第523話 マデラ

 いきなり、大きく呼ばれたノアの名前。

 誰だ?

 聞き覚えの無い声。

 どこから呼ばれたのかと、キョロキョロと辺りを見回していたら、少しだけ離れた場所にある館から一人の老婆が飛び出し、近づいてくる。

 老婆は、ノアしか見えていないかのように、一直線でこちらに走ってきた。

 ノアといえば、その老婆をずっと凝視して動かない。

 まるで蛇に睨まれたカエルのように。

 あまりの老婆の勢いに、とっさにノアの前にたち、手で老婆を制そうとした。


『バチン』


 だが、その手ははじかれてしまった。

 意外と力が強い。

 そして呆然とするノアの両手をガシッと掴み、顔を覗き込むように睨んだ。


「マデラ……」


 ノアが、かすれた声で老婆を呼ぶ。


「ノアサリーナ様。ノアサリーナ様。レイネアンナ様は、レイネアンナ様は何処に?」

「それは……」

「レイネアンナ様は、何処に?」

「母は……」

「もしかして、一緒では無いのですか? どうなされたのです? レイネアンナ様は?」

「それは……」

「もしや、見捨てたのですか? レイネアンナ様を? 母親を?」


 ノアが何かを言おうとする度に、被せるように問われる質問にノアは困惑しきりだ。


「ちょっと」


 あんなに詰め寄られたら、話せることも話せない。

 二人の間に割って入って、手で2人を引き剥がそうとする。

 だが、老婆は手を離さない。


「無礼な!」


 その上、オレが怒られてしまった。

 無礼?

 無礼なのは、そっちだろ。いきなり、駆け寄ってきてノアに、掴みかかって。

 さっき、叩かれたオレの手の痛みも、お詫びして欲しいくらいだ。

 老婆とオレのにらみ合いが続く。


「どうしたのだ」


 膠着状態を打開したのは、さらに後ろからやってきた初老の男だった。

 灰色のコートを羽織った彼は、白髪まじりの赤毛で、身なりから貴族と一目でわかる格好だ。


「あぁ。カロンロダニア様。よい所においで下さいました。ノアサリーナが、ノアサリーナがいたのです」


 カロンロダニアと呼ばれた初老の男は、チラリとノアを見た。

 老婆は、そんな彼に何かをいいかけたが、結局何もいわず俯いた。

 カロンロダニアは、苦笑しノアと老婆を引き離す。

 オレの時とは違い、老婆は抵抗することなくゆっくりと下がった。


「レイネアンナの娘であろう? ノアサリーナ……様は」

「そうでございました。失礼いたしました、ノアサリーナ様」


 それからカロンロダニアに促されるような言葉をうけて、老婆は深くお辞儀した。


「失礼した。連れの者は、ノアサリーナ様に会って、やや興奮してしまったようだ」


 そして、老婆がノアに謝罪したのを見届けた後、彼はオレを見て言った。


「リーダ」


 さらに、その場にラングゲレイグが大股で近づいてくる。


「ラングゲレイグ様」

「何があった」

「すまない。私の知人が、ノアサリーナ様にお声をかけたのだ」


 オレを呼ぶラングゲレイグに対し、カロンロダニアがそう答えた。


「あなたは?」

「私はカロンロダニア。旅……いや、所用にてグラムバウム魔法王国よりこちらに来ている。そこの者はマデラ。私の従者だ。そちらのノアサリーナ様をお見かけし、つい話しかけてしまったことで、騒がせた」


 そう言って頭を下げたカロンロダニアを見て、厳しい表情をしていたラングゲレイグは、警戒を緩め片手をあげる。


「そうでしたか」

「ふむ。何やら、皆様、立て込んでいるご様子。我らは失礼するとしよう」


 カロンロダニアは、老婆……マデラを連れて、去って行った。

 しばらく柔やかな顔で、見送っていたラングゲレイグだったが、彼らが館へと入っていくと。クルリとオレの方を向いて睨みつけてきた。


「少し目を離した隙に、騒ぎを起こすな、馬鹿者」


 そして小声でオレに言った。


「いや、別に私が騒ぎを……」


 えん罪だ。オレは何もしていない。


「3日後には出発する。この村から出ることは許さぬが、自由にしていい。だが、騒ぎを起こすな」


 オレの反論は聞く耳をもたず、小声で好き勝手な事を言ったかと思うと、また先ほど入っていった館へと去って行った。

 聞く耳なしか。まるでオレがしょっちゅう騒ぎを起こしているかのような、言い方だ。

 まったく。


「ノアちゃん、あの人達……知り合いなの?」

「あの人は……お婆様は、マデラ様は……母の……乳母だった人……です」

「そっか」


 よく見るとノアは酷く痛々しい顔をしていた。

 先ほどの会話から、ノアよりも、ノアの母親が大事そうだったな。

 さて、どうしたものか……。

 同僚達も、考えあぐねているようだ。


「あの……」


 そんなオレ達に、また別の人間が声をかけてくる。

 今度は女の子だ。


「なにか?」

「この海亀を、厩舎にご案内しましょうかと」

「厩舎に?」

「はい。寡黙な蹄亭にお泊まりのご予定かと思いまして?」


 チラリと女の子が見た先には、ラングゲレイグが入っていった館があった。

 彼が入った館は宿だったのか。看板も何もないから分からなかった。


「そうでした。ごめんなさい。ずっと立ち話をしていました」


 とりあえず、適当に話を合わせることにした。

 よく見ると、村の入り口に陣取っていた。この馬鹿でかい海亀がこのままだと、邪魔になるよな。

 お願いとばかりに、チップとして銅貨を取り出しかけ、やはり多めにと銀貨を渡す。

 身なりがとてもいいので、高級な宿だと判断したのだ。


「ありがとうございます。では、こちらに」


 渡した金額は適正だったようで、小さく微笑んだ女の子は、オレ達を宿の裏へと案内する。

 裏は巨大な厩舎になっていた。

 海亀は大きすぎるので、厩舎のある建物そばにある空き地に留めることになった。

 宿の中も一種異様な雰囲気だ。

 中にある椅子も机も、全てがとても立派だ。床一面に、複雑な模様をした絨毯が敷かれている。

 だが、この世界にある高級な建物にしては天井が低い。元の世界と同じくらいの高さだ。

 そのためか、酷くアンバランスな印象を受けた。

 もっとも、建物自体はとても綺麗だ。そんな宿に入ってすぐの場所に、カウンターがあり、オレ達は奥にある大きな部屋へと通された。

 ラングゲレイグがすでに部屋を用意してくれていたらしい。


「扉がクソ厚いぞ」


 部屋に入る扉が分厚い。10センチはある分厚い扉がスルリと開く。

 まるで映画で見る金庫の扉にも似た扉の先は沢山の扉があり、さらに先には豪華な個室があしらえてあった。10人以上が軽く泊まることができる作りだ。


「豪華だよね」

「そうとう高いっスよね」

「破産しちゃうかも」


 皆、超豪華な宿にご機嫌だ。

 いろんな宿に泊まってきたけれど、この世界にある高級な宿はどれも違っていて楽しい。

 食事も期待できそうだ。

 と、思っていたが。


「お金無くなっちゃうの?」


 ノアは酷く心配していた。

 お金が無くなる?

 あぁ、さっきのミズキが言った冗談か。


「大丈夫。むしろ、これから大金持ちになる。王様の褒美が待っているからな」


 そう言って、ノアの心配を払拭する。

 そこから先は、快適な高級宿ライフだ。

 サイコロステーキに、野菜のスープ。入り口にあったベルを鳴らせば使用人が飛んできてくれる。頼めば、お酒でも何でも、食べ放題飲み放題だ。

 美味しい食事に舌鼓をうち、あらかじめ用意されていたお風呂に入ってさっぱりしてすごす。主であるノアだけでなくオレ達専用の大浴場があるなんて、どんだけ高級なんだろ、この宿。

 手配してくれたラングゲレイグに感謝だ。

 だが、高級宿生活で、すべて楽しくとはいかないらしい。

 翌日の朝、あれだけ騒ぎを起こすなと言われていたにもかかわらず、同僚が騒ぎを起こしやがったのだ。

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