第824話 その26
「また出かけるの?」
朝食時、シェラが声をあげた。
「知り合いの魔導具を修理することになったのよ。少し時間がかかりそうだから、明日も出かけることになるわ」
スープを口に運びつつミランダは答える。
干し魚を具にした砂色のスープは氷の浮く冷たいもので、とても手が込んでいる。
ほんのりと潮の香りがするそれは、シェラの家族が用意してくれたものだが、ミランダにとっては懐かしい味だった。
「師匠でも、何日もかかるのか?」
「魔道具はとても繊細なものなのよ、ジムニ。とくに今回は修理。新しく作るよりも手間がかかる」
「新しく作るよりも?」
「えぇ。古い魔導具は特に。過去の作者が込めた想いを読み取って、それを理解する必要があるのだから」
「じゃぁ、師匠が新しく作ればいいよ! そしたら、すぐに終わっちゃう!」
パンをちぎりながらシェラが元気な声をだす。
素晴らしい考えを思いついたとばかり、彼女は得意げだった。
「それだと冷たい魔導具になってしまうわ。私は優しい魔導具を作れないから」
「師匠は優しいよ!」
シェラの言葉にミランダは微笑むと、食事を終えて出かけることにした。
「午後には稽古をつけるつもりだから、そのつもりでね」
出かける前にミランダが残した言葉を聞いて、ジムニは嬉しそうに、そしてシェラは「うへぇ」と小声で答えた。
それから同じような日が何日も続いた。
稽古半分、魔導具の修理半分の日々だ。シェラの両親はずっと住んでも問題ないと言ってくれて、ミランダは当分の間はその言葉に甘えることにした。
そこでのミランダの日々はあわただしくも充実して、それから穏やかなものだった。
そんななかジムニは、シェラの家の手伝いを頻繁にしている。
「そりゃ、3つ目の荷台だ!」
「はい!」
「もっと、こう、豪快に投げ込んでいいぞ! ポイっとな!」
ミランダが見かけた元気な声でのやりとり。
強い陽ざしの元で荷物をかつぐジムニの様子は遊んでいるようで、楽しそうだった。
彼は勉強もかかさない。
「師匠! 干し肉!」
一方のシェラは遊んだり、つまみ食いばかり。
「ジムニは勉強も熱心だからいいのだけれど、シェラはどちらものんびりよね」
「何か言った?」
「いいえ、なんにも。干し肉、案外おいしいのよね」
シェラはつまり食いするときには、いつもミランダを共犯者にした。
その都度、小さな干し肉を噛みつつミランダは溜め息をついた。
のんびり続く穏やかな日々、ところがそれはあっけなく終わりを迎える。
問題があったわけでも、事件があったわけでもなく、ミランダの現実的な判断によって。
「応急処置は終わったわ。魔導具は昔のように使える」
思い出がつまった氷室の中で、ミランダはソリートへと言った。
ひんやりとした石造りの小部屋で、褐色肌で痩せたソリートがブルリと震えてうなづく。
「それは良かった。しかし、これで、この冷気で、応急処置ですか……?」
「そうね」
寒そうなソリートをみて、ミランダは少しだけ後悔した。
説明は彼に上着を着る時間を与えたあとのほうがよかったかしら。
そんなことを思いつつ、ミランダは天井を見上げて言葉を続ける。
「冷気はまだ強くなる。それに今のままでは5年程度しかもたない」
「まだまだ不十分ということですか?」
「きちんと直せば、放置していても百年だって氷を作り出すわ。でも、そのためには特殊な材料が必要なの。それで、その材料が手に入るまでの応急処置を施したというわけ」
本当は、5年どころか100年を楽に超えて氷を作るが、ミランダは言わない。
「なるほど」
そんな彼女の本心を知らないソリートは早口で言って小さくうなずく。
その様子をみてミランダは笑いそうになって、あわてて口元に力をいれた。
わかっていないときの反応がニーニャにそっくり。
確かに、妹の子供だ。
「応急処置とはいっても十分に氷室は氷を作り出せる。それは十分なほどに、氷屋シーシィを再開できるほどに」
「それは、母も喜んでくれるでしょう」
ずっと沈んだ顔だったソリートが眉間の皺を解く。
表情がやわらいだ彼をみて、ミランダは安心した。
だからこそ、材料はとびきり上質のものを時間をかけて用意しようと考えた。
その思いが、ミランダを街から旅立たせるきっかけとなった。
「師匠、行っちゃうの?」
翌日の朝、食事の席でシェラが泣きそうな声をあげた。
「ずっとではないわ。戻ってくるつもりよ」
「すぐ?」
「えぇ、1年くらいよ」
「1年!」
ミランダはできるだけ軽く話をきりだしたが、シェラにとって1年は永遠にも似た時間だった。
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