第2話 さいしょのひ

 オレはいつものように客先で仕事をしていた。

 座ってパソコンをパチパチ、腰が痛い。

 学校を卒業した時、パソコンでシステム開発していますという謳い文句に引かれて今の会社に入った。文系でも、これから頑張れば楽勝ですよなんて言われてその気になった。

 ところが、それから先はいろんな会社に派遣されて、こき使われる羽目になった。

 こき使われ方はブラック。

 先月200、今月200、桁がおかしいが残業時間だ。

 今もしんどい残業中。

 名刺に輝くアルファベットでSESの三文字。疲れてくるとEがOに見えてくるから不思議だ。


 今日という日も気がつけば日が暮れて、いわゆる納期まであとわずか。

 8時間をきっている。

 いつもは優しく「協力会社の皆さんのお陰です」なんてことを仰る人たちは、週休二日を謳歌して、いつものように出社する……納期を楽しみにしているにちがいない。


「間に合う見込みがないけどな」


 溜息をついて、椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げる。

 そうやって困ったものだと思案に暮れていると、電気が落ちたのか暗くなった。

 誰もいないとビルの管理人は考えたのだろう。

 困ったことがさらに増えてしまった。

 ここで動くとセンサーが作動して警備会社がお仕事をしてしまう。

 オレは悪くないのに怒られてしまうパターンだ。


 さて、どうしようかと考えていると、少しだけ明かりが灯った。

 よかった。よかった。

 しかし、変化はそれだけではなかった。

 目が覚めた。いきなり、唐突に目が覚めた。

 椅子に座っていたはずが、気付かないうちに立ち上がっている。

 さっきまで眠かったのに、スッキリ爽やかな気分だ。おまけに身体が軽い。

 頭も回ってきた。

 さきほどまで無理だと思っていたことの解決策が思い浮かんだ。

 もしかしたら被害を致命傷くらいにはできるかもしれない。


「先輩」


 不意に聞き慣れた声が聞こえた。

 困っているような、今にも泣きだしそうな不安げな声だった。

 仮眠を取っていた同僚の声だ。声がした方を向くと、少し離れた場所にその同僚がいた。

 その時に、はじめて、今立っている場所には覚えがないことに気がついた。

 いつの間にか、知らない場所にいる。


 そこは年季の入った石作りの部屋だった。

 大木から切り落として葉を払っただけのような木の棒が、黒とも灰色ともいえない色をした石の壁に差し込まれている。

 木の棒はうっすらと白い光を放っていて、まるで蛍光灯のように部屋を照らしていた。

 しかし、蛍光灯ほど明るくはない。

 照らされた部屋は、どこも同じ材質のようだ。ひんやりと湿気た空気から、地下室だと直感した。


 同僚の方にそのまま歩いていく。


「ここは……」


 歩きながら問いかけたとき、違和感があった。

 ついさっきまで、会社で一緒に仕事していた4人がそこにはいた。だが、それぞれ何かが違った。

 違和感の正体に思いをよせる……何が違う?


「あららぁ、消えてしまったのかしらぁ」


 頭上で女性の声が聞こえたので、思考がとぎれ、反射的にそちらを見る。

 女性が空に浮いていた。

 赤黒く長い髪をした若い女性だ。

 洋風の顔立ちで、表情もなく生気も感じられない様子に、マネキン人形のイメージが重なる。

 厚手の布をバスタオルでも体に巻くようにして体のラインを隠している。

 それでもやっぱり目のやり場に困る姿だ。

 彼女は、オレの後ろ、先ほど立っていた場所をみつめてブツブツと呟いていた。

 女性の視線の先を見ると、石造りのタイルが貼られた地面に模様が描かれていた。


 丸で囲まれた中に沢山の文字や図形が書き込まれている。

 パッと見た感じ、書かれている文字は、アルファベットでも漢字でもひらがなでもない。

 その様は、まるでアニメや漫画で見る魔法陣だなと思った。

 さらに先には、壁を背にして誰かがうずくまって座っていた。

 細い腕で足を抱える姿、いわゆる体育座りをしている。

 顔は膝に埋めるようにしているのでわからない。

 髪の色も、部屋が薄暗いのでよくわからないが、黒髮ではないことはわかる。もっと明るい色だろう。とても小柄で、子供のようだ。


「先輩も、若くなっちゃってるッスね」


 同僚の一人が声をかけてきた。


「みなみ……南原は変わってないけど、他は……」


 4人の同僚を再度みやると、違和感の正体に気がついた。

 うち声をかけてきた一人を除いて、全員が大なり小なり若返っているように見えた。つい先ほどまで、髭がまばらに伸びていた同僚も、さっぱりした顔でだらしないお腹がひっこんでいる。

 着ている服もぶかぶかだ。

 ぶかぶかになったズボンをベルトごと手で持ち上げていた。まるで子供が父親のスーツを着てみましたといった光景だ。

 他の2人も顔が幼くなっていたりといろいろ変わっていた。


 それから4人と状況確認をする。

 皆、気がついたらこの場所にいたらしい。

 最初に南原がここにきた。それから淡くて青白い光とともに他の3人も出現して、最後にオレが現れたということだ。

 そして頭上に浮いている女性は、自分のことを屋敷の管理人ロンロと名乗っているらしい。

 それ以上のことはまだわかっていない。

 この部屋は密室かもしれないという話も聞く。

 どうにも皆、雰囲気が暗い。


「とりあえず状況を整理しよう」


 このよくわからない状況に対応しようと、誰に聞かせるでもなく呟いた。

 現状を整理しないといけない。

 まず、今いる場所がどこなのかわからない。

 さっきまで真夜中のビルの一室で仕事をしていた。そもそも、仕事が途中だ。

 しかも明日が納期で、いまだに完成していない。

 正直なところ徹夜しても到底無理な状況だった。

 頭をかかえて、とりあえず現実逃避ぎみに休憩とか言っていた矢先のこの状況だ。


 現状は、現実逃避ぎみなんてものではない。リアルに現実から抜け出している状況になっている。

 現実感が全く感じられない。

 夢か幻か、はたまた違う国か違う世界に飛ばされた感じだ。


「あれ?」


 戻ること無く、ここにいたらどうなるのだろう……そんな疑問が頭をよぎる。

 少なくとも、先ほどまで仕事をしていた派遣先のビルではない。パソコンがいっぱい並んでいるような部屋ではないのだ。

 石を積み上げた壁に、模様がいっぱい描かれている石畳のある部屋だ。パソコンのパの字も見当たらず、電気すら通っているとは思えない場所だ。


「あっ」


 一つの閃きがあった。とても素敵な閃きだ。ニヤニヤ笑いが止められない。


「ひょっとして……」


 オレは何気なく呟いた。

 そんなオレに、いつの間にかみんなが注目していた。


「ひょっとして?」


 同僚4人が声を揃えて「ひょっとして」とオレの呟きを反芻する。


「喜べ、納期が延びるぞ!」


 手をポンとたたきつつ、オレの素晴らしい閃きをみんなに宣言する。

 うれしくてしょうがない。


「納期って……」「えっと、ノウキ?」「は?」「先輩?」

 

 4人がそれぞれ理解できないといったリアクションをした。

 あーこいつら、わかっていない。

 どうにもこうにも、最初に気がついたのはオレだったようだ。

 やれやれだ。少しだけ優越感に浸る。


「ここがどこかわからないが、すくなくとも職場じゃない。そこで、職場にもどれない突発的な事故に巻き込まれている状況だと仮定しよう。するとどうだ? 緊急事態なわけで、明日の納期がどうのこうのって話じゃなくなる。別のヤツが仕事を引き継ぐか? 資料を派遣元の皆さんが読むとは思えない。納期だって、元々の締め切りを日付の語呂がいいからと前倒ししたもので余裕があるはずだ。それなら納期を延ばして様子見になるに違いない。つまりは時間が稼げる。今のうちに解決策を考えておけば万事オーケーってことだ」

 

 まくしたてるように、だけど、わかりやすく説明してやる。

 途端に4人が笑いだした。


「いや、納期ってお前……」

「すごい! 流石リーダー、社畜の鏡ね」

「その発想はなかった、リーダー頭いいと思う」

「先輩、どんな時も冷静っスね」


 なんだか馬鹿にされている気がするが、理解してくれたらしい。

 盛り上がる同僚を見て、雰囲気がよくなったことを理解した。

 わかりやすい説明は大事だと実感した。


「さてと……」


 同僚との話はあと回しにして、現状の確認を再開しようかな。

 まず浮いている女性……ロンロを見上げて話しかけることにした。

 彼女は何もない天井をぼんやりと眺めていた。改めてみても、バスタオルのような厚手の布で体をくるんでいるだけの格好を見ると変質者だ。どうしても、目のやり場に困る。

 彼女は、見えない水面に浮かんでいるようにフワフワと気だるそうに浮いている。


「あの……えっと、ロンロさん?」

「あら、話はおわったかしらぁ」


ロンロが気だるそうに応えた。眠そうな声だ。


「あなたは管理人らしいが、ここはどこなんでしょうか? どこの国とか、どこの町とか、あと今何年の何月とか、そんなことを教えてほしいのですが」


 空に浮いたロンロは、寝返りをうつようにフワリと体をひねってこちらを向いた。それから、オレをじっと見つめた後、ゆっくりと答えてくれた。


「今は七の年、赤の月。あと、地名? ここはギリアよぉ、ヨラン王国のはずれのぉ、かって観光地として栄えていた町のねぇ」


 何言っているのだろう?

 観光地でヨラン王国ってのがあるのか、欧州あたりの小国とかなのかな。

 近所の地名だって怪しいオレにはさっぱりだ。


「最寄りの空港とか……知ってます?」


 ロンロは目をパチクリとさせ、しばらくオレをボーっと見ていた。

 程なく何かに気がついたようで、言葉を続ける。


「クウコオォ? ……あぁ、そうかぁ。あなたたちは異界の人なのねぇ。黄昏の世界か、闇の世界か、もっと別の世界か。どこなのかしらね。そうそう、あとここは、ほら、そこに座っている女の子のお家。そうあの子独りだけの、お・う・ち」


 そのまま、芝居がかった優雅な動きで体育座りしている人物を指さす。

 小柄な子供だ。


「それにしても、ギリア?」


 あと、ヨラン王国だっけ?

 おまけに年も日にちもよくわからない……イカイとか何とか言っていたな、タソガレノセカイ? ヤミノセカイ? あぁ、異界か。

 異界……異世界? じゃ、ここは本当に別の世界、異世界ってことか?

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