第601話 閑話 被害者は騙る

 それは、地中深くにある空間だった。

 入り口も、出口も無い、人の手によって整えられた地下室だった。

 中央には巨大な鉄の檻。

 何重にもミスリル銀の鎖が巻き付いた鉄の檻があった。

 檻の中には、一人椅子に座る何かがいた。

 まばゆく金に光る髪は、地面にまで届き、整った顔立ちはまるで作りもの。

 金の糸で控えめな刺繍のされた黒いローブは、キラキラと静かに光り、普通の品で無い事が見て取れる。


「お前の為だけに作った部屋だが……気に入ったか? ズウタロスアシューレン……いや、ヴァンパイアロードのリドルトと呼ぶべきか」


 一人の男が、そんな檻へと近づき、中の住人に声をかける。

 男は、黒い鎧姿と黒いヴェールで顔を隠した女性を共につれていた。


「身体はリドルトの物だが、心は、ズウタロスとアシューレンだ。好きに呼ぶが良いカネェ。それにしても、リドルトの名が、どこでもれたか……」


 檻の住人は、目を開き言葉を返す。

 その声は、男性と女性、二人の声が重なっているようだった。


「ギャッハッハ。そうだな。お前の外見と、酷似している存在……そこから推測した。オーバの研究と、結果からな。そして、まぁ……いい。では、お前のことは、呼びやすい方……リドルトと呼ぶことにしよう」

「良いこと……そぅ、酷いものだ。何も良いことがないカネ」

「ん? あぁ、部屋の事か。仕方あるまい。苦労は敗者の常だ。おかげで俺は、お前と対等以上の立場で会話できるようになった」

「対等以上カネ?」

「あぁ、そうだとも。スプリキト魔法大学の地下にあってもなお、お前の力は強大だった。2体のフレッシュゴーレム、無限の命と人を超えた英知、さすがの俺でも真正面からの勝負は気楽にできぬ」

「あれは、君の部下じゃないのカネ?」

「ギャッハハ。違う、違う。部下では無い。だが、本当に……ギャッハッハ。ギャーハッハッハ」

「面白くてしょうがないといった様子だネ。その態度が私を不快にするとは思わないカ」


 笑い狂う男に対し、檻の中の住人……リドルトは視線を外し、俯いて呟いた。その態度は、男に対する抗議の意志があった。


「そうだな。だが、お前が入っていた棺桶を、地中より掘り起こした時の事を思い出すと……ギャハッハハ、笑いがとまらぬ」

「ハン。だが、それでは辻褄が合わん。私の分身体が敗北し、それから女が私の身体を掘り起こすまでの一連の流れは、酷く計画的だったと思うのだガネ」

「元々、お前を捕らえる計画はあったからな。随分と準備も重ねた。もっとも、殆どが無駄になったわけだが……それにしても、ギャッハッハッハ。ここまで一方的な結果になるとはな。楽しくてしょうがない」

「あんなのに勝てるわけが無いガネ」

「ギャッハッハ。あんなの……扱いか」


 男が指を鳴らす。

 すると側に控えていたヴェールを纏った女性が、どこからともなく椅子を取り出し男の側に置いた。


「そもそも、最初からおかしかった。そう、おかしかったガネ。分身体が纏った625枚の耐神聖防壁が、一瞬にして粉々になったガネ」

「酷いものだ」

「そのうえ、エピタフが無力化された」

「奴らは、精霊……いや精霊達に愛されているからな。エピタフではどうにもならぬ」

「詳しいガネ」


 忌々しげに言うリドルトに対し、男が笑いながら椅子に腰掛ける。


「俺の予想を常に超え、楽しませてくれるからな。行動は追っている」


 男は背もたれに身体を大きく預け、椅子を傾かせた。

 4本足の椅子、その足1つだけで椅子を立たせて、男は身体をひねった。

 まるでコマのように、椅子はクルクルと回る。椅子に座り、馬鹿笑いを続ける男と一緒に。


「そして、フレッシュゴーレム。私の生涯をかけた作品は、まるで歯が立たなかった」

「気の毒な事だ……ギャッハッハッハ。本当に、気の……ギャッハッハ」

「心にも無いことをいうのは止めて欲しいガネ。それから、大道芸は止めるガネ。気が散る」

「ギャッハッハ。奴らの話を聞くとワクワクして落ち着かんのだ。お前も、俺も、行き詰まりを見ている。世界は、運命は、皆を欺いている」

「推測だガネ」

「そうか? ならば、なぜ、あの地下に居着いた? お前は気がついているはずだ。俺達が何をしようと、まるで先回りされるように道は閉ざされる、味わうのは無力感のみだ」

「お前と一緒にされるのは心外だガネ。すでに、先に進む方法は見つけている」

「ほぅ」

「黒の滴だ。アレを無くす事が一歩目だ。そして……私は正体に近づきつつある。フフフ……あと少しだ」

「黒の滴……アレを、無くす? 第一歩? グ……グ……ギ……」


 男が顔を両手で押さえ呻く。

 その姿を見て、リドルトがふらりと椅子から立ち上がった。


「というわけだガネ。お前とは違う」


 そして、リドルトは冷ややかな目で、俯く男を見下ろした。


「だが、いや……グヒッ……ギ……手段……ギヒ……は?」

「正体が分かれば、手段も判明する。アレは、悪夢を司る魔物ナイトメアと、高位アンデッドであるレイスの融合体といったところガネ。それに、私達がヴァンパイアロードのリドルトを乗っ取ったように、意識を移植したもの……そうに間違い無いガネ」

「ナイトメア……夢魔?」

「不死化したナイトメアであれば、自らの身を砕くことで一帯を悪夢に引きずり込む事が可能だガネ」


 笑顔のリドルトは口に手を当て、早口で言葉を続ける。


「そして、悪夢の中で、レイスが囁く残酷な死の情景を聞く事になる。それでは、誰も死から逃れられないガネ。魂をさらけ出す悪夢の中で、レイスの声を聞くのだから。わかったかね、愚かな人間よ。私と対等になったというのは思い上がりだガネ。そう、私は、自らの身をもって、黒の滴を体験する事で、大きなヒントを得る事ができた。そこまで分かれば始末も容易い。フフ……これぞ、真実の探求がもたらす魂の宝玉。私の生きがいだガネ。永遠とも言える思索の旅。ズウタロスとアシューレン、我ら愛する二人の探求の旅は、いずこにあっても華やかに続く……」

「ブフォッ……ゴホッゴホッ。ギャッ……ギャーッハッハッハッハッハッハ!」


 リドルトが早口で話す言葉を待つことなく、男が吹き出し前のめりに倒れた。

 ゴンという音を立てて、男が目の前にある檻へとぶつかる。

 だが、男がそれを物ともせず笑い続ける。


「どうしたのカネ? 気でも狂ったカネ?」

「済まぬ。いや……もうダメだったのだ。何とか耐えようとしたのだが……ギャッハッハ。その……だな。言いにくい……話なのだが……」


 倒れ横になったまま、男が笑いながら振り絞るように声を出した。


「何カネ?」

「黒の滴はすでに廃されたぞ」

「へ?」

「お前をぶちのめした……ギャハ、奴らが……ギャハハ……廃したそうだ……」

「は?」

「奴……お前を倒したリーダが、ギャッハッハ、廃したらしい。裏付けも、一応取れている」

「黒の滴を……廃した? 人が……カネ?」

「あぁ。そうらしいぞ。ギャッハッハッハ」

「笑い事ではなかろう!」


 大笑いする男に対し、リドルトは激高し大声をあげた。

 振り回した左手が、檻に当たり火花が散る。

 黒ずみボロリと砕けた左手に目もくれず、リドルトは言葉を続ける。


「何てことをしてくれたのカネ。私の……長きにわたる研鑽と計画が……。私の、生涯の、夢が! 計画が! 滅茶苦茶だガネ!」


 髪を振り乱し、激高するリドルトに、先ほどまでの優雅さは無い。


「ギャッハッハッハ。ヒーッハッハハハ」


 対する男は、笑い狂っていた。

 笑いながら、椅子に座ろうとしてずり落ち、地面に尻餅をついてもなお笑い続ける。


「お前は、お前で、失礼だガネ」

「いや……本当に、済まない。だが……ギャハッハ。その、先ほどのお前の言葉……。ほぼ同じ事を、俺の部下が言っていたのを思い出して笑いが止まらぬ」

「一緒にするな」

「同じだ。同じ。ギャッハッハ。黒の滴を葬ろうと計画を進めたお前と、お前を捕らえようと計画を進めた俺の部下。目的は違えど、長きにわたる計画を、リーダにブチ壊された所はまるで同じだ。そして、同じように激高して……ギャッハッハハハハ」

「不愉快極まりないだガネ」

「ギャッハッハ。そうだ、詫びに、奴らがどうやって黒の滴を廃したか、教えてやろうか?」

「いや……私は自ら考えるのが流儀……。だが、いや……そうだ! お前の目的は何カネ? 何を目的にやってきたのカネ? 私を馬鹿にするために来たのではなかろう?」


 リドルトの言葉に、男が頷き片手をあげる。

 すると、鎧姿の男が頷き、檻の扉をガチャリと開けた。

 そこから側にいた女性が底の浅い箱を持ち込み、リドルトの前で開ける。

 箱には、インク壺とペンに紙……それから一通の手紙が入っていた。


「手紙だ。返事を書いてもらいたい」

「これは……ふむぅ。カルサードからの手紙……カネェ」

「あぁ。お前は、平穏無事に、研究を続けていると返事を書けばいい」

「ハン……」

「俺のささやかな願いを聞き届けてくれたなら、研究にささやかな助力をしよう」

「断れば?」

「さぁな。檻を取り巻く鎖に、少しばかり力を込めるくらいか……」

「脅しではないカネ。まっ……よかろう。書いてやろう。そうなると、エスケトリオスからの手紙にも齟齬が無いよう返事を書かねばいかんカネェ」


 リドルトは女性の持つ小箱に手をいれ手紙を書く。


「エスケトリオス? あぁ、マハーベハムなら、すでに死んだ」

「そうカネ。それにしても……私は、お前に興味が出てきた。ヨランとイフェメトが歴史の闇に葬ろうとした真実を知る、お前は何者カネェ」

「ギャッハッハ。自ら考えるのが流儀なのだろう?」

「すぐにわかろう、人など容易い存在なれば。さて、これでいいカネ?」


 そう言って、リドルトは箱から自分の書いた手紙を取り出し、男に見せつけた。


「これは、これで興味深い。そうか、カルサードは自ら……あの侍従を作る気か。まぁ、いい。その内容で進めろ」


 男が手紙を一瞥し、立ち上がった。それを見たリドルトは、片手で手紙を器用に丸めた。

 そして、手紙を小さく投げ上げる。

 丸まった手紙は、空中に留まり、リドルトは自らの髪を一本引き抜き手紙を縛った。


「あとは……封蝋か。やはり机があった方がいいカネ」


 それから、左袖からロウと印璽を取り出した。


「さすがに印璽は手元にあったか」

「最低限の品物は持っているガネ」


 男の言葉に、言葉少なく応えたリドルトは封蝋をする。

 浅黒い溶けたロウを手紙にタラリと垂らし、印璽を使う。


「短いが楽しい話ができて良かった。また語らおうではないか」

「ハン。そんな事より、机が欲しいんだガネ」

「いいだろう。すぐに用意しよう」

「それから、私の書籍も……それから、木造の人形だ」

「わかった」

「それから、ペンとインクに……」

「準備させる」


 そういって、男と、鎧姿と女性は暗闇に姿を消した。

 その直後、地下室は小さく揺れ、空間には静寂が訪れた。


「ノームか……。本当に入り口は無いようだガネ」


 リドルトは、再び席につき右手を見て呟いた。

 その右手には先ほど封蝋に使ったロウの欠片があった。


「黒の滴が廃された……おそらく真実だろう。そしてマハーベハムも死んだか……。この期に及んで、世は大きく動くカネェ」


 手のひらにあるロウを眺め、リドルトは呟き続ける。

 しばらくすると、ロウはポロポロと崩れ、パタパタと音を立てて舞い上がっていく。

 小石ほどのロウは、やがてコウモリと姿を変えて、リドルトのそばを飛び周りだした。


「さて、私の流儀にのっとり、自ら動こうカネ。何も無いこの地下室より、よほど外が楽しかろう。リーダと言ったか。せっかくだ……小さな私に身をまかせ、ささやかな外の世界を楽しむ事としよう」


 そして、そう呟いたリドルトは目を閉じた。

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