窓に映るのは

 その夜。

 風呂を済ませてベッドに横たわった僕は、半ば条件反射的にスマホを手に取って画面を開いていた。


「……ん……」


 チャットアプリを確認した僕は、午前中に龍美へ送信したメッセージがまだ既読になっていないことに気付く。半日経っているのだから、いつもの彼女ならもう見ていて当然だと思うのだが。

 休みの日は、稀に遠方へ出かけることも勿論ある。この村の住民にとって、それは本当に稀と言うべき程度なのだけれど。もしかしたら、龍美も家族でどこかへ行っているのかなと考えたが、外へ出る唯一の道は土砂崩れで塞がれているのだから、それは違うなと思い直した。

 スマホの画面上で、時刻が十時になるのを眺める。もうあと二時間で一日が終わる。どうしてだろうか、こうやって時間が経っていくことに、焦りというか、怖れを抱いてしまっているのは。

 少しずつ軋んでいく日常。取り返しのつかない何かが起きるような、勝手な予感。僕はこんなことをしていていいのか。何か、成すべきことはないのだろうか。答えが出るわけもないのに、頭の中はぐるぐるとそんなことばかりが巡り、巡る。

 無駄に考えすぎているせいか、鈍い頭痛がした。気分転換をしなくてはと、ベッドから起き上がって窓際まで向かう。雨は霧のように細かく、窓を開けて風に当たっても平気だろうと、僕は引手に指を伸ばした。

 そのとき、突然稲光が起きて。

 白く染まった視界の中に――それが、見えた。


「ひっ……!?」


 窓から弾かれるように、慌てて後退る。心臓の鼓動が跳ね上がるのが分かる。

 気のせいだ。見間違いだ。常識的に考えたら、当たり前のことじゃないか。

 窓に映ったのは、僕の顔に決まっている。

 鬼の顔であるわけがないんだ。


「……」


 恐る恐る、窓に近づく。映るのは、間違いなく自分の顔だ。恐怖に引き攣った、情けない表情。

 頭が痛む。足が震えてくる。数日前の夜と同じ、いやそれ以上に重く、鈍い。耐えきれなくなって、頭を押さえながらしゃがみこんでしまう。

 何故、こんなことが起きるんだ。僕が何か、罰当たりなことをしたとでも? 

 そんなことはない。ないはずなのだ。

 鬼。その存在に近づくことすら、禁忌だというのか。まさか。

 そもそも鬼なんて、架空の存在に決まっているのだ……。

 理性は鬼の存在を否定する。それでももっと奥深いところで、本能のような、或いはそう、集合的無意識のような深層で、鬼という概念への怖れを感じてしまっているかのような。

 そして、握り潰されそうな頭痛の中で、次第に拡大されていく音、音、音。

 それはあるところで意味のある言葉へと変わって聞こえてきた。


 ――殺 す 。

 ――殺 す 。


 恐怖に身が凍る。

 あまりにも現実離れした、濁ったその声は。

 やはり鬼のそれに相違なかった。

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