目の前に赤い視界が広がる。鉄をつなぎとめる際には面を被って行うが、この面は蒸し暑い上に大きさがあっていないためアゴの辺りから時々火花が入ってくる。そして目の疲れを和らげるためだとか何とかで視界は赤いガラスみたいなもので覆われている。こんな体に合わない不自然なものをつけていると、何もない自然な時が恋しくなったりするのである。


「進、終わったぞ」


修が足場から軽く飛び降りる。こいつはこういうことはとても器用でいつも俺の二回りくらい早く終わらせる。残念ながら俺にはない器用さだ。だからいつも思うのである。こいつはこんなことやめて実業家を目指すべきだと。俺はその時は修の会社で雇ってもらうか、金でも掘りに行くとしたい。こんな繰り返しの日常は俺には合っていない。何かドカンとした大きく飛び出たものがお似合いだ。


「あいにくあと四五分だ」


「じゃあ、朝の続きを聞かせてやるよ」


そう言って修は足場に布をかけてベニヤの上に寝た。他人より仕事が早く終わっても、監督官に勤務怠慢と思われたらおしまいである。ここではこのように目から逃げるのがいつも通りだ。才能のあるものが損をする、なんとも変な仕組みである。


「こっちはやってるから、聞かないか聞こえないかのどっちかだぞ」


「それでもいいが、風呂で長くなるだけだぞ」


こいつは風呂に長くいるのが好きで、いつも俺に長話を吹っかけてくる。しかもその話が終わるまではのぼせても出ようとしないし、何より俺が出ようとすると「薄情者め」という。俺はそれがどうしても腑に落ちないので結局長風呂をしてしまう。そんな気持ちはとうに修には読まれているらしく、こういう脅し文句を使っては俺を操ってくる。


「大きな声ではきはきとな」


「お前、隆盛社を覚えているか」


俺はつま先で足場を二回たたいた。これは俺と修で決めた「肯定」の合図である。


「行ってみないか」


つま先を左右に振り回す。これは「否定」だ。


「なぜだ、まえに面白いことがしたいと言っていただろう」


隆盛社というのは、ここ近辺をねぐらにしている革命家集団だ。労働者の環境改善を目指しているが、その手法はなかなか激しく、大企業や財閥の頭位、つまり成金と呼ばれる人間を殺すことで、同じ立場の人間に圧力を与え労働者の待遇をよくさせようというものだ。すでに銀行の頭取を一人殺しているようだが、実行犯役がその場で自殺したため、まだ公安にしっぽをつかまれていないらしい。


「その隆盛会が、また大きな計画を立てたそうだ。興味はないか」


つま先を左右に振り回す。たしかに、こんな重い仕事の繰り返しのつらくてつまらない日々から抜け出したいとも思っていたし、だからこそ「新しい」「面白い」こと探しに躍起になっていた。だが、だからといって世界が大きく変わるような気もしないし、ある意味こんな繰り返しでも飯を食って生きていける日々に満足感すら抱いてしまったのか、わざわざそんなことをする原動力も沸かない。


「世の中には飯も食えない人間がいる。それに比べたらお前たちのなんと恵まれていることか」


前ここの監督官が言っていたこの言葉が今となってはやけにしっくりくる。努力していい環境を手に入れるか、つらくとも穏やかな現状を飲み込むか。多くの人間は後者を選択すると思うし、俺も今回は、その多くの人間だ。俺のしけた反応に飽きたのか、修は監督官に「用足しです」といって便所に行った。溶接は微妙に最後まで終わってはいなかったが、どうせ沈むための船だ。少しくらいいいだろう。


「十二班完了です」


そう告げて俺も便所に向かった。面を取ったばかりだからか、便所までの廊下からの空が、やけに歪んで見えた。






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