土砂崩れの理由

「ちょっと晩御飯の材料切らしちゃって。買ってきてくれないかしら?」


 昼食の後にリビングでぼーっとしていると、母さんからそんなお願いをされた。あると思っていたものが冷蔵庫になかったらしい。こういうことはたまにある。

 食後のコーヒーを飲み終えてから、僕は買い物のメモを母さんから受け取って秤屋商店へ向かった。

 雨は朝より小降りになっているものの、まだ傘無しでは出歩けないくらいだ。雨に打たれて揺れる稲穂を見つめながら、田園を横切り、中央広場を過ぎる。商店までは時間にして十分ほど。その道中に二人のお爺さんが、如何にも辛そうな足取りで東へ歩いていくのに遭遇した。多分、集会場へ向かったのだろうな。


「いらっしゃーい。今日は普通のお買い物?」

「普通……まあ、そうです」


 確かに、千代さんからしてみれば、機械のパーツを買うのは普通じゃない買い物だよね。


「お好きに見てってね。私、ちょっと父に呼ばれてるから行かなきゃ。盗ったりしちゃ駄目よ!」


 笑顔で冗談めかして言うと、千代さんは店の奥、立入禁止の向こうに引っ込んでいった。こんな風に店番がいなくなっても物を盗まれたことなんてないらしい。流石の治安の良さ、といったところだ。

 そう、治安は良かった……はずなのだけど。

 店内に入り、食品の陳列棚を見て回る。生鮮食品は、街の中でとれた物以外はもう殆ど残っていないが、それでも困らない程度には種類も量もあるし、レトルト食品や缶詰などはかなり豊富だ。千代さんは運転免許を持っているので、家族の持っている軽トラックで隣町まで買い出しに行っている。何が住民にとって必要か、きっと誰よりも把握しているのだろう。千代さんもまた、この街の満ち足りた暮らしを支える一人だよなと思った。


「おや……こんにちは」


 背後から声を掛けられて、少しびくりとしてしまった。

 慌てて振り返ると、そこには。


「あ、八木さん。こんにちは」

「買い物? この雨なのにおつかれさま」

「そんなに量もないですから」

「はは、そうかそうか」


 こうして八木さんと話すのは、久しぶりな気がする。龍美はしょっちゅう会っているようだが、僕はもうかれこれ一ヶ月以上は会ってなかったんじゃないだろうか。

 相変わらず、カッターシャツに緩く巻いたネクタイという服装。睡眠時間が少ないらしく、目は常に隈が薄っすら浮かんでいる。容姿は中々美男子といったところだろうに、生活がだらしないというか、仕事と私生活が殆ど一緒くたになっている人なのである。いくら派遣されてきた身とは言え、もう少し気を遣った方が良いと思うのだが、余計なお世話だろうか。

 まあ、龍美はそんな八木さんを好いているようだが。……でも、あの子はお兄さんキャラならオッケーって感じなのかな。


「八木さんも、何か買い出しに?」

「ええ、私はあっちの部品を」


 そう言って指差したのは、昨日龍美が品定めをしていたコーナーだった。八木さんもそこで機械部品を買っているらしい。


「機械が不調だったら自分で直さなくてはいけないんで、ここは本当に便利でね。病院さまさま、といった所だ」

「あそこのコーナーは、病院側の要望なんですもんね」

「だってね。……医療に使わなさそうなものもあるんだけど、そこは私も専門外だし、何かには必要なんだろう。私の仕事の助けになっているから、それだけでありがたいよ」

「はあ」


 言われてみれば、何に使うのかよく分からないようなパーツもあるし、気にはなるところだ。


「お待たせしました~っと。あれ、八木さんいらっしゃい」

「どうも、こんにちは」

「ゆっくり見ていってくださいね」

「ありがとう。でも、そんなに時間はとらないので」


 にこりと微笑むと、八木さんはすっと機械部品コーナーに歩いていき、十秒と掛からずに目当ての品をレジに持ってくる。頻繁に利用しているから、どこに何を置いているか大体把握しているのだろうな。


「っと、感心してる場合じゃないや」


 僕も買い物に来ているのだった。ポケットから母さんにもらったメモを取り出して、リスト通りの品を取っていく。買い物カゴは周囲に置かれてあるが、今日は必要ないくらいの量だ。


「ありがとうございました。またよろしくね~」


 八木さんも僕も、程なくして買い物を終える。千代さんが頭を下げるのに、僕らも軽く礼を返した。


「私はこれから病院に寄っていくんだけど、ちょっと一緒に歩くかい?」


 八木さんがそんなことを言うのは珍しい。孤独を愛していそうな人なんだけど。


「構いませんよ、行きましょう」

「うん。遠回りだけど、すまないね」

「いえいえ」


 龍美も先日話してくれたが、八木さんの話は興味深いものも多いし、面白いことが聞けるかもしれない。病院までの短い時間だけれど、嫌ではなかった。

 傘がぶつからないよう気を配りながら、八木さんと並んで歩く。こうして歩くと、僕って背が低いなと感じる。


「玄人くんも龍美さんも、鬼の伝承を調べてるんだってね」

「ああ、はい。龍美から聞きましたか」

「そんなところ。私の仕事もある意味じゃあ謎を調べることだし、二人の調査を応援しているよ」

「えと、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 八木さんは少しだけ笑顔を浮かべたが、それはすぐに消えてしまう。


「……私の地質調査も長い間続けてきたけれど、そろそろ帰りたいな、と思うことがある」

「そう、なんですか?」

「うん。やっぱり永射さんの事故もそうなんだけど……ここのところ不穏なことが多くて。この街全体の空気が悪くなっている気がするんだ」


 普段は観測所に籠りがちな八木さんも、それは感じているらしい。


「……それから、事故があった日に土砂崩れも起きたね。他の人はあまり気に留めていなかったけど、あれは雨のせいだけじゃなくて、地震の影響もあったんだよ。土砂崩れのせいで揺れたように感じたのは間違いなんだ」

「そう言えば……龍美も地震があったって言ってる人がいるって話してたな」

「ええ。実は、満生台で過去に大きな地震は大体十数年おきに起きているみたいでね。最後にあった地震が一九九四年だから、もうそろそろ大きな地震が起きても不思議じゃないんだ」

「最後の地震から今年で十八年……ですか」

「そう」


 その法則がどこまで正しいかは不明だが、専門家の八木さんが言うと説得力がある。間隔が十数年なら、二十年目までには一度、大きな地震が来てしまいそうだ。


「しかし最大震度は大体五弱だったから、今の満生台なら大きな被害は出ないと思うのだけど。……怖いことが続くせいで、ちょっと不安になってしまうね」

「その気持ちは分かります」


 幸も不幸も、何故か連鎖してしまう。そういうものな気がする。


「……八木さんって、鬼の存在を信じたりしますか?」


 ふいに聞きたくなって、僕は問いかける。


「そうだねえ。私はこの目で見たものしか信じない人間だからね。目の前に現れたなら、そのときは……信じられるかな」

「あはは、八木さんらしいです」

「私らしい、か。そのイメージが変なものじゃないといいのだけど。……ふう、到着だ」


 気付けばもう、僕らは病院の敷地前まで歩いてきていた。案外楽しく話せたので、もう着いてしまったという感じだ。


「それじゃあここで。付いてきてくれてありがとう」

「いえいえ、こちらこそ。楽しかったです、八木さん」


 軽く手を振ってから八木さんは歩いていき、病院の中へ入っていった。それを見届けて僕も向きを変え、家の方向へ歩き出した。


「……地震、か」


 もういつ大きな地震が街を襲ってもおかしくない。八木さんの推測が正鵠を射ているなら、そういうことになる。土砂崩れが起きた原因は地震だったという。それは、もしかすると予兆なのだろうか。悪い方向にばかり考えがいってしまうが、有り得ない可能性ではない。

 それでもこの街は今、発展を続けている。多少の揺れが来たところで、人々の生活まで揺らいでしまうことはないと思うけれど。


「あら……真智田くんじゃない」


 考え事をしていたので、前方の人影に全く気が付かなかった。顔を上げると、そこには早乙女さんが立っていた。彼女は可愛らしい花柄の傘をくるりと回しながら、こちらを見つめてくる。


「今日、定期健診の日でしたっけ。……違うか」

「八木さんに会って、病院まで付いていってたんです」

「八木さん……何か用かしら」


 早乙女さんは、少しだけ首を傾げたが、すぐにこちらへ視線を戻して、


「ところで真智田くん、この辺りで鍵が落ちてませんでした?」

「鍵、ですか?」

「ええ。仕事場の鍵を一本、落としちゃったみたいで。……うーん、外で落としたんじゃないのかもですね」

「僕は見てないです。……どこかで見かけたら、ご連絡しましょうか?」

「いや、多分道には落ちてないと思います。聞いておいて申し訳ないけれど、気にしないでください」

「はあ、分かりました」


 大丈夫なのかな、とは思ったが、当人が気にするなというのだし、余計な心配はしない方がいいだろう。


「それにしても、この街のお年寄りはとても活力がありますね」

「病院があるおかげじゃないですか?」

「だと、嬉しいんですけど。……最近、変な集会が始まっているみたいで、私としては少し怖いんですよ」

「ああ……」


 早乙女さんも集会の件は心配しているようだ。確実に、不穏な空気は広まっている。


「鬼の伝承なんて、もう古いでしょうに」

「まあ、若い人間からしたらそうでしょうね」

「お年寄りでも、移住してきた人からしたら変てこな話だと思いますよ」


 苛立ち混じりに彼女は言うが、移住してきたお年寄りの中にも、集会の参加者は一定程度いるような気はする。


「……早乙女さんは、鬼の存在を信じてないんですね」

「勿論です。そんなものを、いちいち信じていられないですから」


 早乙女さんはそう斬り捨てたものの、語気を荒げたことが恥ずかしくなったのだろう、照れ隠しのように咳払いをする。


「じゃあ、お仕事に戻らないとなので。気をつけて帰ってくださいね、真智田くん」

「は、はい。じゃあまた」


 僕の言葉に、早乙女さんは笑みで返し、それからスローペースで病院の方へと歩いていった。

 ……今日は、想定外に色んな人と会う機会があったな。


「……さ、帰ろう」


 道草を食ってばかりはいられない。僕はふう、と一つ息を吐くと、心持ち速足になって家への道を歩き始めた。

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