第736話 閑話 勇者の勇者(治癒術士カドゥルカ視点)その1

 魔神が両断され、灰に変色し石細工のように崩れていく。

 かの存在には、既に生気は無くただ壊れる彫像だった。


「やった」


 私は、アーダマシスの船首近くにある指令台で歓喜し声をあげる。

 聖剣を振るえる場所として甲板上に設けられた2ペスソス程度の四角い高台。全軍に声を届ける仕掛けのされた台であげた声は、無駄に響いた。だけど、そんなことはどうでも良かった。

 得体の知れない存在、そして数多くの魔王、さらに我らの身に起こった異変。最初はどうなるかと不安だった。だが、勇者エルシドラスは、間違いなく対処し、驚くべき早さで解決したのだ。


「ルシド!」


 コンサティアの声で我に返る。

 そうであった。私の役目は終わっていない。救世の勇者エルシドラスを無事に国へと返さねばならない。

 すぐにエルシドラス様へと近づく。

 聖剣を支えにエルシドラス様は片膝をつき何とか姿勢を保っていた。

 酷く荒い息、そして虚ろな瞳に、聖剣を使った反動の凄まじさをまざまざと見せつけられた。


「エルシドラス様、横になってください。すぐに癒やしを施します」


 息の荒いエルシドラス様に私は声をかけた。

 足元に置いた木箱から触媒である薬液の入った小瓶をいくつか取り出し、並べながらチラリとエルシドラス様を見る。

 全身に強い衝撃を受けたような状況。顔も手も不気味な程白い。一瞬、死体かと見まごう姿だ。それは外見上の負担と、聖剣の反動により魂が傷ついた証左だ。エリクサーを触媒とした大魔法にて、範囲内のあらゆる衝撃を半減し、切り傷程度なら一瞬で治癒される結界を張ってこれか。

 結界がなければ、エルシドラス様は聖剣の反動だけで死んでいただろう。

 急がねばならない。4度に分けて癒やしの魔法を使うことを即座に決めた。

 助手にも指示を出し、追加の触媒を用意させる。


「カドゥルカ。横にはなれない。まだ終わっていない」


 ところがエルシドラス様は横になることを拒否した。


「一体何を?」

「魔物がいるはずだ。警戒を解くな!」


 ハッとした。私は魔物の存在を忘れていたのだ。

 すぐに辺りを見回す。あたりは混乱していた。まるでフイを突かれたように、軍全体が混乱していた。


「何をしている! 油断をするな!」


 私は反射的に叫び、吹き出る汗を実感した。自らが油断していたことを、すぐに恥じた。


「コンサティア。すぐに獅子の咆哮を、全軍に」

「う、うん」


 コンサティアも油断をしていたようで、慌てたように何度も頷き動き出す。


「恥じること……は無い。カドゥルカ。これ……は、強力な幻惑……、私も……聖、聖剣が無ければ……危なかった」

「大丈夫でございます。私の心配より、自らの身を」


 この状況にあっても、私の心中を心配するエルシドラス様に申し訳ない気持ちで一杯になる。孫ほど年の離れた若者に、諭されるとは、ただ恥じるのみだ。

 勇者の称号に恥じぬお方。

 だからこそ、この方だけは生還させねばならない。


『ガァォォォン!』


 凄まじい大音量での獣の吠え声が響く。耳がジンジンとなるほどの音、それはコンサティアが使った魔法によるものだ。

 シルフの助力により強化された獅子の咆哮は、波動のように船を震わせ、全軍に活を入れる。


「皆、アレを……天帝ス・スを追うのだ……」


 獅子の咆哮による余韻で、アーダマシスが振動する中、かすれる声で勇者が大きな声をあげる。


「落ち着いてください」

「魔王が……消えていない。上空……死にかけだが、ピピトロ……ラだ」

「大丈夫。ルシド! ボク達で対処するから」

「違う。天帝ス・スだ。魔王では無かった……アレこそ首魁……だ。我らは選択を誤った。償いを……追うんだ」

「わかった。わかったから、少し休んでルシド! カドゥルカ!」

「急いでおる」


 焦るコンサティアに応え、私は回復に集中する。

 しかし、ヨラン王国でも随一を自負する私の回復術をもってしても、時間がかかりそうだ。

 滅神の反動だけでこれほどとは。

 聖剣の技は3つ。斬神、打神、滅神。

 斬神か打神にて魔神にダメージを与え、滅神にて止めを刺す。それで魔神を討ち滅ぼす。

 ただし勇者は死ぬ。聖剣にまつわる話は嘘偽りの無い事だったようだ。

 私と助手達が勇者の回復に努める中、コンサティアが指示を飛ばす。


「どうして上昇してるの?」

「違うの。世界が小さくなっているですの」


 指示を飛ばしながら、シルフと小声で言葉を交わすコンサティアは狼狽していた。

 会話の内容から、勇者の軍を構成する陣形が滅茶苦茶になっている事を知る。

 世界が縮小したというシルフの言葉が理解できない。

 立ち上がり、辺りを見たい衝動にかられる。だが、衝動を無理矢理に抑え勇者の回復に全力を注ぐ。

 それは、そんな時に起こった。

 エルシドラス様が大きく目を見開き私を押しのけ起き上がる。


「まだ、横に……」


『ガッシャァァァ……ン』


 私の言葉をかき消すように音が響いた。けたたましいガラスの割れる音。

 静かに空から光が差し込む。

 見上げた私の目には光の亀裂が広がる空が見えた。


「あれは、リーダ様!」


 直後、そう叫んだエルシドラス様の声が聞こえた。

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