第80話 末期の水は間に合わない問題

 あれから数日の後、米田家の厚意により、孝明たちは大将の線香をあげさせてもらえた。

 遺灰は、長男の家に保管されている。


「末期ガンだったんです」


 最近になってガンが見つかった。看てもらったときには、もう手遅れだったらしい。


 遺影の写真は、相変わらずの仏頂面だ。もっとにこやかな絵はなかったのだろうか。

 たとえば、先日自分たちに見せてくれたような。


 大将のことだ。きっとカメラを向けたら不機嫌になったに違いない。


 長男の家には、好美も来ていた。祖父の死を悲しみ、琴子の胸の中で嗚咽を漏らす。


「通院が長引いたりして、我々も心配していたのです。けれど、『店に立っていると、頑張れる気がするんだ』と聞かなくて」


 入退院を繰り返しつつ、大将は店を守っていた。

 誰に気を遣うでもない、美食を追求するでもない、誰でも気軽に食事を楽しめる場を。


 この日も、孝明たちが来店するのを待ち、仕込みをしようとしていたところだったらしいい。


 オーナー夫婦が店の前で倒れている大将を見つけ、救急車を呼んだ。

 だが、その時には既に息をしていなかったらしい。


「連絡したかったんですが、琴子ちゃんにまで心配をかけさせたくなくて。でも、そのせいで死に目に合わせられませんでした。ごめんなさい」


「いいよ。好美ちゃんのせいじゃないから」

 琴子が、好美の頭を撫でた。


「オレたちの、せいなんでしょうか? オレたちがこの店に通っていたせいで、大将の負担に」

「とんでもございません」


 大将の長男が、大きく首を振る。


「父にとって、お二方は生きる希望だったと思います。お二方がいらっしゃったからこそ、父は生きていられたのだと思います」


 この上なく、感謝をされた。


 孝明たちとの日々は、大将の生きがいだったのだと。


 普通の料理人として死んでいくしかなかった男にとって、二人は最後の客だったのである。


 だが、自分たちは、最後の最後で、大将に何もしてあげられなかった。


「店は、どうなるのでしょうか?」


 二人にとっての思い出が詰まった場所であり、大将との繋がりがあった場所だ。


「どなたかに譲ろうかと」


 人から借りていた店舗である。それが筋だ。


 しかし、孝明には納得できない。それは、琴子だって同じだった。


「あの、一日だけ、貸していただけませんか?」


 無理を承知で、お願いをしてみる。


 大将の長男は、首をかしげていたが、「大切に使ってくれるなら」と承諾してくれた。


「父の店の鍵です。私物や貴重品などはこちらで持ち帰りましたから、あとはご自由にどうぞ」

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