「まあお嬢様、おみごとです」


そういって師範は花を床の間に飾ると周りの生徒に


「いいですか、皆さんも楓さんを見習うのですよ」


ほかの生徒も屈託のない笑顔で拍手を送ってくれる。もちろん人一倍稽古に通っているのだから、実力が評価されるのは素直にうれしいことだ。


「ありがとうございます、皆さん」


私も皆に笑顔で言葉を返す。どの稽古でもだいたいはこんな扱いを受ける。今までは私の実力が素直に認められている、そうだとばかり思っていた。しかしある日、稽古場から帰ろうとしているとき聞こえてしまった。


「よかった。田中さんにひいきしていただければうちも安泰だわあ」


その時はじめて知った。いや、知らされてしまった。周りが求めているのは「楓」ではなく「田中財閥当主、田中権兵衛の娘」なんだと。周りが評価しているのは「楓」の実力なのではなく、「田中」の家柄なんだと。自分楓は、この世界で認められていないんだと。……ひどく自分が哀れになった。その日から、すべての稽古に顔を出すのをやめた。







「お嬢様、いい天気ですよ。外に出られたらどうですか」


お菊がお茶を持ってきた。あの日から私はずっと部屋の中にいる。外の人間につられ、外の世界、明るい日差しも、白い雲も、何もかも見たくない。このおつきのお菊と、部屋から見える庭の楓だけがこころのよりどころだった。


「外はだめよ、お菊。汚いもの」


「ですがお嬢様、たまには日の光も浴びないとお体に障りますよ」


「お菊忘れたの。二人だけの時は『楓』で呼んでとお願いしたのに」


「ですが決まりなので」


「あなたは私のおつき。なら、私が主人でしょ。主人命令よ」


「……わかりました。楓」


お菊はわたしと十歳手前しか年は離れていないが、私の記憶に残ってないほど早く死んだ母に代わっては、姉であり、母でもある存在だった。そんなお菊にでさえ

「お嬢様」と呼ばれると、あの悪い記憶が思い立ってしまう。


「そのお茶のわきに置いてあるの、またお父様からね」


「さすが楓、察しがいいですね」


お菊が持ってきた盆の横に、紙のようなものが見えた。お菊は私の前にそれを差し出す。封筒だった。一見ただの茶封筒だが、中に何が入ってるかの検討は容易につく。茶封筒を開けると二つ折りの色紙が入っていて、ひらくと一人の男性の写真があった。


「お父様も懲りないわ。これでもう三十人目よ。断る理由が顔の好みでないことくらい気づかないのかしら」


「それでもご主人様は、楓の身を案じているんですよ」


お菊が障子を開ける。外の楓は青々しく、五月雨がちりばめられてキラキラと輝いていた。同じ楓なのに、鏡を見ている気分であった。お菊が私の隣に座る。


「楓ももう二十歳になります。社交界ではそろそろいい年齢と思われる頃でしょう。だからこそ身を固めてほしいと、あわててられるんですよ」


「そうかしら。どうせ私をどこかの成金か御曹司にとつがせて家の跡目を決めたいんだわ」


もう一度写真の男を見返す。こんな高価なスーツを着ているのだ。金持ち以外に何があるだろう。この人だって、私が好きなんじゃない。私という存在を、利用したいに違いない。


「男が信用できませんか」


「そんなんじゃないわ」


写真をじっと見る。男はまじめで、誠実そうな顔をしていた。でも、人間の本心はわからない。その人間が目の前にいてもわからないものが、写真一つでわかるはずもない。


「他人自体が、信じられないのよ」


「一度お会いしてみては。あってみれば分かるものもあるかもしれませんよ」


そうね…とつぶやきながら写真に目を落とす。そして、閉じた。


「返してちょうだい。理由は…」


「顔が気に食わないから、ですね」


これ以上は無駄だと悟ったのか、お菊は封筒をもって足早に出て行ってしまった。わたしとて、他人を信じたくないわけじゃない。何食わぬ顔でふるまえば、普通に付き合うこともできるだろう。だが、他人が接してくるのは「楓」じゃなくて「田中のお嬢様」。付き合おうと思っても、正面からなんて付き合えるわけがない。こればかりは境遇が悪い。変われるわけがない。今ではそうあきらめることも少しはできるようになってきた。それでも、周りに言われるたび気にしてしまう。


「田中家のお嬢さんだなんて、恵まれてて苦労がなくて、素敵じゃない」


そんなにうらやましいなら変わってあげるのに。みんなも一度味わえばいい。




苦労のない、苦労とやらを。












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