第45話 間接キス問題

「あのー」

 フロント係の女性が、孝明に語りかけた。

「お祭りに行ってらっしゃると姉から聞きまして、夕食をご用意しておりませんが」


 事前に、「夕飯の必要がなくなった」とは言ってある。

 ただ、脂ものばかり摂取した胃は、あっさりした海鮮を求めていた。


「いかがいたしましょう。お休みになるには少々早いかと。軽くつまみますか?」

「メニューは、なんでしょう?」

「海鮮、主にお刺身をご用意いたしております」


 焼いたサザエや、タイのアラ汁も付くという。入るだろうか。


「コトコト、どうする?」

「食べるよ」


 琴子は、平然と言い放つ。


「だそうです。お願いします」


 フロント係にそう告げた。


「ご用意いたします」


 料理が来るまで、部屋で待つ。


「オレは、刺身だけ摘まむよ。コトコト、食えるならオレの分も食ってくれ」


「おうよ。食ってさしあげましょう!」


 本当に健啖家だ。若いとはいえ、どれだけ食うのか。


「うわあ、小さい舟盛りだよ」


 持ってきてもらったのは、海鮮の盛り合わせである。

 小舟にお造り、アラ汁と、キノコ類などの山の幸が小鉢に。


「うーん。来てよかったね、コメくん」

 わさび醤油を刺身に塗りたくり、琴子はガブリと喰らう。情緒もへったくれもない。


「これなら、いくらでもいけそうだ」

 旬の刺身を味わい、孝明はうれしさのあまり、ため息をつく。

 気がつけば、孝明の小鉢も減っている。あまりのうまさに箸が進む。


「ちょっと、分けてくれるんじゃなかったっけ?」

「予定変更だ。これは入る」


 どれも量が少なめで、気を利かせてくれている。


「じゃあいいや。豆乳の杏仁豆腐だけちょうだい」


 トロトロ仕立ての杏仁豆腐が、琴子にはヒットしたらしい。

 

 孝明には多少甘かったので、未練はなかった。


「ほらよ」

 孝明は一口だけ食べて、琴子に渡す。


「食べかけじゃん」

「文句を言うな」


「あ、いや、文句じゃなくて、さ」

 恥ずかしげに、琴子がスプーンを弄ぶ。


「だって間接」

「小学生か。単に唾液が付いた程度だろ」


 何を照れる必要が?


「ああもう、こういうトコだし」

「なにがだよ? あげたんだから黙って食えよ」

「こういうところだし。もーっ」

「文句があるなら返せよ。食べきるから」


「やだ。もらったし」

 琴子が、なぜか『孝明が口を付けたところ』にスプーンを突き刺した。

 てんこ盛りに持ち上げ、杏仁豆腐を一息で頬張る。


「茶碗蒸しが残ってる」


「あげる」

 琴子が、茶碗蒸しを孝明に差し出す。


「杏仁豆腐は食うのにか?」

「ギンナンが強くて無理」

「ラッキー。オレ、ギンナン好きだからもら……」


 中を見ると、一口だけ食べられていた。


「何? 唾液が付いてるだけじゃん」


 意趣返しというわけか。


 もらった茶碗蒸しをスプーンですくい、口へ。


「ふ、ふふ……」

 気持ち悪い笑い方をした。


「怖いよ、コトコト」

「いいもん。うん、おいひい」

 気に入っているならいいか。



「じゃあ、あたし、向こうのお部屋に行くね」

「おう。おやすみ」



 フスマを締める直前、琴子がスキマから覗いてきた。



「一緒に寝たいなら、今のうちだよ」




「いいから寝ろってのっ」

 フスマに枕を投げつける。

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