第441話 閑話 聖女のもたらすもの(名もなき村人視点)

「母ちゃん、お腹が空いた」


 子供が弱々しく訴える。

 私の引く手にも力が入らない。

 私は何も答えることができず、子供の頭を撫でる。

 税を払うことができなかった私達の村は、見せしめに潰されてしまった。

 つかまれば奴隷にされる。

 だから、ひたすら逃げるしかなかった。

 私の家は、村からやや外れていたから逃げ切れただけ、運が良かっただけ。

 この幸運がいつまでも続くわけではない。

 あてもなく進む。

 ずっと前から何も考えることができない。

 ただひたすらに街道を歩く。

 帝国はここ数年で大きく様変わりした。

 魔神の復活が近いという話を裏付けるかのように、天候は乱れ、全てが狂っていった。

 いつ雨が降るのか。いつ雪が降るのか。

 季節の狂いは、生活を大きく変えた。

 土地は痩せ、収穫はしだいに衰えていった。

 ところが、税はどんどんと上がっていった。

 貴族は、私達の貧しさをあざ笑うかのように、ますます贅沢をするようになった。

 なぜそうなったのか、下々の私たちにはわからない。

 お腹が空いたという息子のぐずりは、訴える数は増えたにもかかわらず、日に日に力を失っていった。

 お腹が空くのは当たり前だ。

 ここ数日はほとんど食べていない。

 意を決し、森の中に入り、狼や魔物に怯えながら何か食べるものはないかと探した。

 だが、冬の今は何もめぼしいものがない。

 代わりに見つけたのは、人の骨。

 近い未来の、私達。

 追い詰められてた私は行商人に、私の持っていた物を手放し、ほんの少しの食事を分けてもらうしかなかった。

 父の形見、夫が子供に残したナイフ。

 全部売ってしまった。

 このようなことになるなら、もっと早く売って税の足しにすればよかった。

 どこか受け入れてくれる場所を探し、仕事を探そう。

 もう少し進めば、小さい町があったはずだ。

 そこで仕事を探そう。

 そう、自分に言い聞かせながら街道を進む。

 たまに人影はあるが、私達を遠巻きに見て何かしてくれる訳でもない。

 知っている。

 皆、余裕が無いのだと知っている。


「母ちゃん、何か物音が聞こえるよ」

「物音?」


 久しぶりに子供のお腹が空いた以外の言葉を聞く。


「とっても小さいけれど、笛の音」

「何だろうね?」

「皆、遊んでる」


 小高い丘を登りきり、遥か先に見えたのは長く長く続く行進だった。

 遠く離れた私達にも、かすかに聞こえる音楽と共に進む行進。

 あれは、行商人が言っていた行進。

 聖女の行進だ。


『グゥ……』

「母ちゃんもお腹空いてるの?」


 子供が力なく笑う私の顔を見る。


「そうね」


 私はここ何日も食べていなかった。

 もしかしたら聖女様にお願いすれば、何か分けていただけるのかもしれない。

 そんな一瞬の想いに体が反応したのかもしれない。


「行ってみようか」

「うん!」


 少しだけ希望を持って歩みを進める。

 不思議と力が湧いてきて、すぐに行進の先頭へと近づくことができた。

 家を背負った亀を先頭にして、延々と行進が続く。

 亀を操る御者に、小さな女の子が話しかけているのが見えた。

 あれが聖女様なのだろう。

 立派な服。

 貴族のお姫様のような姿に、あの人は飢えたことがないのだろうなと思う。

 少しだけ早足で、近づく。

 あと少し、あと少しで、私の声が届くというところで、後ろから肩を掴まれた。


「母ちゃん!」


 子供がおびえた声を上げる。


「近づいてはなりません」


 苦笑し、私の肩を掴んだのは神官だった。


「お願いします。何か食べるものを。少しだけでも。このままでは死んでしまいます」


 私は無駄だと思いながらも、ありったけの大声で訴える。

 もしかしたら聖女様に目をとめてもらい、何か分けていただけるのかもしれないと思い、声をあげる。

 だが、私の声は鳴り響く音楽にかき消され、側にいた神官もゆっくりと首を振る。

 思った通りになった。

 悪い意味で、思った通りに。

 神官は私達とは違う。

 人の世とは違う場所にいる。

 お金のないものに対しては、まるでいないもののように振る舞う。

 商人とも役人とも違う……しかし、守銭奴だ。

 人の手にあまる事に対してのみ手を差し伸べる。

 神官というのはそういう人達だ。

 嵐が過ぎ去った後。

 人では太刀打ちできない魔物の襲撃があったとき。

 神官が、お金がない者に対して手を差し出すときは限られている。

 だが、その時は違った。


「どうしたのかね」

「この者がノアサリーナ様に何か食べるものを、と」

「ふむぅ。ノアサリーナ様にその言葉を聞かせるわけにいかない。1人許すときりが無い……仕方がないこれを」


 そう言って近づいてきた老神官は小さな四角い塊を二つ、私にくれる。


「いただけるのですか?」

「これはカロメーと言います。食べればしばらくの間、飢えを感じることはないでしょう」


 神官が優しい態度をとってくれたことに驚きを隠せない。


「ありがとうございます。ありがとうございます」

「あと、水も。ですが、聖女様に近づこうなどとは考えないように」


 水の入った器を受け取る。

 頭を何度も下げる私に対して、老神官はそう言い残し去って行った。


「おいしい!」


 数日ぶりに子供が嬉しそうな笑顔で私に向かって言った。

 その顔を見るだけで体が軽くなる。

 そうしている間も行進は進んでいく。

 剣や槍を構え馬に乗った騎士、身なりのいい人達、そして私のようにボロを纏った人。

 いろいろな人がいた。

 いただいたカロメーという食べ物をゆっくりと食べる。

 そして、ぼんやりと行進を見ていると、不意に行進の中から1人の男性が飛び出て、私達の顔をのぞき込んだ。


「あなたたちは踊らないのかい」

「踊るの?」


 子供が、食べかけのカロメーを何度も見返しながら言葉を返す。


「そうともさ、聖なる舞。今奏でられてる聖なる歌に合わせて踊るのさ!」

「踊るとどうなるの?」

「聖なる力で悪者がいなくなっちまうのさ」

「ですが、許可などは?」

「大丈夫。大丈夫。聖女様は皆を受け入れてくださる。それに、食事だって、出してもらえる。食ったこともない料理が沢山だ!」


 にこやかに子供に声をかけてきた男はそう言った。


「踊りたい!」

「そう、こなくっちゃな」


 子供が、男の人にならって踊りながら行進に加わる。


「こら」

「さぁさぁ、あんたも!」


 その声に急かされるように、私も踊りながら、その隊列の中に潜り込んでいった。

 飢えることがないなら、いいかもしれないと。

 それからは不思議な日々が続いた。

 子供は安心したのか、翌日熱を出した。

 村を追放されてからは、私たちは放っておかれるのみだったが、ここでは違った。


「ほれ、毛布だ」


 立派な厚い布地をいただく。


「よろしいのですか?」

「よろしいも何も、先程、カガミ様が心配して持ってきてくださったんだ」

「カガミ様?」

「ほら、あそこにいる。なんだっけ……チャガマという騎獣に乗った方。聖女の従者だ。1人1人の名前を覚えていて、心配してくださる女神のようなお方だよ」


 そう言って遠くに見える人に顔を向けて教えてくれた。

 本当に不思議な行進。

 踊りながら進む。


「ずっとこうしていたい!」

「だろ?」


 踊る私達の周りにはいつもだれかがいて、子供がはしゃぐ声に笑顔で応じてくれた。

 私達が加わったと後も、次々と人は増えていった。


「聖女様の目的は何なのでしょう?」

「今は聖地タイアトラープを目指してるらしいよ。あとはね……きっと、悪者を退治して……それから帝国を昔のように良くしてくださるのさ」


 ふと浮かんだ疑問をつい口にすると、側で踊る老婆がそう言った。

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