第403話 閑話 史上初の領主(アサントホーエイ領主アーブーンス視点)

 領主の館にある執務室から、バルコニーへと出た。

 濡れた体に、ひんやりとした風が当たった。

 ワッショイ……か。

 先ほど聞いた聖女の従者が叫んだ言葉を思い出し笑みがこぼれた。

 冷たい風が妙に心地良い。

 それから遠く帝都の方角を見る。

 視線の先には、帝都へと続く街道がみえた。

 街道の両側を崖に囲まれた街道……今は、崖が崩れ街道は行き止まりになっている。

 私が命じ、崖を崩した。 

 間違ったことはしていない。そう心に言い聞かせる。

 帝国の為であれば、自らの命を捨てることも厭わない。

 覚悟を持って、アサントホーエイの退路を断った。

 次々と生まれゆくアンデッドの大群を目にして、退路を断ったのだ。

 あの大群は我らに絶望を与えるには充分だった。

 魔神の柱へとゆっくり進む大群。

 万が一、アンデッドの大群が、きびすを返して帝国に向かってくるようなことがあれば、甚大な被害はまぬがれない。


「帝国へ、鳥を飛ばし、早馬も放ちました」

「よろしい。では、狼の道を封鎖しろ」

「よろしいので?」

「私は、帝国臣民だ。次の鐘が鳴るまでには完了せよ」


 つい先ほどの事のように、当時の事は憶えている。

 まずは一報を帝都へと送り、それから帝国への道を封鎖した。

 思い返してみれば、それは勇み足だったのかもしれない。

 帝都とは逆の方向へと進むアンデッドの大群。

 あれが、きびすを返した後でも、封鎖は遅くなかったのかもしれない。

 だが、あの時はそれが最善の判断だと思った。

 その後驚くほど少ない被害で、このアサントホーエイの町は平穏を取り戻した。

 ノアサリーナの力によって。

 呪い子であるはずの彼女が、聖なる力によりアンデッドを壊滅させたのだ。

 直属の騎士である者達が、数日かけてようやく追い詰めた巨体のアンデッドが、彼女の来訪と同時に塵となった。

 その一件は、民衆に希望を与えるに十分だった。


「民衆も落ち着きを取り戻しつつあります」

「そうか。暴動が起こらなくて良かった」

「皆、帝国臣民ですから」


 替えの服を持参した執事と報告まじりの言葉を交わす。

 脅威は去り、身の危険から解放された町の空気は、平時のそれへと戻っていく。

 だが、私の覚悟は変わらないが、状況は変わった。

 アサントホーエイの町、そこから帝都へと続く道を封鎖した領主はすべからく命を落としている。

 あの道を閉ざす意味。

 それは、アサントホーエイの町にいる領民に死を命じるのと同じことだ。

 領主として、領民に死ねと言ったのと同じ意味だ。

 だからこそ脅威が去ったとしても、大なり小なり、皆に恨まれる立場になる。

 貴族をはじめとする町の有力者も含めてだ。

 故に、長生きできない。

 私はほんの昨日まで、近い将来訪れるであろう死を覚悟していた。

 だが、今は違う。

 濡れた服を脱いで、新しい服を羽織る。


「湯浴みはされないので?」

「あぁ……。少しくらい濡れていたほうが心地良い」


 怪訝な顔をした執事に、笑って答える。


「ワッショイ! ワッショイ!」


 聞き慣れない言葉が、町中から聞こえる。

 その声を聞くと思わず笑みがこぼれてしまうのだ。


「ようございました」


 妻が、いつの間にか横に立っていた。


「あぁ。ノアサリーナの従者が、私に祝福の水をかけてくれた。最初の1人としてふさわしいという言葉と共に」

「えぇ。貴方を見る皆の目が、やわらかくなったことが私にもわかりましたもの」

「ノアサリーナは味方につけておいた方がいいだろうな」

「そうですわね。少なくともノアサリーナとの友好関係をアピールしておいた方がよろしいでしょう」


 妻も私と同意見だった。

 聖女の信頼を得た人間を、恐らく誰も殺そうとはしないだろう。

 恨むことはないだろう。

 私は退路を断つまでに、領民に対して特にひどいことはしなかった。

 ある意味慕われる領主であったかと思う。

 だからこそ即座に退路を断った後の変化は辛かった。

 領民たちの失望の視線が、突き刺さるように私を襲ったのは辛かった。

 だがノアサリーナを迎え、そして祝福の水を浴びた後、そのような感覚は無くなった。

 あのリーダという従者が、私にかけた水により洗い流されたように。

 さて、どういう風に友好関係をアピールするか。

 贈り物か、それとも……。


「では、アーブーンス。其方にはこれからもアサントホーエイを任せると決まった。励むように」


 翌日、帝都より訪れた執行官を見送る。

 執行官の青ざめた顔は気になったが……すぐに考えを切り替えた。

 私は色々とこれからのことを考えた。

 アサントホーエイの領主として。

 帝国の道を閉ざしてなお、生きながらえるであろう史上初の領主として。


「兵を、強者を……ただただ聖女の一団は盲進を止めず……なぞっているのか……」


 執行官が町に向かってくるノアサリーナ一行を見て呟いた言葉。

 少しだけその言葉の意味が頭をよぎったが、頭を振る。

 余計な事は考えまい。

 皆がどうすれば幸せな未来を手にすることができるか、それだけを考えよう。

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