第754話 飛行船の日々

 目が覚めると見慣れない天井だった。

 白をベースとした布に細かい刺繍のなされた天井。しばらくして、天井だと思ったそれは、ベッドの天蓋だと気がついた。つまり、オレは天蓋付きのベッドに寝ていたわけだ。

 少しして、そういえば飛空船に乗っているのだったと思い出した。

 きっかけはス・スとの戦いから数日後のことだ。屋敷でくつろぐオレの元に、イオタイトがやって来た。


「約束通り、祝勝の場に出席してもらう」


 ヘラヘラと笑うイオタイトの背後には、大きな飛空船があった。

 パタパタと帆が風でたなびくそれは、元の世界でいえば豪華客船。それが屋敷の玄関の外に浮いているのが見えた。

 もう少しゆっくりしていたかったが、約束は約束。ということで、しょうがないかと飛空船に乗り込んだ。王都へは約2ヶ月の旅。これでも飛空船としては速い部類らしい。

 そして、空の上で数日後の朝……それが今というわけだ。


「豪華な船だよな」


 起き上がり周りを見渡し、思わず呟く。複雑な模様のある絨毯に、天蓋付きのベッド。細部までこだわった部屋は窓枠にすら豪華な彫り込みがなされていて、窓から見える風景がまるで額縁におさまった絵画のようだ。

 流れる雲や山並みが、船の速度を示す。それは飛行島ほど高い高度も無く、速度も出ていないことを示していたが、速いことは速い。

 着替えて、外へ出ると、カーバンクルと執事風の乗員がいた。


「おはようございます」

「これは、もったいないお言葉。すぐに朝食の支度をいたしますので、広間へ」


 オレが廊下に立つ乗員に声をかけると同時、カーバンクルはピュウと飛んでいった。

 ちなみに船の乗員にはオレ達が誰なのかわからないらしい。

 イオタイトが言うにはそういう魔法が船に施されているという。乗員には、貴族の集団に見えるのだとか。しかも乗員が持つ乗船中の記憶はイオタイトが随時消すことができると聞いた。魔法の力とはいえ結構怖い。


「おはよう、リーダ」

「ちょっと待って、ノアノア、髪をまだ結い終わってないよ」


 ややあって、廊下の先、広間の扉が開きノアとミズキが近づいてきた。

 さきほど去って行ったカーバンクルは、ノアと一緒にいた。どうやらノアを呼びにいったらしい。


「おはようノア」

「うん。おはよう」

「まったくもう。リーダは逃げないって」


 ピョンと小さく飛び跳ねたノアを苦笑しつつ見下ろしたミズキが言った。

 結局のところ、同僚達も飛空船に同乗している。

 いつでも戻れるという事、そしてタイウァス神から、次に扉を開くのはせめて3ヶ月程度後にしてほしいと連絡があったからだ。

 大神として神を超えたタイウァス神をもってしても、世界を繋げる扉を開くのは大変らしい。それで、楽に開けるように調整をする時間として3ヶ月という話があった。

 ということで、元の世界に戻るのが先になるのだったら一緒に行こうということになった。


「おはようございます。リーダ様」


 広間へと行くと、カガミとレイネアンナがいた。あと、ロンロ。

 テーブルには、スライスされた卵型のパンとスープが乗っていた。


「オレの分だけなんだ」

「もう、皆……いやサムソンとリーダ以外は食べ終わってますから。起きるのが遅いと思います」


 まったくいきなり小言かよと、わずかに思いつつパンを口に運ぶ。

 囓るとカリッといい音がした。焼きたてのように良い香りがして美味しい。

 スープも、赤い色はしているがシチューそっくりな味で悪く無い。


「そういや他の皆は?」

「サムソンは寝てます。ピッキー達はプレイン君と外に出ていますよ」

「そっか」

「あのね。見張り台に行ってもいいって教えて貰ったから、リーダも一緒にいこ」

「ノア。先に予定を尋ねなさい。リーダ様は忙しいのですよ……」


 楽しげに提案するノアを、レイネアンナが窘める。

 ここ数日、繰り返される光景だ。レイネアンナにはオレが多忙に見えるらしい。

 ゴロゴロしているだけなのに、不思議なものだ。


「大丈夫ですよ。レイネアンナ様」

「様は……」

「ごめんなさい。レイネアンナさん」


 自分だけのけ者にされたように感じると言われて、様付けを止めたことを思い出して言い直す。

 さきほどあったノアとのやり取りといい、レイネアンナは生真面目だ。


「まっ、リーダはどうせゴロゴロしているだけだからさ。適当にあつかっても大丈夫だよ」


 すかさず無礼な口を利くミズキも、少しはレイネアンナの生真面目さを見習って欲しい。

 食事を済ませて、見張り台へとノアと一緒に登る。

 魔法で上下する木桶に似たゴンドラに乗り、見張り台へとたどり着いて、あたりを見回すと絶景だった。

 飛行島と違い、低い位置を飛ぶ飛空船から見える景色は違う。


「あっ、ピッキーだ!」


 ノアが見張り台から見える船の甲板を指さして言った。

 そこには手の平サイズに小さく見えるピッキーがいた。船員から何かの説明を聞いているようだ。この場からは甲板で働く船員が一望できる。ロープを引く人、見張りをする人。ただ進むだけの船でも沢山の人がちょこまかと動いていて楽しい。

 こうやって船の甲板が一望できるのも面白いものだ。


「あのね。ラングゲレイグ様が子爵様になるんだって」


 見張り台から外を見ていると、ノアがそう言った。

 飛空船に乗り出して、日課のようになっている報告。

 オレが居ないときに聞いた話を教えてくれるのだ。


「子爵か」

「ギリア家を新しく作って、子爵様になるんだって」


 ノアの説明は続き、ラングゲレイグが代官では無く正式なギリア領主になることを教えて貰う。他には、カルサード大公が魔神復活の時に魔王と戦い亡くなった事を聞く。

 そして、報告は続き、それは勇者エルシドラスが王都で凱旋を行ったという話の途中。


「あっ」


 ノアがいきなり小さな声をあげ、足元をキョロキョロと見渡しだした。


「どうしたの?」

「あのね、カロメー忘れちゃった」


 ちょっと待っていてと、ノアが言うと、見張り台から身を乗り出す。


「ミズキおねーちゃん。カロメー取ってぇ」


 そして大きな声をあげた。

 落ちてしまわないかと一瞬不安になったと同時、ノアが後によろめいた。


「ノアサリーナ。なんですか。はしたない」


 小さな籠を持ったレイネアンナが箒に乗って上がってきたのだ。

 振り向いたノアはバツが悪そうに目をパチクリとさせて笑う。


「ごめんなさい、ママ」


 そう言ってノアがレイネアンナからカゴを受け取る。中にはカロメーと水筒が入っていた。

 魔法使いって箒に乗って空を飛ぶんだったな。絵本などで見る光景だったが、この世界に来て箒に乗って飛ぶ人は初めて見た。

 あれ? スプリキト魔法大学にいたっけかな。

 まぁ、どうでもいいか。


「あのっ、何か?」


 箒に乗ったレイネアンナが照れたように笑う。


「いや。箒に乗っているのが珍しいな……と」

「魔導具生成魔法ですよ。少しだけ空を舞いたい時には便利なのです」

「飛翔魔法より?」

「時と場合……でしょうか。今は、ほら、わたくしは騎乗服ではありませんので」


 そう言って、レイネアンナはスカートを軽くつまんだ。

 それからノアからカロメーを受け取り囓りつつ外を見る。

 レイネアンナも一緒になって、おおはしゃぎで報告を続けるノアの話をききつつ、空からの風景を楽しんだ。


「楽しいな」


 ノアの言葉を聞きながら、ボンヤリと外を見ていると、ふとそんな言葉が口から飛び出た。

 それは本心だ。本当に何でも無い日々が楽しい。

 ずっとこんな日が続いて欲しいものだ。

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