第304話 閑話 氷の女王ミランダとラノーラ(マリーベル視点)

「ほれ、見てみろ。マリーベルさん。このあたりが中央山脈のおよそ中腹だ」


 先頭を進む、案内役の人が私の方を見て笑う。

 今、私達はギリアの町を出て南へと向かっている。

 大平原を目指すのだ。

 私は自分のことと、ラノーラのことで、母の親戚に助けを求めた。

 結果的に私は他の方によって助けられたが、それでも私のために色々と動いてくれた親戚にお礼はすべきだと考えた。


「では皆で大平原に向かおう」


 その話をしたところ、団長さんが、そんな提案をした。

 早めに行けば冬の前には、大平原に到着するという。

 山越えのルートだ。

 だが、軽い気持ちで選んだ山越えのルートはとても険しかった。

 案内役の人に聞くと、このルートはめったに使われていない道のりだということだった。

 大事な手紙を送ったりする時と、物好きが旅をするとき、そのようなときに使われる道だそうだ。


「ワシだって、領主様の命令でなければ、この道を通ろうなんて思わなかったなぁ」


 この道は、長い間使われていなかったらしい。

 途方もない昔、ギリアの街が栄えていた時には、重要な交易ルートの一つだったということだ。

 今の領主様はこの道が交易に使えるかどうかを判断し、使えるようだったら整備しようとお考えだそうだ。


「ほら、ここから頂上が見えるだろう。んで左手側に見えるのが巨人大橋だ」

「巨人大橋ですか?」


 興味深そうに団長が身を乗り出して案内役に尋ねる。

 団長は、持ち前の好奇心と、あとは新しい芸のネタにするということで、噂話には目がない。


「あぁ、途中で折れちまっているが、昔は使っていた橋だな」

「あんなに巨大な橋を架けるのは大変だったでしょうなぁ」

「そうさな。なんでも、巨人の兄弟が、作ったって話だ」

「巨人。いいですな。うん。じつにいい」


 そう言って、団長がガハハと笑った。

 案内役の人はひたすらしゃべっている。

 いつもは1人もしくは2人で、この道を何度も往復していたりするそうだ。

 手紙を運んだり、物好きへの道案内が普段の仕事だという。

 道案内といっても、数人を案内するだけなので、こんなに大人数で道を歩くことができるのは楽しくてしょうがないと言っていた。


「昔はあの橋を使っていたから、交易なんてできていたんだろうなと思うんだよ。よっぽど名産でもありゃ別だが、今のギリア……おっといけねぇ。悪口は駄目だな」

「でも、あんな立派な橋をかけるぐらい、ギリアと南方の人達は交易をしてたんですね」

「まぁ、昔は栄えてたってことだよな」

「あれ、今は使われてないんですよね?」


 疲れたと言っていたラノーラだったが、しばらく馬車の上で休んでいたおかげで元気を取り戻したようだ。ヒョイと降りて、橋の方を見る。


「えっ、いや。使われていないはずなんだけどな」


 そう言って案内人の男は、額に手をかざし目を凝らす。

 私もラノーラの言う人影を目で追う。

 確かに2人いた。青いドレス姿の女性と、赤い旅装の人影。おそらく女性だろう。


「うひ」


 案内役の人が小さく悲鳴を上げて、私たち向かって声を潜めて言う。


「すぐに、あそこのほら、岩陰にみんなで隠れるんだ」


 言われる通りにすぐに馬車を手で押して音をできるだけ立てないように気をつけて動かし、岩陰に隠れる。


「なんなんですか?」

「ほら、あの2人の人影。青いドレス姿……あれは、多分ミランダだ」


 ミランダ。

 畏れのこもった声で言われるミランダという名前。


「氷の女王ってことですかい?」


 団長が声を潜めて言う。


「あぁ、そうだ。氷の女王ミランダ。あんまり関わりにならん方がええ。呪い子だしな」

「なんでこんなとこに?」

「さぁ」


 よく見ると、2人は地面を歩いていなかった。

 宙を浮いていたのだ。

 やがて、2人はこちらへ向かってきた。

 向かってきたと言っても、私たちを目がけてではない。

 まだまだ距離はある。


「喧嘩してる?」


 2人の間に、火花が散っていた。

 近づくにつれて分かってきたのが、互いに魔法を打ち合っているとこだった。

 火の玉に、氷の塊。


「喧嘩っていうよりも殺し合いだな」


 いよいよ距離が近くなっていて、ミランダの声が聞こえてきた。


「どうしたのさ。さっきから無言で、もう喋る言葉も忘れてしまったっていうのかい?」


 楽しそうに、まるで雑談するかのような声が辺りに響く。

 声をかけられた人影は、頷いたまま動かない。

 しばらくいて、自分の両腕を抱え込むようにして、上を向き「死ね」と声を荒らげた。

 次の瞬間、ミランダと旅装の人影の間に巨大な炎の壁が作り上げられた。

 炎の壁はどんどんと、ミランダの方へ厚みを増していく。

 そして、ミランダを飲み込んだ。


「あれ、飲み込まれちまった」


 団長も小さく声を上げた。

 だが、飲み込まれたわけではなかったようだ。

 ミランダは炎の壁を突っ切るような形で飛び出し、旅装の人影へと突き進んでいく。


「炎が、青く?」


 団員の数名が声を上げた。

 そう。燃えさかる炎の壁が、一瞬で青くなったかと思うと、下へと落下したのだ。

 それはまるで、炎が凍ったように。

 当のミランダは先程と全く変わることの無い様子だ。

 ギリギリまで接近された旅装の人影は、近づくミランダへと蹴りをいれて、距離を取った。

 さらに旅装の人影は滑るように飛びまわる。

 魔法であんな風に飛び回れるのかと驚いてしまう。


「返すよ」


 ミランダはいつの間にか手に持っていた棒を、旅装の人影へと投げつける。

 私はそこで初めて気がついた。

 旅装の人影が、片足を失っていたことを。

 返す?

 ひょっとして、先ほど投げたのは……。

 私は怖くなり、見ていられなくなった。

 しばらく、炎の燃えさかる音や、何かが割れる音が、響き渡った。


『ガシャン!』


 そして、私達がいた岩陰のすぐ側に、何かがぶつかり砕け散る音が響いた。

 私達がこれから進もうとしていた山道の側面へ、何かが投げつけられたようだった。

 チラリと見て、思わず吐きそうになる。

 先程まで、炎の壁を作った旅装の人影だったもの。

 それが氷漬けになって壁に叩きつけられ、バラバラになっていたのだ。


『ガラガラ……ガラ』


 岩壁が崩れる音が後に続いた。

 そのまま岩壁が崩れ続け、氷の破片を飲み込んでしまう。

 つまり、私達がこれから進む進路は土砂崩れで埋まってしまったのだ。

 それから、ミランダも空を飛んで、その場所まで来た。

 土砂崩れによって埋まった場所を見下ろしていた。


「なんだ、つまらない」


 そう呟いた。

 そして、次の瞬間、周り一面が真っ白になった。

 まるで吹雪の中に唐突に投げ出されたかのように。

 急に周りがすごく寒くなる。

 すぐに、真っ白になった状態は、消えて無くなり、もとの様子にもどる。


「お前達は何?」


 ただ一点だけを除いて。

 ミランダが私達のすぐそばに立っていた。


「私達は旅の一団でして」


 団長が立ち上がり、ミランダへ恭しくお辞儀して答える。


「そう。この道を進んでいこうとしていたと?」

「えぇ」

「それは悪いことしたね」


 恐る恐るミランダの質問に答えた団長に対して、ミランダは謝罪の言葉を口にした。

 心底申し訳ない様子で。

 それが逆に怖い。


「あれは誰だったんですか?」


 そこにラノーラが口を挟む。

 ラノーラ、駄目。

 心の中でラノーラに訴え、そして視線を送る。

 私の視線に気づいて、ラノーラは思わず口走ってしまった言葉をに気付き、顔を青ざめた。


「今のかい? 呪い子だよ。どうした? このミランダが、人を殺すのがそんなに不思議だっていうのかい?」

「いえ、とんでもありません」

「お前には聞いていない」


 ラノーラをかばおうと口を挟んだ、団長をミランダは手を振り、一言だけ答える。

 そして、さらにラノーラへと顔を向け、再び口を開いた。


「私はそこの小娘に聞いてるの」

「あのラノーラは……」

「お前にも聞いてはいない」


 私の言葉も途中で打ち切られてしまう。


「いえ、あのミランダ様が、ミランダ様は、呪い子を殺すということは聞いたことがありましたので……」


 おずおずとラノーラが口を開く。

 ミランダは、無表情でその言葉を聞いていた。


「そうね。隠してはいないからね」


 そして、ぶっきらぼうに答える。


「どんな子供でも、呪い子であれば殺すのですか?」

「ん? なんだい? 呪い子を庇おうっていうのかい?」

「知っている……呪い子がいましたので」

「さてね。相手次第さ」


 ラノーラの返答を聞いて、ミランダは、優しげな声音で答えた。

 まるで、正しい答えを聞いた役人のように、無機質だが、優しげな声音だった。


「今日のあれは暇つぶしだったのさ」


 しばらく無言でラノーラを見下ろした後、ミランダはそう言った。

 そして彼女は手を大きく振る。


『ピキキ』


 小さくすんだ音が響き渡った。

 まだ冬すら来ていないにもかかわらず。聞き慣れた音を響き渡らせた。

 氷の塊を水に投げ入れたときのように、雪解けの季節前にはよく聞く音を響かせた。

 巨人大橋と私達のある山道との間に氷の橋がかかっていた。

 手を振っただけで……。

 まるで、氷の彫刻のような橋をかけてしまうなんて。


「お前達が進もうとしていた道は使えない。あの橋を行くといい。氷で作ったものだ。多少は滑るだろうが、手すりもつけてある。落ちることは無いだろう?」

「ミランダ様……あの橋は折れてしまっておりまして」

「あの程度の橋、私の氷でかけ直すなんてわけないことさ」

「解けないのでしょうか?」

「あはっ。どんなに夏が暑くても、日の光だけではあの氷は解けやしない。嫌ならば通らなければいい」


 ミランダが、そう言ったかと思うと、また、あたり一面が真っ白になった。

 しばらくして、あたり一面の風景が元に戻った時、そこにはもうミランダの姿はなかった。

 確かに言うように、氷でできた橋はとても美しく、そして頑丈だった。

 案内役の男が何度も手でたたき、音を聞き、大丈夫なのを確認した後に、私たちは進む。


「あれは……ひょっとして、炎の魔女ブレンメーアだったのかな」


 そして案内役の人がそう言った。

 呪い子のことだ。聞いたことがある。

 行商人を焼いて金品を奪い、そして死肉を食べてさまよい歩く、呪い子。

 炎の魔女ブレンメーア。

 ミランダは言った、殺したのは呪い子だと。

 そして、ラノーラが聞きたかったのは、きっとノアサリーナ様についてだったのだろう。

 相手が子供でも、ノアサリーナ様でも殺すのですか、と。

 ラノーラはそう言いたかったのだ。

 私も心配になる。

 あの慈悲深く、それでいて可愛らしいあの小さな呪い子が、心配になる。

 ミランダによって殺されませんように、無事でいますように。

 今、どこか遠くを旅している呪い子一行の無事を祈った。

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