第430話 閑話 襲撃の本命
冬の寒い日。
足下の枯れた草木をカサリカサリと踏みしめ、ケルワッル神官ワウワルフは1人注意深く進んでいた。
背後では、怒号や悲鳴、そして争いの音が飛び交う中、ゆっくりと進んでいく。
「ん?」
やがて、彼は前方に人影を認めた。
腰の両サイドに、それぞれ剣を一本ずつ刺し、さらに両手には剣が握られている。持ち手が細く、剣先が半円を描く一風変わった剣。
前方の人影に、彼は覚えがあった。
そして、その人影も、同様に背後にいるワウワルフを知っていた。
「ワウワルフ様……ですか?」
前方の男は、振り返りもせず言葉を発する。
低く力強い声音は、警戒の感触を含んでいた。
「そうでございます。ブロンニ様」
「嫌な予感がされましたか?」
「うん? あなたもここにいるということは同じように?」
「えぇ。私は神官になる前、少しばかり傭兵をしていましたので、勘が鋭くございましてな。この場が怪しいと心根が叫ぶのです。当たりということでしょうか。あなたがこの場にいるとは」
「何があるかまではわかりませんが、この場にて対処することが求められてますな」
「神託を見たので?」
「ケルワッル神からの贈り物を見ました」
ワウワルフは、夢見る拳闘神官と言われる。
彼は神の力がもたらす加護により、これから起こることについてのヒントを夢の中でもらう。
前回は半年ほど前、魔神の柱にて魔物が浮き上がる姿を見た。
それからいても立っていられずに、魔神の柱に行き、そしてノアサリーナ達と出会った。
「これで不安は確証に変わりました」
警戒を解かないまま、静かに呟く。
ゆっくりとゆっくりと歩みを進めながら、目的地がはっきりしているかのように、迷いのない歩みで。
ザッザッと小さな音をたて、濡れた地面を進む。
「ですが、私も何が起こるかまでは見えませんでした。ブロンニ様、何かここ……」
ワウワルフが何かを言おうとしたとき、振り返ったブロンニが自らに口に指をあてた。
そして、そのまま口に当てた指をスーと動かし、森の一カ所を指さす。
『ガラ……ガラ……』
そこには1人の男が散歩するかのように歩いていた。
ガクンガクンと首を揺らし歩く男は、どこかで戦った後なのだろうか、服の至る所が破れ、そして口の辺りは大きく欠損していた。
だが、そのようなことは全く感じさせない様子で、ワウワルフの前をゆくブロンニに気がつき小さく微笑んだ。
左手はガラガラと台車の持ち手を掴み、荷台には人がまるでわら束のように積まれていた。
わら束のように積まれた人のうち一人の手がだらりと荷台からこぼれた。
ガクンと台車が揺れるたび、こぼれた手も上下にはねた。
そこに、意思は感じられない。
横たわる人は、いずれも生気の失われた姿。死体だった。
「神官……2人か。いや2人ではないか」
男は頭を上下に揺らしながら、声を発した。
だが、その声は口から発せられたものではない。
空から聞こえてくるかのように、不気味に響きあたりにこだました。
小さくこだまする声は、気力に満ちた若者の声のようだった。
「いやはや」
ワウワルフの背後から現れた人物が、声に応じる。
一人は、青いガラスでできたかのように透き通る剣をもったサイルマーヤ。
「死体を操っている……トヨ?」
そしてもう一人は壺を頭に乗せたエテーリウだった。
「おや、これで4対1ですかな」
「お2人がこちらに歩いて行くのが見えまして、これは何かあるのだろうと心配になりまして」
「清めた泥縄が震えているトヨ。魔物がいないはずのところにヨ」
「これは心強い。安心して事にあたれるという者です」
「見たところ、あなたは暗殺者といったところでしょうか?」
ブロンニが前に立つ男に語りかける。
警戒を解かず、右手にもった剣先を相手に向けて。
「暗殺? 誰を?」
男は、ゴキンと音をたてて頭を真横に傾け、そのまま口を動かし聞き返す。
「ノアサリーナ様を、ですよ。不思議な事に、狂乱的に暴れる魔物達の動きが、全体でみると統率のが取れたものでした。おかしな話です。魔物は正気を失った死に忘れにもかかわらず……つまりですな、誰かが操っていると推察できるのです」
ワウワルフがゆっくりと男へ近づきながら語り、そしてブロンニに並び構える。
強く握った拳が、ギュゥという音をたてた。
「あぁ、そういうことか。暗殺ではない。捧げ物の為に意識がある状態で連れ帰りたかっただけだ。できれば絶望の中で」
男は体をゆらゆらと揺らしながらワウワルフの方へ体を向け返事をした。
その目には生気はなく、操り人形のように口のみがパクパクと動く。
「ここで我々に捕らえ取り押さえられ、その望みは潰えるわけですな」
言うと同時、ワウワルフが大きく踏み込んだ。
「お前たちは死んでも構わん」
声が降り注いだ瞬間、男は接近するワウワルフの首を狙い剣を真横へと振った。
音もなく大きく真横へと振り抜かれた剣を、上体を大きく反らし、ワウワルフはくぐりぬける。
『ザザッ』
そして男の真横へ、地面を滑り並ぶ。
さらに、反らした上体を戻す勢いを利用し、大きく広げた右手で、男の顔面をつかみ取った。
『バキン』
大きな音がした。
ワウワルフの右手に力を込め、男の顔面を握りつぶしたのだ。
だが、それだけでは終わらない、さらに左手で男の胴体を何度も殴りつけた。
『ガッ……ミシリ……』
小さいがはっきりとした音がした。
骨にヒビが入る音がした。
一瞬の出来事だった。
『ドチャリ』
ワウワルフが右手を離すと、湿った音がして男が倒れ、動かなくなった。
「やりますなぁ」
ブロンニが賞賛の声を上げる。
「いや、この者は、剣を振った瞬間に、まるで意識がなかった。何かがおかしい」
賞賛の声にワウワルフは首をゆっくりと振って答える。
『カタン……』
男が引いていた台車にあった死体の山から、今度は女が立ち上がった。
彼女も大怪我をしていた。右肩は大きくえぐれ骨が露出していた。
短い丈のローブはすり切れるように所々が破れていた。
女は口をパクパクと動かし、その動きと連動して先程と同じ男の声が響き渡る。
「久しぶりだと、うまくいかないものだな」
女は倒れた男の足元まで歩いて近づいた。
反射的に振るったワウワルフの拳を、ふらりと避けて、そのまま剣を拾い上げる。
剣を握った瞬間、女はグルンと大きく体を回し、ワウワルフへとつっこむ。
そして、先程と同じように剣を一閃、ワウワルフの首を目がけて振り抜いた。
ワウワルフはバックステップでそれを避けたが、女は止まらない。
踏み込むと同時に1回転し、更にもう一撃。
女の踏み込みは鋭く、一歩ごとに小さく地面がえぐれていった。
力強くワウワルフへと近づき、斜め下から上に振り上げた剣撃を、そばにいたブロンニが剣で受け止める。
ブロンニにより大きく弾かれた剣を女が離すことはなかった。
それどころか予測していたかのように剣の動きを上手くいなし、体制を整え、振り回し、ブロンニへと剣撃を加える。
『ガン、カカン……カン』
5回。ほんの一瞬の間に、ブロンニと女は、踊るように5回打ち合い、互いが後ろへと引く。
互角と思われた剣の打ち合いは、ブロンニの勝利だった。
女の剣を持つ腕は、露出した肩の骨が折れ、だらりと下がっていた。
「やれやれ、遊びにも使えないか」
女がぐるりと荷台の方を向く。
「無防備ですな」
ワウワルフが女の背後に、回り込みわき腹を大きく殴りつけた。
「ゴフュ……」
女の口から空気が漏れる。
さらに、ブロンニが追撃を狙い踏み込み、剣を振るう。
ブロンニの攻撃は深々と女の足を切りさいた。
だが、まるでダメージがないかのように、平然としていた。
それどころか、攻撃を当てたはずのブロンニが手に持った剣を落とし、うずくまった。
女の口から漏れたのは空気だけではなかったのだ、鮮やかな緑色の液体。
「その毒は激痛を伴い、全身に回る。せっかくだからと、飲んでいたのが役に立った。
お前がやったんだよ」
鮮やかな緑色の液体を浴びたブロンニから、ワウワルフへと視線を移し嘲笑しする。
さらにブロンニへととどめを刺すべく女は残る一方の手に、剣を持ち替え振り下ろす。
ワウワルフの攻撃をよけつつ、ニヤリと笑って。
『ザン』
だが、女の攻撃は空振りに終わり、剣は地面へ突き刺さる。
振り下ろされる、その直前。
縄がブロンニを絡め取り、引っ張ったのだ。
エテーリウの足下へ。
「大丈夫トヨ? とっさだったから、泥縄で思いっきり引っ張ったけど」
「すみません。不覚を取りました。いや、エテーリウ様の機転のおかげで助かりました」
泥にまみれたブロンニが呻くように呟く。
「落ち着いたら、癒やしの加護を使うト。もう少し我慢するトヨ」
「お構いなく。私が自分で癒やしますので」
「それにしても、やることキツいトヨね」
そう言ってエテーリウが、よだれのように緑の液体を口から垂らした女をにらんだ。
「本当は、王妃様を悲しませる者達にふりかけ、悲鳴を上げさせるのが目的だったのであるが……」
にらまれた女は口をパクパクさせたかと思うと、バタリと倒れた。
まるで糸の切れた操り人形のように。
そしてまた荷台から1人の男がゆらりと立ち上がる。
いまだ少年の面影が残る年若い男だ。
ふわりと荷台から飛び降り、まるで準備運動をするかのように手首、足首をクルクルと動かす。
「やはりこれが一番まともか」
年若い男は一瞬でワウワルフへと近づき、殴りかかる。
殴り合いはほんの少しだけ続いた。
だが、力量差は圧倒的だった。
『ドスン』
ワウワルフが、よろめき尻餅をついてしまったのだ。
「私が……殴り負けた?」
年若い男は、そんなワウワルフへ追撃せず、さきほど倒れた女の側に刺さった剣を引き抜いた。そのまま、流れるような動きで、素早く起き上がりバックステップで距離をとったワウワルフへと剣を向ける。
「だいぶ慣れた。いや、いい調整運動になった。礼を言おう」
そして、抜き取った剣をまるでお手玉するかのようにポンポンと両手で動かし、ゆっくりと表情を笑顔に変える。
まるで目の前にいるワウワルフを挑発するように、のんびりとした調子で。
「まだ、まだぁ!」
ワウワルフが吠えるように叫び年若い男へと突進する。
だが、年若い男は笑い、突進をひらりとかわし、ワウワルフを無視してブロンニへと向かい走り寄る。
「させないト」
無造作にブロンニへと振り下ろされた剣を、エテーリウは腰に下げたメイスで防ぐ。
そんなエテーリウをものともせず、年若い男は剣を振り回した。
無造作にそして迷い無く剣を振り下ろす。
速度は振り下ろすたびに増し、ブロンニも苦痛に顔をゆがめながら、エテーリウと2人がかりで剣を受けつづけることになった。
「よそ見をしてもらっては困りますな」
それどころか年若い男は、接近し背後から攻撃をするワウワルフすら、軽くいなしていた。
「なかなか楽しくなってきた」
必死な3人とは対照的に、年若い男は楽しげな声を空から降らせ剣を振るった。
「ンガ……ッ」
とうとう抑えきれなくなったエテーリウが肩に深々とした傷を負い、声にならない悲鳴をあげた。
「なかなかに、手強いですな」
「楽しいな。お前達は、よく持ったものだ。ところで、最後の1人は?」
「ここにいますよ」
それは年若い男が、エテーリウに深手を追わせ、剣を引き抜いた瞬間だった。
年若い男のすぐ側にサイルマーヤがいた。
一瞬で近づいたサイルマーヤは、年若い男の真横から鋭い突きを繰り出した。
『ガリリィ』
骨の削れる音がした。
年若い男の頭をかすった鋭い突きは、彼の頭を骨が見えるほど削る。
「やるな。隙をうかがっていたのか」
「あのタイミングで、よけられるとは思いもしませんでした。それに隙などと……別件を先に済ませただけです」
サイルマーヤがちらりと見た先には、男が引いていた死体の積まれた荷車があった。
それは、炎に包まれ、パチパチと燃えていた。
「いつの間に?」
「ワウワルフ様の体で死角になっていたのですよ。どうやら声は降り注ぐように聞こえますが、貴方自身は、自らの目でしか状況を把握できないみたいですね」
「抜け目無いトヨね」
「えぇ。エテーリウ様はしばし休まれてください。ワウワルフ様は、エテーリウ様とブロンニ様の手当を」
「サイルマーヤ様は?」
「私は、彼の相手をします。いや、彼の振るう武術には心当たりがありますので、大丈夫です」
「いや、しかし。奴は手練れ」
「私はむざむざとやられませんよ。1人でも欠けるとノアサリーナ様を始め皆さんが悲しまれるでしょう」
「すまない」
ワウワルフがサイルマーヤへと答えた瞬間、エテーリウの眼前に短剣があった。
ほんの少し、年若い男から目を離した隙に、彼が投げた短剣だった。
「芸達者なことで」
だが、その短剣はエテーリウには当たることはなかった。
サイルマーヤが軽く剣を振るい弾き飛ばしたのだ。
「兵法には、弱者を先に潰すというものがあるのでね」
楽しげな空から降り注ぐ声を皮切りに、サイルマーヤと年若い男の戦いは始まった。
剣を打ち合う音が延々と続いた。
打ち合う剣の衝撃で、辺りの木々を揺らし、枝は大きく揺れて落ちた。
「サイルマーヤ様があれほど強かったとは」
「見かけによらないト」
「それに2人の剣技は似ております」
「あぁ、ブロンニ様。それは、この者が帝国の剣技を使ってるからでございますよ」
その声にサイルマーヤが反応する。
高速で剣を振るいながら。
「同じ……か、それが誰の生み出したものかもしらずに」
年若い男が笑う。
「誰が生み出したか? 初代皇帝陛下では?」
「はっはっ。無知とは滑稽なものだ。答えは教えない、どうせお前は終わる。理由は言わなくてもわかるな」
「体力勝負のことですか?」
「疲れを知らないからな。こちらは」
「それはそれは」
やがて、サイルマーヤは細かい傷を負うようになった。
「あと少しで、エテーリウ様の傷を塞げます! あと、しばらくの辛抱を!」
とうとうよろめいたサイルマーヤに向かって、ワウワルフが必死の声をあげる。
「後少しか……。では、終わりにしよう」
サイルマーヤをあざ笑うかのように、声が響く。
「なっ」
ワウワルフが唖然とした表情で声をあげる。
今までよりも素早い動きだった。
その場にいた者は、誰もがサイルマーヤの敗北を考えた。
エテーリウは目を伏せ、未だ苦痛に呻くブロンニは目を大きく見開いて、ワウワルフは地面に両手をついた。
だが、結果は妙なものだった。
年若い男は両断され、地面に転がっていた。
サイルマーヤは動かなくなった年若い男を前に、中腰になってゼエゼエと息をしていて笑っていた。
「実はですね。私、スピードには自信がありまして、この魔剣の上乗せもあって、ですね」
「ま……さか」
「まだ、お話しできるのですね。そのまさかですよ。貴方が隠していた最速。その倍くらい早く動けたんです。ほんの一瞬。だまされてくれて助かりました。それに、いやはや貴方の剣技は古すぎる。帝国は常に剣技を……あらゆる技術を進化させていたのです。いや、この言い方だと貴方が昔の人間かのようですが、まぁそんなところです」
「いや……お見事。ダメかと思いました」
「ブロンニ様は大丈夫ですか?」
「ちと時間がかかりそうですが、まぁ、死ぬことはないでしょう」
「それはよかった。いやはや、陛下に剣をお借りしておいて本当に良かった。実のところ技量では、なんだかんだと言って負けていましたからね」
そういったサイルマーヤは木に立てかけていた鞘を拾い上げ剣を収めた。
そして、息を整えながら腰をトントンと叩く。
「陛下……? サイルマーヤ様は一体何者なのですか?」
「私ですか? そうですね、タイウァス神に仕える神官ですよ。もっとも、ブロンニ様と同じように、神官になる前はちょっとした剣士でした。なかなか出世して八葉とまで呼ばれたことがあるんですよ」
「それは、それは……」
「怪しげな気配は消えたようですね」
「確かに」
「さて、少し休憩してから……戻りませんとね」
そしてサイルマーヤは、いつものようにボソリと呟いた。
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