第308話  閑話 雨の降らない嵐の闇に(ノア視点)

 前を見ると、プレインお兄ちゃんがうずくまって泣いていた。

 私はプレインお兄ちゃんが泣いているのを初めて見た。

 その姿を見て、怖くなった。

 サムソンお兄ちゃんは、頭を、手を、地面に打ち付けていた。

 どうして、そんなことをするのか分からなくて怖くなった。


「助けて……お母さん。怖い。助けて……新しい……お父さん」


 カガミお姉ちゃんの声が聞こえた。

 呟いていた。繰り返し、繰り返し。

 私は後をみた。

 リーダは、口を押さえて、下を見ていた。


 どうしよう……。


 あの、リーダですら苦しそうだ。

 どうしよう……違う。

 違う。

 違う!

 私が頑張らなくちゃ。

 私が何とかしなくちゃ。

 私は黒の滴を知っている。

 だから私は、少しだけ平気なのだ。

 私は黒の滴を知っている。

 ママが私を見て笑わなくなった日。

 ママが笑っているのに笑わなくなった日。

 ママの周りから、私以外の誰もいなくなった日。

 それは全部、全部、黒の滴が私達の前に落ちてきた日だった。


 ――んん? あぁ、そうでござるな。モルススの事を言うと、黒の滴に襲われるといわれるでござる。


 だから、ハロルドが、モルススの事を言うと、黒の滴が落ちてくるといったときに、とても怖くなった。

 だから、モルススの事を言って欲しくなくて、リーダにお願いした。

 モルススの事は言わなかった。

 なのに。なのに。

 でも、それなのに、黒の雫は私の前に落ちてきた。

 なんで私ばかり。

 

 ――黒の滴は同じ人の前に、二度は落ちないと言われているのよ。

 ――みんな死んでしまうの。

 

 ママがそう言った。

 

 ――でも、対策を知っていれば、大丈夫。

 

 ママが、そう言った

 魔力を大きく含んだ血、それか、聖水。

 それもただの聖水ではダメだという。

 強く神の力がこもった聖水でなくては、あの黒の滴を退けることができない。

 ママは、そう言った。

 だから前、黒い滴に襲われた時。

 ママは一生懸命に自分の腕を剣で突き刺した。

 

 ――痛みで……痛みで死の恐怖から逃れ……。

 

 目をぎゅっとつぶりママは呟いていた。


「お前はいない方がいい。呪い子だ。いないほうがいい。消えて、消えろ、消えてよ」


 まるで耳元で、聞こえてくる綺麗な言葉に、ガクガクと足が震えた。

 口がカラカラになって声が出なかった。


「ママ。ママ助けて」


 そう声にならない声で私はママにお願いした。

 ママは私を見ず、何度も、何度も、自分の腕を剣で突き刺した。

 そして、ポタポタと血を流し、ゆらゆらとあいつに近づいていって、血をかけた。

 そして真っ暗なのが終わったのを見て、私を抱えてロバに乗って逃げた。


 その日の夜は覚えている。


 すごく、すごく怖かった。

 ママは、すぐに魔法のお薬を飲んで、木の根元に横になった。

 いつもだったら優しい声をかけてくれるお姉ちゃんも、ぼんやりしながら言葉をかけてくれるヌネフもいなくなっていた。

 ママにだけは優しい、他の人も。

 誰も。

 誰も、誰も。

 いなくなった。

 私はママと2人になった。

 ママと一緒に、黒の滴に出会って、それまで一緒にいた人は誰もいなくなった。

 ママと2人で根っこの近くでうずくまった。

 その日は、ママの方が先に寝た。


「助けて。助けて」


 ママはうわ言のように言っていた。

 次の日からママが変になった。

 私を見て笑わなくなった。

 名前を呼んでと、お願いしたけれど、ママは何も言わなかった。


「そうだ、素敵なことを考えた」


 ある日、突然、昔のような明るい声でママが言った。


「ママ?」


 優しいママが戻ってきたのかと嬉しくなった。

 でも、違った。


「そうだ、ノア。素敵なことを考えたの」


 そう言った。


「素敵なことを考えたの」


 それから毎日、ママは繰り返し繰り返し、そういった。

 ギリアのお屋敷に着いたとき、ほんの少しだけ昔のママにもどったけれど……。

 ゴーレムが作れないと泣いて……そして……。

 私は黒の滴が怖い。

 リーダや、皆も変になったらどうしよう。

 でも、まずは助からなくちゃ。

 黒の滴を知っている私が。

 私が頑張らなくちゃ。

 変になるよりも、死んでしまう方がずっと嫌だから。

 私はカバンからナイフを取り出す。

 痛いのは怖いけれど、皆がいなくなるのはもっと嫌だ。

 いっぱい。いっぱい、突き刺して。

 自分の腕を傷つけて。

 たくさん血を流そう。

 私は呪い子だ。

 いっぱい魔力を持っている。

 だから大丈夫。

 いっぱい血を流して、あいつにかけて怯ませて、みんなを抱えて逃げるんだ。

 いっぱい力を入れて、引きずってでも、皆と逃げるんだ。

 そう思って、目をぎゅっとつぶって、ナイフを振り下ろした。

 自分の手を目がけて、思いっきり。

 ところが。

 腕を掴まれた。


「ノア! いったいどうしたんだ?」


 振り返った私が見たのは、びっくりした顔のリーダだった。

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