第398話 閑話 没ネタ

 双子砦のモルトール。

 この町のはずれには、一風変わった酒場があった。

 料理も酒も美味しくもなく、店にはいかつい親父だけ、だけれど人が賑わう不思議な酒場。

 モルトールにある多くの建物と同様に、平べったい石を積み上げて作った建物に、木材で補強した質素な小屋。

 建物は外も内も、いたって普通。

 違うのは、客のほとんどが何かしらの楽器を抱えていること。

 そして、酒場の音。

 暖炉の薪が小さく弾ける音に混じって、酒場のあちこちで小声で歌われる歌。

 今日は歌声に、小さく竪琴の音色が混じっていた。

 そこは吟遊詩人が集う酒場だった。

 それぞれが、それぞれの経験を話し、持ち歌を交換し、酒を飲む。

 たまに皆で一緒に取材し、気が合えば、合った者同士しばらくの間旅をする。

 もう少し規模が大きければ、ギルドと呼ばれるようになるだろう、そんな酒場だ。

 今日も例に漏れず、数人の吟遊詩人達がテーブルを囲んで話をしている。

 この店、独自の、あまり美味しくない料理と温く濁った酒を肴に。


「でー。約束に遅刻した言い訳を聞こうか?」


 そのテーブルで、一番年配の、白く立派なヒゲをたくわえた恰幅のいい男がニカリと笑う。

 笑顔の先に座る年若い男は、待っていましたとばかりにニヤリと笑いかえした。


「もちろん面白い話だ」

「そうやって期待をあおると、後がなかなか辛いよぅ?」


 同じテーブルについていた羽根飾りを耳につけた女性は、からかうように言う。

 それから年若い男の前にあった料理を取り上げて口に放り込んだ。


「最近、モルトールを訪れる人が減っていたと思わないかい?」

「そだね。なんか霧がすごいって言ってた」

「あの霧は、実は、魔法使いが作ったものだったんだよ」

「へぇ」

「見たんだ」


 年若い男は前のめりになって、テーブルの皆を見渡し小声で言った。

 向かいに座る男は、白いヒゲを撫でながら笑顔で頷く。


「歌のネタになりそうなのか?」

「もちろん! 俺はあの霧の中を歩いたんだ」

「そりゃ、歩かないとモルトールに来れないからね。で、迷った先で、不思議にであった?」

「いやいや、迷わなかった。俺にはこれがある」


 そういって年若い男が胸元から、小さな円盤を取り出した。


「なに、これ?」


 年若い男が出した円盤を見て、横にいた羽根飾りをつけた女性が首を傾げた。


「こいつは羅針盤だな」


 白いヒゲの男はなんでもないように言った。


「そうだよ。船乗りが使うやつだ。違うのは星を頼りにしないこと。魔法の品なのさ。これさえあれば、どんな霧でも迷わない」

「方角はわかっても、霧は足下すら隠してたんだろ? 大丈夫だったのか?」

「足下は、杖持って振りながら歩いたから、なんとかなった」

「そこまでして、今回の集会に間に合わそうとしたんだねぇい」

「もちろんだとも。だって今回は、あのノアサリーナの話だろ?」

「そうそう。なんだかんだ言って人気あるものね。ノアサリーナの歌」

「まぁ、そうだね。とりあえず、それは後で話すとして、んで、霧の話の続きは?」


 ヒゲの男に促されるまま歳若い男は「コホン」と咳払いをして話を再開する。


「霧の中を進んでいくと、いきなり霧が晴れた」

「モルトールについたってこと?」

「いや、そこはまだ街道だった。そこには沢山の人達がいた」

「そりゃ街道だからな。それなりに大きなキャラパンも走るだろう?」

「違う。一目でわかった。あれは……あの気味の悪さは呪い子だった。しかも……しかもだ、1人じゃない、何人もの呪い子。呪い子の集団だったのさ」

「呪い子が、徒党組んでたってのか?」

「奇妙だろう?」

「それじゃ、霧って、呪い子の呪いが原因だったのかもねぇ」


 羽根飾りの女性に、年若い男は小さく頷いた。

 同席する2人のリアクションに気を良くしたのか、年若い男はにんまりと笑う。


「ちょっと怖いなと思って、ばれないうちに物陰に隠れたんだ。街道そばの林の中にこっそり入って、ささっと木に登ってね。様子を窺うことにした」

「逃げなかったのだな」

「木登りが得意なんだね」

「ガキの頃から木に登って遊んでたからな。逃げなかったのは、何かネタになるんじゃないかと思ったからさ」

「で、それからどうなった? 面白くなってきたじゃないか」

「木に登って、そいつらを見た次の瞬間だった……ドスン!」


 年若い男が、急に大声を出した。

 驚いた羽根飾りの女性は、口を押さえてのけぞった。

 彼女が椅子を引いた音が酒場に響いた。

 それが周りの視線を集めることになった。

 何だ何だと店主がジョッキを持って近寄ってくる。


「よぅ。なんだ、怪談話かい?」

「いやいや、こいつが霧の中で見た奇妙な話をしてるところだ」


 白いヒゲの男が肉の刺さったナイフを、年若い男に向けて笑顔で店主に返した。


「いいね、いいね。わしも混ぜてくれないか、こいつは奢りだ」


 テーブルにドンと置かれたジョッキを見て、年若い男はニヤリと笑う。

 それから、店主が腕を組み、話を聞く姿勢になったのを見て、小さく頷いた。


「じゃあ、話を続けるぜ。落ちてきたのは黒焦げの死体だった。さらに、続いてとても綺麗な女性が降りてきた。青く一目で高価だとわかる布を贅沢に使ったドレス姿の女性だ」

「ほほぅ。青いドレス姿の綺麗な女性か」

「彼女は血だらけだった。青いドレスも所々が血に染まっていた。息も荒く、不気味だった。でも、余りに美しい姿に目が離せなかった。だけどな、彼女は次の瞬間こう言ったんだ……。このミランダがここまで追い詰められるとは、なんてね」

「えっ、その女性って、ミランダってこと、あの氷の女王?」

「多分」

「おいおい。で、それからどうなったんだ?」


 店主が大きな声で続きを促す。

 その様子に、周りの客も興味をそそられたのか、年若い男が話を続けるテーブルへと近づく者も現れた。

 そんな様子に目もくれず年若い男は話を続ける。


「次から次へと、周りにいたその呪い子達がミランダに襲い掛かった」

「うわぁ」

「だが、ミランダはやられない。逆に返り討ちさ。そりゃ強えのなんのって、呪い子たちは空を飛び回り、火炎をぶつけたり電撃を放ったり、でもミランダには届かない。傷だらけのミランダは、1人……また1人と、呪い子を打ち倒した」

「ほぇー。ミランダってやっぱり凄いんだぁ」

「そりゃ怖い話だな」

「最後の1人を倒した時、かのミランダでさえ、片腕はだらりと垂れ下がり、小さく咳き込むように血を吐いていた」

「ミランダは死んだの?」

「いや。だが、正気ではなかったようだ。最後の1人を倒した後、いきなり氷に向かって喋りだしたんだ」

「氷に向かって?」

「そうなんだよ。自分が作った氷に向かって、まるでそこに誰かがいるかのように話をしだしたんだ」

「どんな話をだ?」

「ダヤという人がどうとか……。お前達が、こんな紙切れに従うなんてびっくりしたよとか……。いい気味ねぇ……なんてことも言っていたな」


 年若い男が、ミランダの声真似をしながら状況を説明する。


「うーん。ちょっとダメねぇ」

「女の声は、まだまだ練習が必要だな」


 テーブルにつく2人の酷評に対し、眉間にしわを寄せた年若い男は、少しだけお酒を飲み、再び言葉を発した。


「あいつらが帝国に行ったって言うのなら、私も帝国に行こうかな。面白そうだし、それに……。といった調子で、何かを言いかけてミランダが、パタリと倒れた」

「えっ、倒れたの?」

「そぅ。それからゴロリと、地面を転がって、何かを呟くとミランダの側にでっかい氷の巨人が現れた。それを見上げて、ミランダは言ったんだ」

「なんて?」

「これで切り札は全部使った……か」

「氷の巨人……なんちゃらゴーレムってやつかな」

「そいつは、ミランダを抱え上げてどこかに行っちまった」

「モルトールの町に行ったんじゃなくて?」

「街道を抜けて俺が上っていた木の側を、ゆっくりと進んでいったよ。木々をへし折りながらさ」

「なるほどなるほど。霧が晴れたのはお前が来た、ちょうどあのあたりだったからな。元凶は呪い子だった、そして呪い子は殺されて霧が晴れたってことだな」

「霧がはれて、客足が戻って、わしはホッとしたよ」


 店主がそう言ってあたりを見回したとき、そのテーブルの周りには10人を超える吟遊詩人達が、店主と同じように腕を組んで話に聞き入っていた。


「いつもよりも、お客さん多いんじゃない?」

「おひねりぐらい欲しいもんだよ」


 年若い男はニヤリと笑って周りを見渡す。

 だが、その話が終わった途端、白いヒゲの男は苦笑して、大きく息を吐いた。


「どうしたんだ? いい歌のネタになりそうだろ?」


 白いヒゲの男を見て、年若い男が不安げに質問した。

 それに呼応するかのように、周りのギャラリーたちも苦笑する。

 中には、年若い男に哀れみの目を受ける者もいた。


「話としては楽しいが……そりゃ、ちょっとネタには苦しいな。というか歌にしたら不味いネタだな」

「そうかな、面白いと思ったんだが……皆の反応もよかったろ?」

「話は面白かったさ。いや、しかしなぁ。その話聞くとさ、ミランダの切り札って言葉があっただろう? 切り札ってのは、隠したい物ってことじゃねーか。ヘタしたら歌った奴が、ミランダの怒りを買いそうだ」


 白いヒゲの男が申し訳なさそうに言った。


「あっ、そうか。ちょっと変えた方がいいか」

「だがなぁ、ミランダってところを変えちまうと、話がつまらないものになる」

「完全没か……すごい場面見たって思ったのに」


 年若い男は、呟くように言ったあと、ジョッキに入った酒をあおるように飲み干した。

 それをみた店主は、彼の肩をバシンと叩き、笑う。


「まぁまぁ、話自体は面白かった。今日はタダにしといてやる。気を落とすな。ほら、あれだろ? ノアサリーナの新しい話を仕入れるんだろ?」


 店主はそう言って、周りを見回す。

 その言葉に呼応するかのように、1人の踊り子風の装いをした女性がテーブルに腰掛け話を始める。


「面白い話を聞いたんだよね、キユウニでさ……」


 それは、ノアサリーナと、その従者がキユウニで巻き起こした不思議な騒ぎのお話だった。

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