なしひとへのお題は『この先に何もないと知っている・小さな自己主張・喉が痛むほど叫んだ』です。

 その写真は黄色く色褪せている。

 したがって、正面に大きく映る車の色が白なのか黄色なのかすらわからない。その車のボンネットに半ば腰を掛けるように、若い男女が並んで微笑んでいる。背景はどこかの海の堤防であるらしい。

 男の方は大きなサングラスをかけ、女の方を抱いている。女は身を引き寄せられながら、顔だけをカメラの方に向けている。日差しの強い日に撮られた写真であったらしい。女の目元はふちのある帽子の影で黒く塗られたように見える。

 死んだ父と母の写真だ。

 僕はその写真をもう一度だけ視界に焼き付けて、魔女に手渡した。


 魔女についての噂を聞いたのは、記憶を遡れば小学校の頃からである。

 いわく、日がな毒薬を作っているのだとか、呪いの儀式を研究しているのだとか、夜中のトイレの鏡にたびたび映るのだとか。

 しかし幼さがゆえの無責任な噂は、揮発性の飽きっぽさですぐに忘れ去られた。

 思い出したのはふたたびその魔女についての話を聞いた、つい最近のことだ。

 幼き日の僕らが魔女と指差した先には、実在の一人の女性がいた。

 いつ訪ねても鬱蒼と生い茂った庭樹に遮られて暗い、大きな屋敷に一人で住む壮年の女性である。

 彼女は実際のところ、言葉通りの意味での魔女ではない。というのはつまり、魔法が使えるわけではない。

 ただし、いくつか不思議な力を持っているらしかった。

 いわく、記憶のこびりついた品と引き換えに願いをひとつ叶えてくれるのだとか。

 誰がそんな突拍子もない話を信じるというのだろう。しかし不思議と誰も、その話を疑う者はいなかった。

 僕は地元の友人の紹介で、実際に願いを叶えてもらったという男にも会った。何を叶えてもらったのかは頑なに話そうとしなかったが、「神に誓っても」自分は魔女と呼ばれているその女に願いを叶えてもらったのだと主張した。


 呼び鈴を鳴らされて、出てきた魔女は至って普通の女性にしか見えない装いだった。

 洋風の小洒落た居間へと通された僕は、願いを叶えてほしい旨を告げて、両親の写真をテーブルの上に差し出した。僕の手元に唯一残る、二人が写った写真である。

 彼女は少し不機嫌そうに、それであんたの願いは?と尋ねた。

「両親はずっと昔に交通事故で死にました。彼らは産まれたばかり僕を生かすために、自分の命を犠牲にガソリンの炎で焼死しました。

 僕の願いは、両親が僕を見捨てて生き延びてくれたifの世界が現実のものとなることです」

 その場合、あんたは死ぬことになるが構わないね? と魔女は尋ねた。

「そのつもりです」

 僕はもう一度、両親の古い写真に目を落とした。

 僕がどう足掻いたところで、彼らほど価値のある人生を歩めないだろうと深く絶望した夜を思い出した。

 魔女は一度だけ指を鳴らした。

 そのようにして僕は死んだ。


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