幼女の着ぐるみを着たおっさん

萩原マツ

前世の記憶は急に止まれない

 鳴海芽衣は五歳でありながら塩分濃度の高い、酒の肴の類を好む。

 するめをハムスターのごとく口に頬張りもぐもぐしている様子は鳴海家ではよく見られる風景だ。

 両親も娘が次々とするめを頬に蓄えるさまを微笑ましいげに見守るのみで、むしろ顎を鍛えるためにはいいかもしれないとすら考えていた。


 しかし、芽衣が真に欲しているものは酒の肴ではない。


「あー今日も目ざといな祖母ちゃん」


 両親の目をかいくぐってビールに手を伸ばしては祖母によってハエのごとく叩き落される。夕餉の間に幾度もチャンスがあったにも関わらずあえなく失敗したのだった。

 本日も何十回目かのチャレンジをするものの、鳴海家の最長齢の目をごまかすことは出来なかった。


 鳴海芽衣は酒が飲みたい。

 そんな幼女に似つかわしくない願望を抱いたのは、誰に告げることもできない秘密があるからだった。


「ちっくしょー酒飲みたいよー酒場のネーチャンが恋しいよー」


 自室にて管をまく幼女。その言葉はとても保育園児の口から飛び出したとは到底思えない言葉である。

 それもそのはず、この幼女の皮を被っているのは、正真正銘おっさんであるからだ。


 鳴海芽衣として生まれる前、つまりは前世を覚えているこの子供は以前の人格に多大な影響を受けている。

 しかも前世では酒豪にして剣豪とも謳われた勇者さまなのだから、この平和な時代に生まれ落ちた瞬間から前世の強烈な個性に現世の個性は呑まれてしまった。


 そんなわけで、幼女の着ぐるみを着たおっさんという、他人に知られてしまえばただ事では済まない状況で芽衣は生きている。

 だからといって、今世に不満があるというわけではない。酒が飲めないということが目下の悩みだが、過激な前世を生きた身としては平和な生活はなにものにも代えがたいものだとよく理解している。

 そのため、何度も祖母に打ちのめされ手が赤くなっても、芽衣はなんの不満もなかった。酒を諦めることはないが。


 しかし、悩みというのは突然降ってわくものだということを、精神年齢約五十歳の幼女はすっかり忘れていた。


「勇者よ、ときは満ちた。現世の魔王を討伐しに行くのです」


 砂場で一心不乱に穴を掘っているというときに、唐突にその声は聞こえたのだった。

 いつか昔にも見た覚えのある神々しい後光までセットになって、その麗しい天使はそう告げた。


「は……?」

「よもや死した魔王の魂を勇者が追うとは、わたくし思いもしなかったのです。しかし、あなたの悪を絶つという強い意志はしっかりと受け止めました」

「あの、わたし、お役目御免じゃあ」

「幼い姿になってもなお、あなたの身に宿る雄々しい力の奔流……わたくしには分かります」


 人ならざる者との会話は難しい。前世でも経験したことのあることであったが、芽衣はどうにか突然砂場に現れた天使の言い分を理解した。


「つまり、死んだ魔王の転生先にわたしも転生したから、今世でも抹殺する心積もりだろう、と」

「えぇ」

「しかも、転生したにもかかわらず、わたしにはその魔王を抹殺する力が備わっている、と」

「はい」


(マジかよ)


 スコップ片手に遠い目をする幼女に、天使は空気も読まずに武器を授けようと何かを差し出してくる。

 前世と重なる場面だ。以前も魔王討伐のために神具を授かった。今回も同様なのだろう。

 しかし、今の勇者は前の勇者ではない。そもそも世界も違うのだ。幼女に前回のような大剣を渡してどうする。扱えるわけがないし、第一見つかり次第没収される。

 そんな心配をする中、天使は予想よりも軽いものを芽衣に握らせた。


「今のあなたに合わせた武器です」

「これは……メイスか?」

「いえ、魔法のステッキです」

「振れば魔王を滅するビームでも出るのか」

「いえ、あるコスチュームに着替えます」


 現世に幼女として転生してから、毎週日曜日の朝にみるテレビ番組がある。それに登場する少女たちを連想させるごてごてとした装飾をつけた棒は、いかにも芽衣くらいの年ごろの幼女が好みそうな武器だった。

 確かに剣は無理だと思ったが、仮装するためだけの能力しかない棒を差し出すとは。


「これでどうやって闘うんだ」

「強度はあります」

「殴れと」

「はい」

「魔王相手に鈍器で立ち向かえっていうのか」

「しかしわたくしの方にも事情がありまして。年齢制限があって、あなたにはそれ以上の殺傷能力のある武器が授けられないのです」

「年齢制限があったなんて初めて聞いたぞ」

「初めて言いました」


 こうしてぐだぐだと言い合っている間にも、天使の目が「変身しろ」と訴えている。

 しかし、何度も言うが芽衣の中身は酒に溺れるおっさんである。いくら外見的には適合しているとはいえ、変身したときの精神的なダメージは芽衣にも測り知れなかった。

 そもそも、芽衣の精神的おっさんを犠牲にしてまで変身するメリットが分からない。

 双方無言になり、非言語的な戦いが天使との間で繰り広げられる。


 そんな混沌とした公園の砂場へ、何者かが足を踏み入れる音が聞こえた。


「芽衣ちゃん、お母さんがそろそろお家に帰ってきなさいって言ってたよ」

「あ、菊池のおじさん」


 優しげな声に振り返ると、無地のシャツにジーンズを身に着け、草臥れたサンダルをはいた鳴海家の隣人がいた。

 独り身である彼とは、母が作りすぎたおかずをおすそ分けするくらいの付き合いはある。

 今日もおかずをもらう代わりに芽衣を呼んでくるように頼まれたのだろう。そう推測して、素直に「はーい」と返事をして、立ち上がる。

 しかし、このまま魔王だなんだという話題から逃げられると思っていた芽衣の背後から、天使の鋭い声が飛んできた。


「勇者よ! この者こそ、あなたの宿敵である魔王です!」


 下手人を指し示すように声高にそう言う天使に、はっきり言って呆れた。


「えぇ……そんな無理矢理な」

「芽衣ちゃん、そうか、知ってしまったんだね」

「……いやいやいや」


 だというのに、隣人までなにやら言い始めたから堪らない。

 お前まで何を言い出す、と言わんばかりの目で見れば、隣のおっさんは見る間に前世で見た覚えのある黒々としてトゲトゲしい魔王へと変化していた。


「転生した先にまで我の野望を邪魔しに来るとは……さすがは正義の味方と言うべきか」

「お、おい止めろ、正義の味方とか痒いこと言うな」

「今度こそ貴様の息の根を止めてくれるわ」


 そう言って、隣人であったおっさんもとい魔王が謎の黒い光を集め始める。

 これまた見覚えのある光景に芽衣は冷や汗が止まらなかった。


(待って待って、これって一国を焦土に化せる技だよね? それをここで繰り出す気かこのおっさんは!)


 当時の一国の国土面積とこれから被害に遭うだろう土地を照らし合わせるが、どう考えても芽衣が暮らしている国の半分が吹っ飛ぶ。

 それを迷うことなくいたいけな幼女にぶっ放そうとする魔王に、完全に芽衣の平和ボケした頭は混乱していた。

 視界の隅でちゃっかり安全圏まで逃げた天使が変身コールをしている。それに向かって、怒鳴りつける。


「コルァア、ろくな武器がないせいで世界滅亡してもいいのか天使!」

「ですからその魔法のステッキでどうにかしてください。大丈夫、変身したら解決します」

「なんだそのコスチュームは魔王の攻撃を無力化でもしてくれるのか」

「いえ、服にはそこまで強度はありませんけど」


 こんな会話をしている間に、魔王の技は最終段階に移ったらしい。

 あとは腕を振り下ろすだけ。

 久しく経験していなかった絶体絶命の危機に幼い身体はかちりと固まってしまう。

 そんな芽衣を見て、勝利を確信する魔王の赤い眼光が半月の形に笑うのが分かった。


「さらばだ、勇者よ」


 その言葉と共に、至近距離から黒い光が放たれる。

 もはやこれまでか。僅か五年という平和な日々を思いながら、芽衣は身体から力を抜く。

 しかし、予想に反して一向に痛みがやってこない。痛みを感じることもなく昇天したというのだろうか。

 そう不思議に思い、目を開ける。すると、またしても見覚えのある結界に守られていることに気づき、目を見開いた。


「危ないところだったな、勇者よ」


 前世と変わらない、渋い声が聞こえる。その声は確かに、魔王討伐を共にしてくれた仲間のもので。

 まさか現世で再開できるとは思わず、喜びの気持ちを抑えて声の主の方を向く。

 そして、昔の仲間の現在の姿を見て――叫んだ。


「な、なんだその恰好は!」

「天使さまが与えてくれた魔法のステッキの力さ。当時の力が湧き出るようだ」


 そう宣うのは確かに懐かしい旅の仲間だった。同い年で、剣術を極めた勇者とは真逆に魔法を極めた者だった。

 しかし、現在の彼はその当時の姿の上から、サイズの合わない、ひらひらとした蛍光ブルーのドレスを着ていたのだった。

 見るに堪えない。服に隠れきれなかった筋肉がむき出しになっている。


 そんな状態だと言うのに、魔法使いは堂々と魔法を唱え、同じく硬直していた魔王へと攻撃した。

 魔王は「そんな馬鹿な!」と言う断末魔と共に消えていった。芽衣もそのセリフを叫んで消えてしまいたい。


 だというのに、目の前で腕をがっしり掴んでくる旧友と天使が逃がさない。


「ほら、わたくしの言った通りでしょう。変身すれば万事解決です」

「魔王は滅したが、今後いつ同じような存在が現れるか分からない。再び、ともに世界の平和を守ろう、友よ」


 芽衣は、今、この瞬間から魔法のステッキを封印することに決めた。

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