第822話 その24

 ミランダはしばらくの間、眠るニーニャを見てすごした。

 それからゆるりと立ち上がると、部屋の扉の向こう側にソリートがいる事に気がついた。


「本当は……貴方が居るべきだったのに」


 扉をそっとあけて、ミランダは謝罪するように言った。

 ソリートは腰帯をギュッとにぎったまま、鼻声で答える。


「いえ。母はとても嬉しそうで……楽しそうな顔です。きっとこれが一番良い選択でした」

「そう」

「では……私は葬儀の準備を進めなくてはなりませんので」


 淡々としたやりとりの中で、ソリートが言った。

 これからタイウァス神官を呼んで、簡単な葬式をするという。

 すでに数日前から準備は進んでいるので、今日と明日で全て終わると言った。


「一つ良いかしら?」

「なんでしょう」

「氷室に案内してもらえるかしら? ニーニャに氷室を修繕すると約束したの」


 ミランダの申し出をソリートは悲しみを隠せない微笑みで了承し、彼女を氷室へと連れて行く。

 氷室へと続く石造りで灰色の通路は蒸し暑かった。


「暑いわね」


 ミランダの記憶にあった通路は吐く息が白くなる冷たさだった。

 本当に氷室が壊れているのだと、彼女は思った。


「少しでも氷室が冷えるようにと、特に分厚い扉をこしらえたのです」

「それはいつ頃のことなのかしら?」

「私が子供のころなので……もう何十年も前です。さて、扉を開けますので」


 通路の突き当たりは黄色い壁と、鉄製の扉があった。

 ソリートが扉を開けると、ミランダにとって懐かしい一室があった。

 やや青みがかった灰色をした石の部屋だ。

 そこはわずかばかりヒンヤリとしていた。


「まだ完全に止まってはいないのね」

「何度か、魔導具大工などにお願いしたので……それでもなかなか昔のようには」


 ミランダは部屋の中を見て回る。端から端まで彼女の歩幅で10歩程度。

 そこは彼女の思い出よりずっと小さな部屋だった。


「よくこんな場所で一日中遊べたものね」

「え? 何か?」

「いえ、こちらのこと」


 ミランダが部屋の隅で足をとめる。

 そこには小さな傷が沢山ついた壁があった。


「これは? この傷が氷室を?」


 かがみ込んだソリートが壁を凝視する。


「いえ、これはただの……遊びね。ニーニャとの」


 昔の話だ、とミランダは心の中で続ける。

 小さな頃に背くらべをした跡だ。言い出したのはミランダ達の父親だった。

 年に一度、背の高さに合わせて印をつけた。

 ミランダはまっすぐな線、ニーニャは先がクルリと丸い線。

 それはミランダが呪い子になった10歳の直前まで続いた。


「フフッ、確かに9本目で追い抜かれている。ニーニャは……長いこと続けていたのね」


 線が自分の目線あたりまで……20本もある傷をみてミランダは笑う。

 そしてクルリと踵を返すと「さてと」と言って部屋の中央へと歩を進めた。


「まずはここから」


 ミランダが手をかざすと彼女の足元の床に霜がつき、パラパラと何枚もの床板が外れて浮き上がる。


「そうなのです。こちらの魔法陣は直したのですが……うまく行かず」


 ソリートに頷いたミランダは、床板の下に描かれた魔法陣を見つめる。

 こんなに簡単な仕組みだったのか。

 ミランダは目を細めた。彼女は、父親が魔法陣を整備していた姿を思い出す。

 子供だったミランダには、親が白いインクで魔法陣を描き直す様子をみて、とても凄い事をしていると思っていた。

 だけれど、今の彼女にとっては、一瞥するだけで仕組みと欠点がわかるものでしかなかった。


「なるほど……共鳴現象を利用した仕組みか。魔力の流れから判断すると……インクの調合を誤っている。これは描き直すべきでしょう」

「左様ですか……私にはさっぱり」

「あとは上か」

「うえ?」


 ミランダは天井に向けて手をかざす。すると天井がカタカタと音を立てる。

 それからガコンという音とともに、天井の一部がパカリと空いた。


「隠し扉よ。そして……」


 ミランダがスッと手をスライドさせると、天井から手の平サイズの白い板と砕けた氷の欠片が降りてきた。


「こんなものが」

「床の魔法陣を直すだけでは不十分だったわけね。おそらく……代を経ていく内に忘れられたのかしら。長いこと手入れがされていない」


 宙にうかせたまま天井から取り出した物体を眺めるミランダに、ソリートは「はぁ」と困惑した声をあげる。


「これは少し調べないといけないようね。えっとソリート……さんだっけ? よければこちらは私に任せて、貴方はニーニャの側にいてくれないかしら?」


 ソリートはミランダの申し出に「はい、お願いします。なにとぞ」と言って去って行った。


『パチン』


 一人になったミランダは指を弾く。

 すると部屋には冷気が立ちこめ、いくつもの氷の柱が出来上がった。


「この程度、魔導具を使うまでも無いのだけれど……」


 氷の柱を見つめてミランダは言葉を続ける。


「私の魔法で作った氷では駄目ね……この氷室にあった氷は……」


 彼女はさっと部屋の中央に浮いた物体へと視線をうつす。

 記憶にあった様々な氷を思い出しながら。

 透き通った氷、白い筋の入った氷、表面が軽く溶けた氷。

 思い出の中のミランダが好きだった氷を脳裏に描いて首を振る。


「そうよね。きっと、優しい氷でなければ、氷室には相応しくないわよね」


 しばらくして考えをまとめたミランダは、宙に浮いた壊れた魔導具にそっと触れた。

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