第315話 閑話 旅人が消えた後に
「誰もいない」
「はい」
領主タハミネは、側を進む長身の男に確認する。
かって戦場にてタハミネが見いだし、今や領主補佐となった長身の男ハシャルへと確認する。
それはタハミネにとって、見落としがないかと期待しての問いだった。
だが、問われたハシャルにも理解ができないといった様子で、小さくタハミネの言葉を肯定するのみだった。
「何もない」
「はい」
今起こっている現実を信じられないと言った様子で、タハミネは再び確認の問いを発する。
タハミネが、リーダ達がいた屋敷に到着したときには、すでに屋敷はもぬけの殻だった。
3分の1以上が爆発によって倒壊した屋敷。
後に残った屋敷のその姿こそが、起こった爆発の大きさを物語っていた。
倒壊せずに、残った部分は、綺麗なものだった。
整えられた廊下、磨かれた窓。
それは、ほんの少し前まで、人がいたことを物語っていた。
だが、そこには誰もいなかった。
「私は、手を抜かなかった。油断も! 焦りも! 侮りも!」
タハミネはいつも気だるそうに言葉を発する。
それが真の姿でないことを知っているのは一部の者達だけだ。
だからこそ、今のタハミネの言動に、付き従う多くの者が驚いていた。
タハミネは、周りの驚きなど気がつかない様子で言葉を続けた。
「領主権限で、ありとあらゆる移動に利する呪文は禁止した」
「はい」
タハミネの再度確認するような言葉に、領主補佐ハシャルも頷く。
「領主権限にて、辺り一帯に結界を張った」
「はい」
「部隊を動かし、逃げ道を塞ぎつつ、歩を進めた」
「はい」
「この辺りのことは全て調べてある。だからこそ逃げ道がないことは確信できる」
「はい」
「だが……」
タハミネは屋敷へ馬を進める。馬に乗ったまま、倒壊していない屋敷の一室へと進む。
領主補佐ハシャルも、同じように部屋へと入った。
暖炉の薪がいまだ火を絶やしていない一室。
そんな暖かい部屋の中で、くるりと馬を動かし、タハミネは両手を上げた。
まるで降参するように。
「ここには誰もいない」
「はい」
「大きな亀がいたはずだ」
「ノレッチャ亀がおりました」
「エルフ馬もだ」
「はい、報告にはそうあります」
「全て消えた。あとかたもなく」
「はい」
「どういうことだ? 領主権限、そして魔道に係る研鑽。その二つをもってしても、奴らを取り逃がし、何をしたのか、それすら掴めぬ。あの幻などに怯まずに、突き進むべきであった。あの霧につつまれ天を貫く巨大な人影に、部隊を止めたのは失敗だったのだ」
「ですかタハミネ様、我らだけが先行しても捕らえることが出来たかどうか……」
「そうだ、仮定の話だ」
「はい」
そこでタハミネは周りを見た。
領主補佐であるハシャルの顔、そして自らの護衛を。
それから、大きく深呼吸した。
「そう。しょうがない。しょうがないな、次の手を考えなくては」
再び、言葉を発したとき、タハミネの声音はいつもの調子に戻っていた。
まるでわざとらしい芝居をするように、タハミネは大きくゆっくりと首を振った。
それから静かに、自らの屋敷に戻った。
ぼんやりと虚ろな目で帰路につくタハミネを見て、領主補佐ハシャルはすぐに細やかな指示を出す。そして、彼女に続いた。
帰る道すがら、彼女は一言も喋らなかった。
自らの屋敷について、自室に立ち戻った後も、喋らなかった。
タハミネが次に口を開いたのは、夜も更けのことであった。
「爆発と、黒の滴で忘れておった」
ボンヤリと、自室から空を見ていたタハミネは小さく呟いた。
机の上に置いてあった手紙を読みつつ、側に控えていた者を通じ、すぐに領主補佐ハシャルを呼び出す。
「何かご用で?」
「まず、奴らについて」
「はい」
「なんでもいい。手がかりだ」
「はい。私も考えておりました。そして一つ思い当たることがございます」
「へぇ」
「以前、あの者達が住む屋敷を襲撃したことがあります」
「失敗した……一件だな」
「ええ、こちらに戻り、当時の様子を洗い直してみたところ、1人が面白い証言をしていたことに至りました」
「面白い証言?」
いつものも調子で、気だるそうに、だが楽しそうにタハミネが聞き返す。
「屋敷にて、ならず者を返り討ちにした一人が名乗っていました。我は金獅子だと」
「金獅子?」
「はい。フェズルードから、さらに南東にある島国。そこで数十年前、名を馳せた戦士団の名前です」
「生き残りがいたと?」
「生き残りか、どうか分かりませんが、繋がりがあるのではないかと考えます。加えて、その国の公爵令嬢から、何度かタハミネ様も茶会に誘われております」
「そんな縁があったとはね。世間は狭いもの」
「エスメラーニャと名乗る貴族令嬢でございます」
「では、そこからだな。久しぶりだ、茶会など」
そう言ってタハミネは部屋に控えていたメイドを手招きする。
すぐに手紙をしたため、手紙を出すように伝える。
続けて、彼女は手を振り、言葉を発した。
「さて、とりあえず今日はもう遅い。明日からは、奴らの事だけでは済まない毎日だ。この町の混乱を鎮めなくてはならぬし、仕事が増えるな」
「はい。では、私も本日は下がらせていただきます」
そう言って領主補佐ハシャルは部屋から出ていく。
人払いをし、孤独になったタハミネは手を小さく振り、一冊の本を取り出した。
それはタハミネの日記だった。
日記を書きながら、何か思い出したかのように、空を見上げる。
「そういえば、かの予言の書もこのぐらいの本であった」
タハミネは誰に聞かせるわけでもなく呟く。
ペンを走らせながら何かを思い出すように呟き続ける。
「奴らは予言を否定し続けていると聞く。そして、黒の滴。フェズルードでは黒の滴による犠牲者が出なかった。かって、遙か昔、この地にあった町を一飲みし、住民全員を死においやった……黒の滴が、誰も犠牲者を出さなかった」
いつしか、タハミネの独り言は止み、代わりに日記へと彼女は思考を書き出していた。
あの場に奴らの死体はなかった。
彼らが生きていると仮定しよう。
彼らが予言を否定し続けていると仮定しよう。
予言を否定する者への懲罰として、遣わされる黒の滴を破壊したと仮定しよう。
タハミネは、次々と文字を書き記す。
それは、日記ではなく、ただの思いつきだった。
そして書き記す字は、次第に形をゆがめ、文字の形すら取らなくなっていた。
ひとしきり書き記した。文字と記号、そしてそのどちらでもない何か。
タハミネはそれを一瞥した後、ページを破りとり、暖炉へと投げ込む。
「あと、これもだな……これを最初に知っていたら……私はどうしていただろうな」
加えて、机において合った立派な手紙も、暖炉へと投げ込む。
「ノアサリーナの父親は帝国に在る……か。予言により、形作られ、予言により、繁栄する帝国。予言を破壊する奴らとは対極に位置する我ら……どうすればいいと思う?」
パチパチと音を立てる暖炉の火を見つめ、タハミネは静かに言葉を発する。
それはまるで、燃え、灰になりゆく手紙に語りかけるようだった。
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