第397話 わっしょい

 世界がスローモーションに見えた。

 オレの手にあった桶は、オレの急な身体の動きと連動し、中に少しだけ張ってある水を思いっきりぶちまけた。

 ぶちまけられた水は、ゆっくりと弧を描き領主の頭上にバシャリと落ちた。

 領主の側に付き従う騎士達が唖然とした表情でオレを見ていた。

 どうしていいのかわからないといった感じだ。


 オレもだ。


 それを見ていた民衆も一気に静まり返った。

 水を打ったように。

 水だけに。

 やばいと思って周りを見る。

 同僚たちもひきつった顔をしている。

 ノアは固唾を飲んで、オレを見守っていた。

 まずい。

 言い訳が思いつかない。


「これは一体?」


 ややあって領主が口にした言葉は、怒りではなく、困惑を含んでいた。

 なんとか言い訳を考えなくてはいけない。


「えーとですね。これはその……」


 そう言いながら、あわててグッと自分の方に桶を引き寄せる。思いっきり。

 ところが、今度は逆の方に勢いが余ってしまった。

 やっぱり茶釜に乗り慣れていないのだ。

 グラグラと身体が不安定になる。

 大きな動きをすれば、特にだ。

 持ち上げ、引き抜くように動かした桶は、オレの真後ろにいた人へ水をぶちまけることになった。

 パシャリという音と「げっ」という悲鳴が聞こえた。

 これは……いよいよやばくなってきた。


「えーと」


 やばい。

 やばいやばい。

 ノアの立場が良くなるどころの話ではない。

 何か、似たような事例。

 乗り切るヒントが……。

 一瞬、水をぶちまける光景が頭に浮かんだ。

 これしかない。


「わっしょい!」


 そう言って更に別の人間へ水をぶちまけることにした。

 やけくそだ。


「えっと、これがですね。私の故郷でのおまじないというか、仕草というか。おめでたい席において、掛け声をあげながら水を撒きながら進むのが習わしなのです」


 思いつくまま声を出す。

 そう、お祭りの神輿。

 それがオレの脳裏に浮かんだのだ。

 つまりは異世界の知識で、この世界のピンチを乗り切る。

 水をぶちまけて大丈夫なネタが、それぐらいしか思いつかなかった。

 どうせ今やっているのはパレードだ。

 これぐらい余興で許してくれる……はず。


「そのような儀式が……では、なぜ今までやらなかった?」


 領主の反応は、当然のような疑問だった。

 うーん。


「それはですね。あれです。えっと、この町に立ち入るにあたって代表となる領主様こそが、最初に聖なる水を浴びるべき方だと思ったのです」

「聖なる水だと?」

「実は、これは、水を司るタイウァス神の神具でして」


 そう言ったところで領主は目を細めてにらむようにオレを見た。

 さすがにネタが適当すぎたか……。


「なるほど」


 だが、信じてくれたようだ。

 どうやらこれがタイウァス神の神具であることはわかってくれたようだ。

 間髪入れずにまくし立てる。


「はい。アンデッドを蹴散らし、根源に留めを刺し、そしてイフェメト帝国へ、皆をつれて入ることができて初めてアンデッド達との戦いは勝利するのです! そして、これからが本番なのです!」

「本番だと?」

「本番というか、フィナーレでございます!」


 もう、やけくそ。


「アンデットを倒しながら我々は進んできました。神々の力を束ね進んできました。ですが、いつまでもこのような行列を続けるのも問題です。いつか我々は日常に戻らねばならないのです」


 覚悟が決まると、ペラペラとセリフが浮かぶ。

 よくもまぁ、こんなことをでっち上げられるものだと、自分で自分に感心する。


「うむ、わかった。だが、今度からは事前に言って頂けないと対応に困る」

「それは申し訳ありません。私も勝利に……酔う。そう、酔っていたようです!」

「うむ。では最後に、アサントホーエイの領主として問おう! ワッショイというのは、真実に特別な意味の無い掛け声なのかね?」

「もちろんでございます」

「わかった。では、ワッショイ!」


 領主が大きな声を上げる。

 笑顔で。

 それを見た民衆達も再び笑顔に戻った。


「ワッショイ」


 民衆の声があがる。

 そこから先は、適当に言ったオレの言い訳。

 話の辻褄を合わせるべく、進みながら「ワッショイワッショイ」と声を上げつつ民衆達に水をぶちまけ続けた。

 ワッショイ、ワッショイと。

 帝国の入り口に、ワッショイという掛け声と、すんだ鐘の音がこだまする。

 オレ達は領主が先導するままに、ワッショイワッショイと声をあげて、町を練り歩いた。

 そんなオレを、ノアや獣人達3人はキラキラとした眼で見ていて、同僚達は引きつった笑顔で見ていた。

 ワッショイの掛け声は、日が暮れるまで続き、夜には夜で、至る所で勝利の宴が繰り広げられた。

 オレ達は、領主が手配してくれた館で数日滞在することになった。

 疲れた。

 予想外の運動だった。

 紹介された館は、領主が手配してくれただけあって立派な館だ。


「こうしてみると、帝国ってエジプトっぽいよね」


 ミズキが手配された館を見て言う。

 確かに黄土色の壁に描かれた絵は、遠近感がなく、抽象的で、エジプトっぽい。

 着ている服も、ヨラン王国とはずいぶんと違う。

 華やかというか、豪華というか。

 アラビアンナイトっぽい。

 すごく薄い生地の服。

 薄い生地を重ね着している。

 すでに肌寒い季節なのに、たまに薄着の人がいて、寒くないのかと思う。

 食べ物は、焦げ茶色の蒸しパンだった。

 これに、野菜や色とりどりの料理を装ってかぶりつく。

 いろいろと違うことが多すぎて、違う国に入ったことがよくわかった。


「ワッショイ! ワッショイ!」


 そんな中こだまするワッショイの掛け声。

 手配された館の庭で、ピッキーが茶釜の背に乗って嬉しそうに遊んでいるのだ。


「リーダ様にお願いがあります!」


 それは夕方のことだった。

 食後、ピッキーを始め、獣人達3人に呼び止められた。


「なんだい?」

「おいら達もワッショイしていいでしょうか?」

「お願いします」


 凄く真剣な顔をしているから何だろうと思ったら、そんな話。

 そういや神具を借りっぱなしだったなと思いつつも渡す。

 そうしたら、延々とワッショイの声がこだますることになった。


「すっごく楽しそう」


 カガミが笑顔のまま見入っていた。

 いつの間にか、トッキーが茶釜にのって、茶釜の子供達とピッキーにチッキーの2人に水をかけていた。

 確かにカガミが言うように微笑ましい。


「どうでもいいが、リーダ。お前、これ以上ないってほどに、派手な帝国入りになったぞ」


 サムソンのぼやきが、グサリと胸に刺さった。

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