第309話 おどろきの、このいりょく

「ノア! いったいどうしたんだ?」


 オレに手を掴まれたノアは口と目を大きく開き、オレを見た。


「どうして……?」

「どうしてじゃないだろう? 刃物をそんな風に振るっちゃ怪我するよ」

「ダメなの!」


 ノアはオレが掴んでいる腕を振りほどこうとする。

 なんでそんなに自分を刺そうとするのだ?

 それにしても、ノアは他のやつらとは違って冷静なようだ。

 だが、その顔は涙でぐちゃぐちゃになっている。


「ダメ!」

「何が駄目なの?」

「みんな死んじゃうの」

「死ぬ? 死んじゃうってどうして?」

「あいつの歌を聴きつづけると、死んじゃうの」

「そっか、大変だ。逃げなきゃね」


 確かに周りの奴らをみると、まともな状態ではないことはわかる。

 あの異常行動の先に、死が待っているのなら、すぐに逃げるべきだ。


「でも、この闇から逃げることはできないの。ママが言ってた。あいつから逃げるには、怯ませなきゃダメだって」

「怯ませる?」


 ノアは大きく頷く。


「強く清められた聖なる水か、魔力のこもった血で。どっちかを使って怯ませなきゃ、真っ暗なのから逃げられないの」

「魔力のこもった血か……清められた聖なる水、つまり聖水?」


 オレの言葉に、ノアが何度も頷く。


「だから私がいっぱい魔力を込めた血を、あいつに振りかけて……」


 なるほど。

 言いたいことが分かった。自分で自分に傷をつけて、流れる血をぶっかけようとしたのか。

 周りの人を助けるために、オレ達を助けるために。

 こんな小さな女の子が自分の体を傷つけて。

 ノアの言葉を聞いて、オレは自分の中に燃え上がっていた嫌な感情が消えていくのを感じた。

 まるで氷が溶けるように、気が楽になる。

 そして気付いた。


「血じゃなくても、聖なる水でいいんだな?」

「うん」


 なら問題はない。こういう時のために使うものがある。

 魔改造した聖水。

 何度も、何度も、祝福をかけ続け、看破で見る表示もおかしくなり、使い道に悩んでいたあの水。

 ダメ元であれを使おう。

 それで駄目なら、オレの血で対処する。

 すぐに樽いっぱいの魔改造した聖水を出す。

 ついでに、手桶も。手桶で、魔改造した聖水をすくい取る。

 少しだけ手にかかったが、この聖水、なかなかに気持ち悪い感触だ。

 炭酸水に指を突っ込んだような感触に、生ぬるくとろみのある感触、2つの感触がまざった気持ち悪さだ。だが、背に腹はかえられない。

 それに、とりあえず手に痛みなどない。

 大丈夫だ。

 周りが真っ暗でよかった。

 この聖水の状況をしっかり見なくて済む。

 むしろ、シュワシュワにボコンボコンと気持ち悪い音を立てているこの水が、今どんな状態なのか見るのが怖いのだ。

 近づき思いっきり手桶に満載した聖水をぶっかける。

 奴は、オレが近づいていっても余裕の様子で歌を歌っていた。

 遠目でみるとすごい美人に見えたが、近づくと、陶器でつくられた人形のように無機質だった。

 そんな奴に、聖水が降りかかる。


「アァァァ!」


 効果は抜群だった。

 先程まで優雅に歌っていた女性は悲鳴を上げ、よろめいた。

 そして一瞬だけだったが、暗闇が突然明るさを取り戻し先ほどの屋敷の風景が見えた。


「リーダ」

「見て下さいよ、ノアさん。驚きのこの威力」


 オレの袖を引いたノアを見て、コメントする。

 ノアはそんなオレの言葉を聞いて、コクコクと何度も頷いた。

 それとともに、仲間達も正気を取り戻したようだ。


「なんだったんだ一体?」


 オレの後ろからサムソンが近づき声をかけてきた。

 よかった、あいつもなんとかなったようだ。


「奴が、変な歌で俺たちを惑わしていたんだ」


 オレ達には目もくれず、聖水のかかった部分をかきむしる女性を指さし答える。


「もしや、これは……?」

「何か知ってるのか?」

「黒の滴なの」

「やはり!」


 なんとなくは、そう思っていたが、この現象が黒の滴か。

 最初の水音は、滴が落ちてきた音というわけか。


「とりあえずさ、こいつ、倒しちゃおうよ」


 ミズキの声に頷く。


「なんかボコボコにいってますけど、これ。大丈夫に思えないんですけど」

「聖水さ。タイワァス神殿で汲んだ水にさ、何度もいろんな神殿で祝福かけたらこんな風になっちゃった。でも、さっき少し手にかかったけどなんともないよ」

「コソコソと何かやってるなーって思ってたら、そんなことやってたんですね」

「音からして聖水って感じがしないぞ。さっき一瞬だけチラッと見えたけど、ピカピカと光りながら、黄色と紫の縞模様に渦巻いていたし……」


 うわ。見なくて良かった。見ていたら、試そうと思ったかどうか、我ながら心配になる。


「細かいことはどうでもいいだろ、とりあえずこれがあいつに通じる! さっき、少しかけただけで、晴れたんだ。もう使いきるつもりで、じゃんじゃんぶっかけよう」

「言い方が、なんかうどんに一味入れるときの話みたいです」

「ラーメンに、マヨネーズの感覚っスね」

「そういえば、水鉄砲。前作ったやつ。あれ、ください」

「了解」

「あっ、ボクもくださいっス」

「あいよ」


 影の中から、水鉄砲やらバケツを取り出し皆に次々渡していく。


「じゃあ、これノアちゃん」

「拙者がバケツいっぱいの水をぶっかけるでござるよ」


 それぞれが、聖水を準備した獲物に、くみ取っていく。

 そんな中、ふらふらと立ち上がった、ドレス姿の女性は驚愕した表情を浮かべていた。

 あれで終わりだと思っていたのだろうか。

 残念、まだまだ樽いっぱいの聖水だ。

 オレ達を殺そうとしたんだ。

 これぐらいの反撃を受ける覚悟は当然あるよな。

 ここからはオレ達のターンだ。

 ハロルドがすごいスピードで近づいていき、思い切りバケツいっぱいの水をぶちまける。


「アァァ! ガァ!」


 大きな叫び声をあげ、奴は空に浮かび上がった。


「あれぐらいなら届くっスよ」


 プレインが叫ぶ。

 それと同時にノアが、水鉄砲の水を思いきり、噴射した。


「ヒィ」


 聖水は彼女の脚にかかり、悲鳴を上げゆらゆらと落ちてきた。

 そこを狙い澄ましたかのようにカガミが持った手桶の水が頭からかかる。


「グゥゥゥ!」

「えっ、こっちに向かってきた!」


 相手もやられっぱなしというわけではないようだ。

 今度は戦略作戦を変えたのか、ふわりと浮き上がり、カガミに突っ込んでいく。

 ハロルドが、やつとカガミの間に割り込み、カガミを守ろうと動いた。

 だが、すり抜けた。

 ハロルドに体当たりしたはずだったが、やつの体はハロルドの体をすり抜けていく。


『ガラン』


 すり抜けられたハロルドは剣を手から離し、うずくまった。

 体当たりはまずいのか。


「リーダ!」


 ノアが大声をあげる。

 ハロルドをすり抜け、やつはこちらに近づいてきた。

 残忍な笑みを浮かべ、宙を舞う彼女がオレの顔面をわしづかみしようと手を伸ばしてきた。あわてて振った手が、やつの手に当たった。

 ハロルドの体をすり抜けたが、俺の手はすり抜けなかったようだ。

 パチンと音を立てて、奴が伸ばした手をはじくことができた。


「アァ!」


 また、小さい悲鳴が上がる。


「聖水! あれに、手を浸してれば、あの人を掴めるんじゃ……体当たりを食らわないんじゃないかと思います」


 カガミがすぐにその理由について言及する。

 なるほど、濡らしていれば大丈夫なのか。

 あれに……あの聖水に。


「逃げるつもりっスか?」


 やつは手を尽くしたのか、よろよろと宙に浮き、距離を取ろうとしていた。


「逃がすわけないだろ」


 飛び上がり、やつのドレスの端を掴む。

 確かにカガミの言う通りだ。

 濡れている方の手であれば、奴を掴めたが、濡れていない方の手はすり抜けた。

 そうであれば……だ。


『ボチャン』


 カガミがいち早く動く。

 両手を聖水に思いっきりぶちこんだカガミは、逃げようとする奴の足を思い切り掴んだ。


『ジュゥ……』


 焼けるような音をたてて、カガミが掴んだ奴の足首から煙が上がった。

 苦しそうにもがきながら奴はカガミの手を振り払い、再度上空に上がる。


「逃がすか! リーダ、ロープを出してくれ」


 サムソンに言われてロープを取り出し、投げ渡す。

 オレも同意見だ、ここで始末をつける。

 サムソンはロープを無造作に、聖水の入った樽につけこみ、ハロルドへと投げ渡した。

 ロープを受け取ると同時に、高く飛び上がったハロルドは、ゆらゆらとゆっくり上昇する奴の足を掴み、地面にたたき付けた。

 そして、ロープを素早く巻き付ける。

 奴はもがくがロープをほどくことができないどころか、逆にロープに絡まれるはめになった。

 ジュウジュウと音をたてて、もがきながら奴はこちらへと向かった来た。

 最後の力を振り絞ったのだろうか、急にスピードを上げて、オレの方へと飛びかかってくる。

 一瞬の事であせったが、なんとか奴が伸ばした腕を掴むことができた。

 そのまま、向かってくる勢いにまかせて、聖水の樽へと奴の体をぶち込む。


「オオァァァァ!」


 大きな叫び声をあげ、バタバタのもがきながら奴は、魔改造した聖水に解けていく。

 そして奴はついにその体の全てを聖水に浸し、溶けて消えていった。

 真っ暗な世界に細く輝く亀裂が走り、壊れていく。

 それと共に、ゆっくりと辺りの景色が元に戻っていった。

 肌寒い感覚も戻ってきた。空は曇りで、チラチラと雪が降るが心地良い。

 あんな訳の分からない暗闇よりずっといい。


「なんとか勝てた」

「あぁ」

「何か、わけわからなくて……すごく怖くて」

「先輩がなんとかしてくれて助かったっス」

「それにしても、すごくイラつく、そんな感じがします。そう思いません?」


 確かにそうだ。

 普段だったら、皆、あんなに好戦的じゃなかった。

 追い払って終わりという考えにはなれなかった。


「なんか、真っ黒な水になっちゃいましたね」


 かつて聖水だったものは、真っ黒な液体になっていた。

 奴が溶けこんだ為だろう。


「お嬢様ぁー!」


 チッキーの声だ。

 元気そうな声に安心する。

 駆け寄ってくる表情を見る限り、無事なようだ。


「ふぅ。安心したっスね」

「本当だ。ちょっと、ノイタイエルを、作るのはやめた方がいいかもな」

「あぁ」


 オレ達が、気を抜いたその直後、聖水につけ込んだ奴を倒しきれなかったことに気がつく。

 攻撃をされたのだ。

 オレは突如黒い液体から姿を現した奴に、抱え込むように頭を掴まれ、液体の中に引きずり込まれた。

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