家に帰った後、お父様の言葉を思い出すたびに考え込んでしまう。


(「継がないか、田中財閥を」)


結局あの後、お父様に急な来客があってこの話は途切れ、真意を訪ねることはできなかった。しかしなぜ私に何だろう。学校には行っていたとしても商いの学なんて一つも学んでないし、近頃は学校にすら行っていないこんな不良娘の私に。いくら女性の社会進出が増えてきたとしても、大財閥の跡を取った女性なんて聞いたことがない。


「こんな私が継いだって、なめられた挙句に会社をつぶして終わりじゃない」


そしてもう一つ、私の頭を悩ませているものが、この「お母様」と思われる人からの手紙である。二十歳の誕生日はあと二か月ほどで来るが、正直読んでいいのかすらわからない。頭の中にぼんやりと女性の影が浮かびあがる。遺伝上は私とつながっているのだから、私に似ているのだろうか。いや、前に私はお父様似だといわれたことがある。では、どんな女性なのだろう。女性の影はぼやっとしたまま輪郭すら浮かんでこない。


「つまり、考えても無駄ってことね」


できればこんな時に私の気を散らせるものは、ないに越したことはない。だが、「お母様」という遠くとも大きすぎる存在が畏れ多くて、結局捨てることができなかった。封筒をたんすの一番上に入れ、私は横たわった。まったく、この世界は、どうしてこんなに私を休ませてくれないのだろう。自分の運命を、呪えるものなら呪いたい。







起きると、夕方になっていた。障子から差し込んだ光が部屋を橙色に染め上げる。私の血色の悪い手も光のおかげで血が巡っているようだった。


「やっとお目覚めですか、楓。もうすぐ夕食ができますよ」


お菊が起こしに来た。


「また眠ってしまったわ。情けないわね」


「何か悩み事ですか」


一瞬手の動きを止めてしまった。何も言っていないのに。どうして。


「楓、菊江をなめないでください。菊江は生まれた時からお嬢様を見てきました。気づかないとでもお思いでしたか」


目が潤んでしまう。頼れる家族もいない、自分を頂点として周りが動いている私は、いつも気高く、強く、悩みなんてないようにふるまってきた。だが実際そんなものは仮面であって、私の本心は、もろくて、よわくて、一つ欠けたら崩れてしまいそうな、そこらの雑草にだって、負けてしまうかもしれない心。自分はそれがよくわかっていたから、それを排除した完璧な「田中楓」を作ってきた。


「お菊……うわあああん」


ヒトのこころの器の大きさなんて、決まっている。ヒトは努力とか、我慢とかでそれを無理やり引き延ばそうとする。でもそれは理に背いてること。いつかは限界が来て、器の水はあふれ出す。場合によっては器自体が大きく割れてしまうことがあって、ヒトはそれに「鬱」という名前を付けた。


「楓………」


「鬱」なんて、言葉にすればその状態は全部同じ。事実、外から見たらそうかもしれない。でも、本当は、


「お菊……私……私……」


そんな人たち一人一人が、全く違うものを背負ってる。


私、楓も、今はそんな人たちの一人。


自分が何を背負っているのか。他人にしかわからないものもあれば、自分にしかわからないもの、はたまたどっちもわからないものもある。


だから、そんなときは、


「楓、菊江は死ぬまで、お嬢様のおつきにございます」


誰かがそばにいて、一緒に見つけるしかないのだ。そのひとの背中にある、黒い何かを。


「お菊……私、一度ここから逃げたい………」


お菊は少し黙ったあと、


「わかりました。菊江に考えがございます。もしかしたら悪いことなのかもしれませんが、菊江はいつでも、楓の味方です」


外はすっかり暗くなっていた。









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