第10話 から揚げにレモン掛けるか問題

 から揚げが食いたい。


 孝明は、朝からずっとそう考えていた。



 朝はトーストとジャム、昼はうどんだったので、ガッツリしたモノが欲しい。


「ミックスフライ」

「あいよ」


 注文から数一〇分経ち、定食が並ぶ。


 アジ、カキ、エビのフライに、クリームコロッケ、そこに鶏ムネ肉のから揚げが並ぶ。


 うまい。から揚げと飯のコンビネーションは、どうしてこんなにも箸が進むのか。


 極めつけは、タルタルソースだ。業務用だが、味が調っている。


 孝明は、レモンを別皿で絞った。

 先にから揚げへかけると、味が染みすぎる。

 レモンは少しずつつけて、タルタルはベチョッと塗りたくる。


「おい、食わないのか?」


「だってさー。うーん」

 さっきから、琴子はずっと、プリントとにらめっこしていた。


 付け合わせのコンソメスープに口を付けて、孝明は舌を休ませる。


「ねえねえ、どっちがいいかなー?」

 琴子もミックスフライ定食で、カキフライの代わりにエビフライが三尾も乗っかっている。


 カキフライを除外して、そっちにすればよかったかな、と孝明も考えていた。

 カキは居酒屋でも食べられるから。


「好きなモノを食えばいいだろ?」

「そうじゃなくてーっ。進路!」


 高校二年になり、琴子はそろそろ自分の進む道を考える必要が出てきた。


「いや、ちょっとさ、お子さまじゃいられない状態でさ」


 よく見ると、白紙だ。


「どこにも行きたくないか?」

「子どものままでいたいわけじゃないんだよ。今の生活は楽だけどさ。でも、『これ!』って道がないの」


 琴子は特に「何かになりたい」、「何かしたい」という欲求が、子どもの頃からなかった。


「適当に書けばいいだろ」


 こんな紙一枚に将来を書き記しても、どうせその通りにならないのだ。



 孝明には、一流大学を出てお笑い芸人になった友人がいた。今では音信不通だが。


「こんなもん『魔法少女になりたい』とか書いても、通るからな」


 本当に書いて、親に呼び出された男子がいたが。彼こそ、先述のお笑い芸人だった。


「そんな人いるの?」

「『芸人になったとしてもサムい』と、厳しい意見を賜っていたけどな」


「あーん。そんなの書いたら、停学食らっちゃうよ!」

 余裕がなさげに、琴子は激高した。


「別に、大学って書いておけばいいだろ。今は、大学なんてどこを出ても一緒だろ」


 もはや、大学卒業なんてなんのアドバンテージもない。

 就職に有利とはいえ、せっかく入ってフリーターの道、という大学生だっている。

 何があるかなんて、本人でさえ分からないのだ。


「適当に書いとけ。今を一生懸命生きた方がマシだぜ」


「なんかさー、がんばってない人って思われないかな?」

 琴子が机に突っ伏す。



「思わせていればいい。別に世の中、がんばる必要なんてねーから」



「おお、格言だね」




「だってオレたち、努力したから巡り会えたわけじゃないだろ?」




 孝明はそうだった。

 出世したい欲は、他の社員に負けない自信はあったように思う。


 ところが、たとえ死ぬ気で努力しても、いいように使われただけだった。

 結果的に、孝明は仲間を一人なくしている。


 彼は田舎に帰って、農業を始めた。

 当時では考えられないくらい、現在は充実しているらしい。

 収入は一〇分の一になったのに。



 人を人と思わない会社を相手にするなら、省エネ生活で充分だと、孝明は思い知ったのだ。


 人は、環境によって変わる、変われるのだと。


「この店だって、ガッツリうまい物を出そうと思えば出せる。それは分かってきた」


 実際に手が込んでいることが、最近になって素人の孝明にも把握できるようになってきた。


 でも、やってない。何か理由があるのだ。そこまでしなくてもいい理由が。 


「だから、肩肘張って人に良く思われようなんて、考えるだけ無駄だと思うが?」



 頭をテーブルに載せたまま、琴子は目を見開く。



 適当に言っただけで、深い意味はないのだが?



「そっか。そうだね」


「じゃあ、冷めないうちに食っちまえ。もう冷めちまってるが」


 腹が膨れれば、いいアイデアも浮かぶだろう。



「いただきまーす」

 琴子はから揚げやミックスフライに、レモンのシャワーを容赦なく浴びせた。



「先にかける派なのか?」

「こうやって、タルタルソースを塗ると、おいしいの!」


 豪快に、琴子はから揚げを一口で頬張る。


 ミックスフライ定食を平らげる頃には、琴子はすっかり元気を取り戻した。

 プリントになにやら書き記す。


「なんて書いたんだ?」


「ナイショ。じゃあ大将、こちそうさま」

 琴子は店を出て行った。





 


 翌日、琴子は第一志望に「お嫁さん」と書いて、職員室に呼ばれたらしい。

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