第585話 しようりょうきん

「とってもね、いい天気だよ」


 バタンと扉を閉めたノアが、オレに向かって言った。

 久しぶりに海亀の背に乗って旅をしている。

 旅と言っても王都までのささやかな道のりだ。

 途中までは飛行島で進んだので、海亀の背にある小屋で過ごすのは半日くらいの予定。

 ロッキングチェアに揺られて楽しむ小さな旅だ。

 ノアの言葉を受けて、外を見る。

 青々として、なだらかな草原が窓の先に広がっていた。

 カラカラと氷の揺れる音がした。

 ふと音がした方を見ると、ノアがジョッキに入れた水をゴクゴクと飲んでいた。

 天気が良い分、外は暑いのだろう。

 夏の日差しがノアは好きらしいが、オレはどうにも外に出る気がおきない。

 テーブルの中央に大きな氷があるぶん、室内のほうが涼しいのだ。


「おいしい?」


 オレの問いかけに、ノアが両手でジョッキを持ったまま頷いた。

 その背後、窓から見える景色に、人影を見つけた。

 王都が近づいてきたようだ。

 さて、この調子なら昼過ぎには王都に……大神殿に着くだろうな。

 今回の目的は、神殿との交渉だ。

 オレの思い出したこと。

 それはノアの持つ聖女の印に関することだった。

 聖女の印。

 それはノアが作った豆版、チューリップの形をした印のことだ。

 今のところ神殿には適当に使わせているが、使用料を貰う事にした。


「確かに天気いいね」


 ノアに笑いかえし、テーブルに置きっぱなしだったチラシを手に取った。

 先ほどから何度か見ているチラシ。

 随分前にもらった神殿契約における宣伝チラシだ。

 契約料金などが書いてあるチラシ。

 さてどうしたものか……。

 聖女の印にかかる使用料をもらう方針には変わりがない。

 ところが、よくよく考えてみれば、そこまで高額にはならなさそうだ。


「思いついたときは、もう少しがっぽがっぽと、いく予定だったんだけどなぁ」


 小さく呟く。

 2年契約で契約料金を前払いした場合は1年あたり銀貨4枚。

 チラシの一般契約料金の部分を見て小さく呟く。


「ガッポガッポ……でしたか」


 そんなオレの呟きにノアが聞き返す。


「そうだね。でも残念。思ったほど、たくさんのお金にはならないね」

「残念だね」


 聖女の紋章にかかる使用料は当初の予想よりも微妙。

 とはいっても収入源を増やすことについては問題ない。

 お茶にマヨネーズ、そして聖女の印の使用料。収入源は少しずつ充実してきている。

 これらを使って、古い書物の探索、魔法の触媒、それらをまかなうのだ。


「さてと」


 延々と考えたが、どうしても考えがまとまらない。

 しょうがないので、気晴らしすることにした。


「どうするの?」


 椅子から立ち上がったオレをノアが見つめた。


「ちょっと外で考え事しようかな」

「私も行く」


 ノアと一緒に、海亀の小屋から外に出る。

 フワリとした心地良い風を感じた。

 微かに漂う草の匂いがとてもいい。

 それに思ったよりも暑く無い。風が吹いているためだろう。


「決まったスか?」

「決まってないな」


 外に出ると、すぐに御者をしているプレインが声をかけてきた。

 今回の同行者はプレインとミズキ。

 それからノアとハロルド、最後にチッキー。そういや、ロンロもいたな。

 屋根のうえで、辺りを見張っている風の彼女を見て思い出した。

 ちなみに、サムソンとカガミは大学に残っている。


「そっスか。銀貨2枚は欲しいっスね」

「まぁな。でも、交渉ごとだ。ふっかけてみようと思う」

「お金、大事っスからね」


 聖書の印の使用料。タイウァスの聖地で聞いた時は、2年契約の特典として付けると言っていたマント。

 その辺りから考えると、そこまで高額になりそうもない。

 2年の契約が銀貨10枚程度と考えると……まぁ、銀貨1枚をもらえれば御の字だろう。

 暇なので、もうちょっと高くふっかけられるかと、チラシを見直したが難しそうだ。

 もっとも交渉事だ。交渉のセオリーとして、最初は少し高めの使用料を、もちかけるつもりだ。

 交渉は強気でいきたい。

 ただ強気一辺倒というのも考えどころではある。

 あまりに酷いとノアのイメージが悪くなる。それは避けたい。

 味方は大事にしたいのだ。


「イエーイ!」


 ぼんやりと外の景色を眺めつつ考えていると、茶釜に乗ったミズキが鳥を片手に近づいてきた。

 狩りをしてきたらしい。

 茶釜の後ろからついてきている三匹の子ウサギ達もご機嫌だ。

 このあたりは気候が穏やかで、なおかつ草原は走っていて楽しいらしい。

 天気もいいしな。

 旅は順調だ。邪魔もいなければ、天気もいい。

 特に問題なく、大神殿までたどり着くことができた。

 そのうえ大神殿長ボルカウェンは、急な来訪にもかかわらず快く応じてくた。

 話し合いにも前向きだ。

 すぐさま、担当の神官を呼び出し、交渉の場を設けてくれた。

 以前に通された広間で、交渉することになった。


「ふむ。聖女の印にかかる使用料ですか。えぇ。もちろん問題ありません。いくばくかのお金を支払う事で、使い続ける許可を頂けるということであれば、私共も願ってもないことでございます」

「ありがとうございます」


 ボルカウェンの前向きな言葉に、ノアがニコリと笑い頷く。


「して、利用について……取り決めは、いかように?」

「リーダ」


 ボルカウェンの問いかけに、ノアは頷きオレの名前を言う。

 後はオレに任せたという合図だ。


「はい。一つにつき銀貨5枚と考えております」


 いろいろ考えた結果、銀貨5枚から交渉を始めることにした。


「それは……品物の価格にかかわらずということでございましょうか?」


 オレの言葉に、ボルカウェンの隣にいた人間が、ペンを片手に質問した。

 しくじった。その視点はなかった。

 そうだよな。

 聖女の印は、2年契約の特典でしかないと思い込んでいた。

 でも、それだけではなかったようだ。

 リサーチ不足だ。

 一般契約とは別の……例えば、それより上のグレードにあたる契約も考えて5枚と設定したが、考えが足りなかったかもしれない。

 まぁ、今更ごちゃごちゃ言ってもしょうがない。


「左様です。聖書の印が記された品物。もしくは書面一つにつき銀貨5枚をいただきたいと思います」


 一旦持ち帰る事も頭をよぎったが、やめた。

 このまま突き進むことにした。

 実際のところ銀貨5枚というのもふっかけた金額だ。

 落としどころとして、銀貨1枚を下限として考えている。

 しかし、せっかくなので、まずは少し高めに提案してみることにしただけだ。

 それが結果オーライといった感触なので、このまま交渉を続ける。


「そうですか。これは些か、高めですね」


 オレの言葉に対し、ペンを持った人間が首を傾げ言葉を発した。

 声の調子から、そこまで本気の意見というわけではないようだ。

 とりあえず言ってみたという印象をうけた。

 高いという言葉にはそれなりに納得している。

 ここからの交渉で、出来るだけ高めの使用料で合意したいものだ。

 それにしても、この物言い……やっぱり神官というより商人だよな。


「お金が必要なのです」


 対するオレは相手の希望額を聞こうと思ったところで、ノアが悲しそうに呟いた。


「いえいえ。非難してるわけではございません……これは、その……」


 ノアの言葉に、ペンを手に取った神官が狼狽する。

 彼も交渉の枕詞として、高めだと発言したのだろう。

 思いもよらないノアの弁明を聞いて、困ったようにオレを見た。


「一つよろしいですかな」


 お嬢様大丈夫ですよ。

 そう声をかけようとした時、ボルカウェンが声をあげた。

 それから彼は、にこやかな顔でオレを見た。


「何でしょうか?」

「ノアサリーナ様が言われた……お金が必要ということでございますが。それは何に使われるお金でしょうか?」


 お金の使い道か。

 確かに大金をふっかけた理由として、使い道を知りたいっていうのは当然かな。


「はい。今、古い時代の資料を集めようと計画しています。そのために、大金が必要になるのです。他にも魔法の触媒などにも……」


 とりあえず贅沢をするためではないですよと、回答をしておく。

 本当にお金は結構かかりそうなのだ。


「なるほど。そうでございますな。古い時代の資料となれば、まるで大海にて小島を探すような大事業。図書ギルドや、学者組合、冒険者ギルド関与する組織は多岐にわたります。お金だけではない。それぞれの交渉に手間もかかりましょう」


 オレの言葉に、ボルカウェンが補足するように、つらつらと言葉を続ける。

 言われてみると本当に大変だな。

 お金に加えて、時間もかなり取られそうだ。


「えぇ。ですが、今後の事を考えると、古い時代の資料……魔法に関する資料がどうしても必要になるのです」

「ふむ」


 ボルカウェンは大きく頷き、それにつられるようにペンを持った神官も頷く。


「急ぎ、資料を集めたいのです」


 そしてノアがそう付け加えた。


「もしよろしければ……」

「はい」

「よろしければ、その古き時代の資料を集めるという大事業、我々が代行いたしましょうか?」


 ボルカウェンは、曇り顔のノアに微笑みかける。

 それから、オレに視線を移し提案した。

 神殿が手配をしてくれるというのか。


「それは、聖女の印にかかる使用料に代えてということでしょうか?」

「左様でございます。使用料をノアサリーナ様にお支払いする代わりに、古き資料を集めるために必要な全てを。懸賞金、それに交渉にかかる経費も含め王都大神殿がお手伝いできればと」


 なるほど。オレ達に、お金を払う代わりに古い資料もろもろ一切を全部引き受けましょうということか。

 そうだな悪い話ではないか。使用料といっても、そこまで大金にはなりそうもない。

 加えて、オレ達は王都に来るだけでも結構大変だ。

 現地で手を貸してくれるという人達がいれば心強い。

 もっとも、神殿が懸賞金をどれだけ積んでくれるかは分からない。

 状況から考えて、神殿もそこまでお金が出せないだろう。

 場合によっては、資金面は、オレ達が渡す必要もあるだろう。


「協力していただけるのであれば、お願いしたいと思います」


 もろもろの手間を考えた結果、厚意に甘えることにした。

 時間がないのだ。

 お金と同じ、いやそれ以上に時間は大事だ。節約できるのであれば節約したい。


「かしこまりました。つきましては一つ了承していただきたいのですが……」

「何でしょうか?」

「はい。この大事業、あくまでノアサリーナ様のお手伝いとして、神殿が動いてることを、対外的にお話しする許可を頂きたいのです」


 神殿が独自にやっていることではなく、ノアの名前でやるってことか。

 それは問題ないが、なぜわざわざそんなことを言うのだろうか……。

 いや、そうだよな。

 すぐに理由に気がつく。

 ノアとの協力を対外的にアピールすることで、ついでに宣伝しようということか。

 いつもの神殿らしい考えだ。


「もちろん。構いません」


 色々協力してもらうのだ。多少の宣伝には付き合おう。

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