなこと日常茶飯事だから気にするな、と。でもAはずっと恐怖を感じていた。結局、バンド活動を辞めて、音楽から足を洗ってしまった」山口は一通り説明すると、ため息をついた。一気に話して疲れたようだ。
聞いている僕も疲れた。というかこの話、どこかで聞いたことがある。いつだったろうか、確か大学生時代、山口と出会った頃……
「あ!」僕は急に大声を出してしまった。「この話って、山口さんの実体験じゃないですか! たしかそのストーカ、その手紙一度きりで、あとは何も無かったんですよね。書いて良いんですか」
「バレちまったか。もう忘れてると思ったのに」
「でもどうして? 僕にそのネタをくれるなんて……」
「実はな、最近この時のバンドメンバーと再会したんだ。良く行ってたスタジオのオーナーの葬式があって。変わっちまってた。俺ももう四十だもんな。あいつらももれなくおっさん化が始まってたよ。やっぱり業界を離れると老化が進むのかもな。あの頃散々吸ってたタバコもやめてたよ。喉に悪いからやめろって言ってたのに吸ってたボーカルも」山口は煙草に火を点けた。自分の喉は良いのだろうか。「で、だ。あの時のストーカについて話題になった。あれは実は、俺らがやったことなんだって」
「え? メンバがストーカだったんですか?」
「そう。あいつらは俺が自分だけモテないモテないってうるさいから、一度そういうことがあれば自信がつくんじゃないかって。ライブのパフォーマンスも変わるんじゃないかと思ったそうだ。でも実際俺は怖気付いて、バンドを脱退した。みんな打ち明けるタイミングがわからなかったんだと。なんだか悔しくなってさ。できればおまえに書いてもらって浄化させたい」
山口は煙草を灰皿に押し付けた。煙が薄くなって立ち消えていく。
「はあ……わかりました。とりあえず今日帰ってから書いてみます」
「じゃあ、そういうことで」山口は立ち上がり伝票を手に取った。
「あ、ごちそうさまです」僕も立ち上がり、二人でレジに向かう。
喫茶店を出た途端、猛暑を思い出した。店内は空調が効いていて寒いくらいだったのに、外はこんなにも蒸し暑い。
「それじゃ、また書きあがったら連絡して。明々後日くらいには確認したい」
「はい。頑張ります」僕は出版社へ帰る山口を見送る。
少し離れたところで彼が振り返った。
「そうだ、俺の喋り方、関西弁にしたっていいぞ!」山口は悪戯っぽく笑って手を振り、また向こうへ歩き出す。
僕は無言で手を振り、駅へと向かった。
心の中には付き合ってられないと呆れた気持ちと、寂しい気持ちが内在している。バンドを辞めたことに後悔はないのだろうか。僕が小説にしたとして、浄化されるものなのか。
改札に着き、ICカードを取り出すため鞄を開けた。
原稿に染み付いたのか、煙草の匂いがする。昔から変わらない山口の匂いだ。
彼と出会ったのは大学時代のことだ。僕は軽音楽部の友人のライブに誘われ、ライブハウスに来ていた。同じ学部の同級生や、卒業生が集まる中、ひときわ目を引く男が彼だった。その辺の若者とは違う印象で、いかにもバンドマンという雰囲気だった。その後の打ち上げで、彼が話しかけてきた。酔った彼は僕の帽子やカーディガンを貶しまくる。僕が「自分だって同じようなの着てるじゃないですか」と反論すると、彼は「これは良いものなんだよ」と、様々なブランドについて語った。
それからしばらくして、下北沢の古着屋で彼と再会した。ちょうど彼から教えてもらったブランドのシャツを探している時だった。僕が先に気づき、僕に似合う服を選んでください、と声をかけた。彼は自分のファッションセンスを当てにされて嬉しかったのか、そのあと喫茶店でコーヒーを奢ってくれた。それから、僕たちは月に何度か会うようになった。僕は彼のファッションを真似するようになった。僕の就職相談にも乗ってくれて、僕の処女作を一番に読んだのも彼なのだ。
あれから十数年が経った。見た目は少し老けたが、彼は今でも音楽が好きだし、下北沢の古着屋にも行く。僕はそんな彼が好きだ。脱退する前にライブを見ていたらきっとファンになっていただろう。
学生時代を思い出しながら階段を降りていった。最下階まで降りて半蔵門線のホームにたどり着き、電車を待つ。
彼のことは、なるべくかっこよく表現したい。
僕はもう一度鞄を開けて、彼の匂いを嗅いだ。
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