なしひとへのお題は『力の限り叫んだ思い・包まれる香り・君を背に乗せて太陽を目指そうか』です。

 天体学者たちの厳密かつスパコンをぶんぶん振り回した高度な計算によれば――太陽の重力がとうとう地球の遠心力を上回り、でもってちょうど今年から約8000年後に、地球は太陽に飲み込まれることがわかったらしい。

 かと言って、いまからどうこう騒ぐほどの大事ではない。

 8000年という数字は我々の現実感を凌駕するほどに遠い未来の話であり、明日の夕飯の献立よりはどうでもいい話題だったからだ。

 緩慢な滅亡がわかりきっている星の上で、我々は今日も今日とて戦争ばかりしている。

 時間というのがあくまで相対的な概念である点を勘案すれば、たとえば、二十日で死ぬネズミからしてみれば1600日目に滅亡する世界というのが、我々にとっての地球に当たり、365日で割れば、さしあたり5年弱というのがその実感の及ぶ単位だろう。

 ある研究室で脈々と受け継がれつつ飼われていたネズミ一家が、五年目の研究費の打ち切りと同時に全員毒殺された――と考えると、まぁまぁあり得る話のように思える。

 イエス・キリストが死んでから2000年ちょっと。その間、人類が宇宙に片足を突き出してはあまりの冷たさに引っ込めるを繰り返した回数を考えてみれば、あと8000年もあれば、西暦10000年目には宇宙の果てに向けた寒中水泳くらい、息継ぎなしの十秒台でできるようになってそう。

 たとえば天国という場所を考える。地獄でもいいが、ともかく死んだ人間の行き着く場所。そんな場所が仮にあるとして、いままで死んだ人間やら動物やら虫やらが自由に右往左往できるだけのスペースなんて、ちょっと想像つかない――けど、宇宙の広さから考えると、その程度の容積は誤差の範囲でしかない。地球と同じ程度の住みやすさの星への移住というプランが現実的でないなら、住みやすさを捨てて、その辺りのどこでもない宙空にマンションでも建ててしまえば、問題は解決するだろう。

 もし現環境(=地球)の運用維持、という方向に舵を切るなら、公転軌道上を飛ぶ速度をもう少し上げるという手もある。

 しかし私は、このまま太陽に落っこちて、星がまるごと滅びてしまうのもいいんじゃないか、なんて思う。

 いままでなんやかんやありつつも、偶然生き延びててきた人類は、本当に滅びなかったのは幸運による結果でしかなかったのか。あるいは我々は神に愛された主人公補正の賜物なのか。

 その辺の結果が気になったりして。

 死んだら死んだで、いままでよく頑張ってきたね、チャンチャンで済ませたい。

 どうせその程度の生き方しかしていない生き物だし。

 あなたも、私も。

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