第735話 神の力

 首も体も対称的に魔神は両断された。

 月明かりが反射し、黒々と煌めいた体は一瞬でコンクリートを思わせる灰色に変化し、ボロボロと崩れていく。

 魔神が倒された場面を見て、オレは次の手を考える。

 ところが、最初に頭をよぎったのは、悪いケースだった。


「スライフ、勇者の軍にス・スの幻惑魔法がかかっていると思うか?」

「不明だ。だが幻惑により混乱状態にある可能性は高い」

「高いのか……」

「あの軍隊は、あれからス・スを攻撃していない。加えて、先ほどの幻惑魔法は強力なものだ」


 スライフが即答した言葉を聞いて、悪い予感が益々強くなる。

 勇者の軍が幻惑魔法にかかっている場合、ス・スを倒す味方とはなり得ない。

 むしろ敵になる可能性が出てきたのだ。

 超巨大ゴーレムも無い。


「サムソンに言われたな……最初に、ガバガバな計画だって」


 自嘲気味に呟く。

 勇者の軍が敵に回る可能性はオレの頭になかった。


「しかし、混乱状態であっても、その復帰も早いと推測される」


 オレの呟きを聞いたからなのか、スライフが少しして言葉を付け加えた。


「それは助かる」

「推測だ。混乱状態にあるかも確定ではない。しかし、あの飛空船群には、対精神干渉魔法が施されている、通常より自然回復する速度は速い」

「回復するとしたら、あとどれくらいの時間かわかる?」

「混乱状態にあるかも含めて、判断のため接近が必要だ。遠視妨害の結界が張られている」


 精神干渉にも、遠視にも、防御完備か。さすがは勇者の軍、魔神との対決に準備は万端というわけか。

 とはいっても、勇者の軍に近づく気になれない。もし敵認定されて攻撃されるのは辛い。


「仕方が無い。ス・スの行動を注視しつつ時間を稼ごう」


 勇者の軍を無視してス・スに戦いを挑むことも考えたが止めた。

 ノアの叶える願いの最後は、ス・スを倒して……だ。

 つまり時間を稼げば、それだけで倒せる可能性がある。だったら、リスクを無駄に冒す必要は無い。

 ス・スは勇者の軍を無視して月を見ていた。

 勇者の軍もス・スを無視していた。もっとも、勇者の軍は周りの魔物と戦っていたので、それどころでは無いのかもしれない。

 ちなみにオレに向かってくる魔物はいない。たまに襲いかかる魔物も、スライフが倒してくれるので、オレは何もする必要がなかった。

 ス・スがジッと動かない事に内心安堵していた。

 しかし、すぐにそれは焦りに変わった。


「身体修復が始まった」


 スライフの言葉。それは、すぐにオレにも理解できた。

 ス・スのローブがジワジワと直っていく。まだ片手も下半身も無い状態だが、頭蓋骨のヒビが治っている途中なので、時間の問題だろう。

 戦いを挑むか、待つか……それとも勇者の軍に近づくか。オレは選択を迫られる。

 そして、さらなる状況の変化が、オレを追い詰める。


「げっ。動き出しやがった」


 月を見ていたス・スが動き出した。

 勇者の軍から離れていく。


「方角的には、お前達の住む屋敷だ。先ほどまで月の所有者を調べていたと推察される」

「追うぞ!」


 オレは反射的に言った。月の所有者……コントロール権を持っているのは、ノアだ。

 計画通りにいけば、魔法の究極でノアがコントロール権を魔神から奪っている。

 ノアの元へ行かせるわけに行かない。

 しかしあの巨体で、ス・スは想像以上に早く動く。


「このペースで進むと10日以上かかるだろうな」


 もっとも早いと言っても来る時に乗った飛行島ほどではない。

 ギリアの屋敷に向かって進むと聞いたときは焦ったけれど、すぐ冷静になれた。


「世界改変。神へと至る存在だけはある。我が輩達は、わずかな時間で屋敷に到達する」


 ところが安堵するオレに対し、スライフは意外な答えを返した。


「わずかな時間?」

「下を見ろ」


 スライフに言われて下を見た。あらゆる物が小さく見えた。

 先ほどまで、森の木々が眼下に広がっていたのに、海岸線が視界にうつり、帆船がまるで豆粒のようだ。


「いつの間に上昇したんだ?」


 オレは高いところを飛んでいるため、地上の諸々が小さく見えるのだと思った。


「違う。世界が縮小している。ス・スが世界を縮小した」

「は?」

「ス・スはすでに神域……つまり神の力を持っている。それを行使したようだ」

「でも、オレ達は小さくなっていないぞ?」

「ス・スを中心に一定範囲の者は縮小化の影響が少ない。相違が確認できる」


 神様だから世界を小さく出来ます……て、洒落にならない。

 というか、あんなのに勝てるのか?

 いきなり圧倒的な力の差を目の当たりにすることになった。


「クソッ」


 思わず悪態をつく。

 やるしかない。ス・スがどれほど強大であっても、ノアの元に行かせるわけにいかない。


「スライフ、頼む……近づいてくれ」

「了解した」


 スライフが速度を増した。ス・スへとグングン近づいて行く。奴はオレ達を見ていない。

 ス・スの注意を引きつけよう。

 まずはそこから始めることにした。

 超巨大ゴーレムもなく、勇者の軍も期待できない。

 注意を引くことで時間を稼ぎ、魔導弓タイマーネタを撃つくらいしか手段が無いのだ。

 飛びながらマントをはためかせ影を大きく作る。そこから魔壁フエンバレアテをとりだし、さらに巨大な鉄板の集まりであるフエンバレアテの影からタイマーネタを取り出した。


「タイマーネタを! オレはフエンバレアテを操作する」

「理解している」


 打ち合わせどおりの分担で武装してス・スへと近づく。

 もっともタイマーネタは最終手段だ。

 最優先は、時間稼ぎだ。影から幻術を作る魔導具を取り出す。

 バズーカ砲に似たそれは、先端から幻術を発生させる玉を発射する。


『パシュッ』


 まるでコルク栓を抜いたときのような音がする。

 オレが放った球は煙の幻を作りながらス・スの周りを飛ぶ。

 思っていた以上に広い範囲を灰色にほんのり輝く煙が広がる。


『ゴオッ』


 一瞬だけ強い風が吹いた。

 幻術は簡単にかき消えた。続けて何度か魔導具を使うが結果は同じ。

 ス・スはオレを見てすらいない。

 幻術がダメなら言葉だ。

 メガホンの形をした……そのままメガホンの魔導具を取り出す。

 声量を上げて、ス・スを挑発するのだ。


「ス・ス!」

「こちらを向け!」

「お前の仲間……イ・アを倒したのはオレだ!」


 ところが何を言っても反応は無かった。ス・スはオレを見ようともせず進んでいた。

 何でも良いと、思いつく言葉を言う。


「セ・スを倒したのはオレ達だ」

「黄金郷も破壊したぞ!」


 しかし、反応が無い。

 他に何か無いのか、メガホンを握る手に力を込める。

 何か……何か……。


「何週目だ? ス・ス」


 それは無意識だった。いろいろ考えて、思わず口をついて出た言葉だった。

 口にした後で、何の事だと自問自答する。

 だけど、その言葉に、ス・スは反応する。

 巨大なしゃれこうべの目に灯る赤い光がグッと動きオレを見た。

 口がカタカタと動いた。


「反応があった。だが、何故だ」


 スライフが言った。


「さぁ、反応があった。それでいい。あとは進むのを止めてくれれば」

「そうではない。意図がわからない。何周目とは、何のことだ」

「あいつは、きっと、何度も人生……というか歴史を繰り返し生きてきたんだ」


 そうだ。夢の話。そして残り香による逆行現象。それだけでは無い、この世界での経験……それに何かがオレにあの一言を言わせた。それが何かは上手く言えない。

 でも、今はどうでもいい。

 この話を膨らませて……だけど、先が続かない。

 そしてス・スはオレを見ただけで、進路を変えていなかった。

 バッと後方上空にいる勇者の軍を見る。飛空船はほとんど動いていない。


「チッ。スライフ! もう少し接近してくれ!」


 舌打ちするオレには手段が無かった。


「ラルトリッシに囁き……」


 タイマーネタを連射する。

 轟音を響かせ発射される光線は、ス・スを確実に傷つける。だけれど、奴はそれを無視して進む。


「上空の船団群が動いた」


 焦るオレにスライフが言った。

 視線を動かすと、勇者の軍が速度をあげてス・スに向かっているのが分かった。

 ス・スはまるで逃げるように速度をあげた。


「スライフ! ス・スの前方に!」

「把握した。だが、その先はどうする。現状ではス・スをタイマーネタでは止められない」


 そんなことは分かっている。

 だけどノアの元へは行かせられない。


「まずは奴の前方に……」


 それはオレがスライフに答えようとした時だった。


「願いを……」


 声が聞こえた。


「何かいったか?」

「ぬ? 我が輩はタイマーネタではス・スを止められないと言った」


 スライフではない?


「ゲラリ……ゲラリ……」


 笑い声が聞こえる。

 辺りを見回すがそれらしいものは何も無い。


「願いを……」


 先ほどの声はさらに大きくなる。


「願いを……」


 声はどんどん大きくなって、顔をしかめるほどの大音声になる。

 願い?


「ス・スを倒せ!」


 オレはダメ元で願いを口にする。


「願いを……」


 だけど、何も起こらず、さらに声は大きくなる。

 一瞬だけ期待した分、苛つく。

 願いならさっき言っただろう。


「願いを……」

「何も出来ないなら黙ってろ!」

「ぬ?」


 スライフが声をあげる。ゴメン、スライフ、お前に向けて言ったんじゃ無いんだ。


「願いを叶える気があるのなら!」


 オレはもう一度だけ試すことにした。

 ずっと考えていた願い。オレだけでは無い、皆の願い。


「天の蓋だ!」

「止めろぉ!」


 オレが願いを口にする途中、ス・スがオレの方を向き絶叫した。

 これは成功する。

 直感的に確信する。

 オレは大きく右手を挙げて、空を指さす。


「願いを叶えるというのなら!」


 手応えを感じ、オレの声は次第に大きくなる。


「天の蓋を破壊して見せろ!」


 ス・スがこちらを見ていた。

 もう遅い。いいや、最初から何をされてもオレは言葉を止めない。

 オレの言葉は最後に、絶叫になった。


「オレの望みは天の蓋の破壊だ!」


 言い終えると同時、遙か頭上で音がした。


『ピキリ』


 ひび割れる音がした。

 見上げると、日蝕によってできた炎の輪にヒビが入っていた。

 ヒビはさらに大きくなり、空全体を覆っていく。


『ガッシャァァァ……ン』


 けたたましいガラスの割れる音。派手な音が鳴り響く。


「空が割れた! 空が、空が!」


 辺りに響く音の中、空から差し込む細い光を浴びて、オレは叫んだ。

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