七
朝起きて、
顔を洗って、
飯を食って、
働いて、
飯を食って、
働いて、
飯を食って、
風呂に入って、
寝る。
そして今日も朝は来て、また同じ一日を過ごす。
毎日飯は食えているし、毎日寝れる。生物の人間としては、何一つ問題がない。むしろ狩りにも出なくてよいし、夜の警戒を行わなくてよい。素晴らしいではないか。
それでは社会的にはどうだろうか。仕事についていて、住まいも飯も、安いといえど給料も出て、それで服も買える。要するに社会一般で生活に必要とされる「衣食住」を一通り満たしている。もちろん成金は使い切れない部屋を持つ家に住み、飯も美味く、背広を何枚も着まわしている。お上に至ってはそれ以上。たしかに比べれば俺の生活はみじめでなものだ。では、浮浪者から見たらどうか。衣食住にありつけている俺のような労働者は羨望の対象であろう。労働者から見たらどうか。俺は当たり前だろう。
俺の「幸せ」とやらも同じだ。きっといる場所にふさわしい幸せはとっくに手に入れている。視点を変えれば基準が変わるだけで、きっと俺は幸せだ。
でもどうしてだろう。この心の中にこんこんと湧く気持ちは。魚を焼く時の煙にちかく、とてもうっすらとした不快感を抱く。そして靴の裏についたすすに近く、どうしても取り払われることはない。これはいったいなんだ。このことを修に相談してみると
「隆盛社に正解は落ちている」
とだけ言われてしまった。もう何も言えまい。
今日のことだ。昼間作業をしていると、お嬢さんがやってきた。歳は俺と近くに見えたが、白い洋服に体を包んでいたが、着物だけが十歳年上であるような気がした。歳が近くてもそんなことは一切関係ない。あっちはお嬢さんでこっちは労働者。みぐるみを全部はいで素っ裸になれば等しくなれるだろうか。そんなことはない。修が言っていた通り、腹から出てきたときに運命は決まっているのだ。
やはりこの気持ちに対する疑念は増す。
なんやかんやで約束の日は来てしまい、隆盛社に行くため寮を抜け出すことになった。昔は門は自由だったが、逃亡者が多く作業に支障が出ることが多かったため、現在は門の前に警備がいるが、俺らが風呂の時、そして完全に寝静まっている朝は席を空けている。そこが機会だ。
「夜といっても目立つには目立つ。便所の裏手に回ったら別行動だ」
まず出たのは修。こいては脱走常習犯だからこんなのはお手のもんだ。そして俺が行く。初体験のため修ほど身のこなしは軽くないが、何とかついていく。修の合図に従って、門の外に出ることができた。
「川は暗いから間違っても落ちるなよ。じゃあな」
修は満月に向かって走っていった。俺も急がなくては。別の紡績工場の裏手を懸命に走る。街灯もない暗い道。月と直感を頼りに進む。
十五分ほど走ったところで、土手についた。見渡した限り赤い光なんてものはないが、見つけなければ始まらない。草の中に入った。チクチクする。だが、今そんなことを気にしている余裕はない。赤い光赤い光……前ばかりを見ていたら、それなりに大きな石につまずいて転ぶ。草のおかげで打撲は免れたが、足元を切ってしまった。
しかし運というのは変な時に出てくるもので、起き上がった時視界の方向が変わったのか、草むらにぼんやりと浮かぶ赤い光を見つけた。急いで近寄る。赤い光の正体は紅の木綿をまいたランプであった。足元を手で探ると、あった。縄だ。三回足で踏んでみる。……しかし一向に変化はないし、鈴の音も聞こえない。情報が間違っていたのかと不安になりもう一度足をかけようとしたとき
「こっちだ」
草むらの中にできた獣道から人の声がした。そこを進むと、明らかに不自然な光がある。近づくと半分地面に埋まった小屋だった。
「どうした少年、中に」
中年の男が入り口から半分顔を出す。よく見ると縄梯子がかけてあった。おそるおそるとおりてみると小屋の中は思いのほか広かった。
「よく来たな、少年」
先ほどの中年の男が薄ら笑いを浮かべる。俺はどんな顔をしていいのかわからず、軽く頭を下げた。
「やれやれ、まさか俺がこうなるとはな」
ずぶ濡れの修が姿を見せたのは、それから四五分後のことであった。
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