第823話 その25

 ミランダは洞窟の中にいた。

 遠くには月明かりに輝くオアシスと街がみえた。

 自分の手は子供のそれだった。細くて小さい手。指先が赤くなっている。


 また、この夢か……。


 数限りないほど見た夢。

 夢の中でミランダは、過去を、はるか昔を思い出す。


「ニーニャが熱を?」


 締め切った暗い部屋でミランダは、外で交わされる両親の話を聞いた。


「妹が熱を」


 呪い子になって部屋の一室に隠されたミランダは、弱弱しくつぶやく。

 私のせいだ。

 呪いが……妹を、家族の幸せを、奪おうとしている。

 しばらく声を殺して泣いたミランダは、袖で涙をぬぐい、ごくりと唾を飲んで立ち上がった。

 サッと立ち上がった彼女は、妹の看病に忙しい家族の目を盗んで氷室へと進んだ。

 分厚い麻布のバッグを手にして、彼女は詰められるだけの氷をバッグに詰めた。

 ズシリと肩に食い込むバッグの紐と、足に当たったひんやりとしたバッグの感触を昨日のように憶えている。

 ミランダはその足で、街を出た。

 月明りは暗闇を照らしていた。

 野良犬と目があって、いつもは怖い犬の瞳が可愛く見えた。

 吠えることなくジッとミランダを見つめる野良犬の瞳を憶えている。

 そこから砂漠を大股で歩いて進んだことも覚えている。

 ザクリザクリとした砂の感覚も。

 そうしてたどり着いた洞窟。


「ぐずっ」


 夢の中で、ミランダは鼻をすすった。

 洞窟から見える風景は綺麗だった。砂漠も、オアシスも、街も。

 家族だけの秘密の場所で、ミランダはバッグから氷を取り出し齧りつく。

 お父さんは怒るかな。

 お母さんも怒るかな。

 げんこつされるかな。

 げんこつされないかな。

 子供の頃の思い出を、思い返す。

 氷を齧りながら考えた事を。


「だけど両親は来なかった。朝日が昇っても。私の望みそのままに」


 そしていつものように夢が覚める言葉を口ずさむ。

 だけれど、今回は夢から覚めない。

 それどころかありえない事が起こった。

 それはユラリと光るランタンから始まった。

 ランタンの持ち主は父親で、彼は砂漠を歩きながらミランダへと近づいてくる。


「やーっぱりこんなとこ居たか!」


 父親が子供のミランダへと近づいて声をかけた。

 夢で見る事がなかった父親の顔は、思ったより優しそうで、懐かしい顔だった。


「お姉ちゃん!」

「心配しすぎよ。もぅ」


 妹に、母親も一緒だった。

 そうだった。

 妹は……ニーニャは母親似だった。母親の顔はとても綺麗だった。


「皆!」


 夢だとわかっていてもミランダは叫ばずにいられなかった。

 ミランダは我を忘れて家族へと駆け寄った。


「どうしたんだ! まったく氷をこんなに盗んで。本当に大泥棒だな」


 ミランダを父親はギュッと抱きしめた。


「私、呪い子なんだよ。皆を不幸にしちゃう!」


 ゲラゲラと大笑いする父親にミランダは言った。

 夢の中であっても、家族を不幸にさらしたくなかった。

 妹には元気でいてもらいたかった。


「そんなことか。呪い子は終わっちまっただろうに」

「終わった?」

「聖女ノアサリーナ様に、リーダ王子が、天の蓋を壊してくれたろう」


 父親は笑顔でミランダにげんこつすると、夜空を見上げた。

 そこに天の蓋は無かった。

 いつからかはわからない。

 夢の中で、ミランダは空を見なかったから。

 そしてミランダは帰路へとつくことになった。家族と一緒に。

 最後尾から家族全員を見つめて歩くミランダの足取りは軽かった。

 月明りが金色の砂漠に作る長い長い影も愛おしかった。


「そういえば知ってる?」


 帰り道、先頭を進んでいたニーニャが楽し気な声をあげて振り返った。


「なんだなんだ?」

「私たちのお姉ちゃんは英雄だってこと。ノアサリーナ様と、リーダ王子と一緒に戦ったんだって」

「まぁまぁ、本当に?」

「本当よ! ね、お姉ちゃん!」


 夢だから滅茶苦茶ね。

 ミランダは現実感の無さに戸惑いつつも「もちろん!」と返した。


「諦めなくて正解だったろう?」


 そんなミランダの背後から声が聞こえた。

 忘れる事のない声だ。


「師匠?」


 振り返ると、そこにはミランダの師匠がいた。

 そうだった。

 現実では、家族の迎えはなくて、代わりに師匠が姿を見せたのだ。

 褐色で白い長髪を後ろで束ねた男装の魔女が。


「あぁ、お前の師匠だ。私は、私が、正しい選択をしたと知って嬉しい事このうえないよ」


 師匠は抑揚の無い声で言った。


「師匠、私は……」

「なんだ? 転生の魔法陣に私を巻き込んだことかい? いまさら謝ろうってのかい? あんなのはどうでもいいことさ」


 笑顔の師匠はつまらなさそうに言い放つ。


「え?」

「あれは呪い子の側で囁く悪人の仕業だって判明していた。それは私たちクロイトス一族の研究で判明済みだ。まぁ、だけどね、謝るなら聞こうじゃないか。私が常々言っていたことを忘れてしまったという謝罪なら受けてあげよう」


 常々言っていた事は忘れない。


「師匠は言っていましたね。死は恐れない。自分の死すら研究しよう、死の寸前まで。私が死ねば次のクロイトスはお前だ。今度はお前がクロイトスを引き継ぎ、弟子をとればいい……と」

「あぁ、そうだ。死しても、離れても、我らの師弟関係は終わらないのさ。面倒な事にね」

「面倒ですか?」

「当たり前だろう? 私は研究に忙しいってのに、どこにいてもお前の師匠として振る舞わなければいけない。これ以上の面倒はないというものさ」

「そうですか。そういうものですか」

「これも常々口にしていたことだけどね。まぁ、いいさ。ということで、難しい話はこれで終わりだ。さっさと皆で帰ろう」


 師匠に促されて再び前を向いた。家族がミランダを待っていた。

 夢というのは不思議だ。幻の世界とはいえ家族と師匠に再会できるとは……。

 ミランダは予想外の幸せをかみしめる。


「ミランダは本当に許せないんだから!」


 そして、さらにはノアサリーナにも再会するなんてね。

 遠くで喚く少女をみてミランダは笑う。

 夢の中でリーダ達はずっと先を歩いていた。ミランダに気づくことなく、旅装の彼らはとても楽しそうだった。

 それからしばらく砂漠の散歩は続いた。

 だけれど何事にも終わりがあるもので、ついにミランダ達は街へとたどり着く。


「師匠!」

「まったく、どこ行ってたんだ!」


 街へと入る門の前にはシェラとジムニが待っていた。


「お前は呪い子として生きたが、2人の運命は変わった。お前は2人の人生を救ったのさ。お前の望み……そのままに」


 トンと師匠がミランダの肩を押した。それに促されて、ミランダは家族をかきわけて前に進む。


「ミラ、元気でな」

「またね、お姉ちゃん!」

「体に気を付けるのよ」


 家族の言葉を背に受けて、ミランダが2人の前に立った時。

 彼女の姿は大人に戻っていた。

 そしてほどなくして夢から覚めた。

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