見回り
その日、もう春だというのにもかかわらず、日本は全国的に冷え込んでいた。人々はクローゼットにしまい込んだコートを引っ張り出し、愚痴をこぼしながら各々向かうべきところへ向かっていた。ギターケースを持った青年、首藤守也もその一人。彼は毎日防音ブースで歌とギターを練習していて、いつしか武道館を埋めるのが夢だ。
「あれ、閉まってる?」
いつも行く場所が閉まっている。定休日でもないし、店長が辞めたとか、体調不良だとかの連絡は来ていない。
「あぁ、守也君。悪いね、今日はやってないよ。」
ビルのわきから顔を出した店長は申し訳なさそうにそういった。
「なんかあったんすか?」
「テレビでやってたじゃない。最近物騒だから、極力外出控えてくれって。それでお客さん来なくてさ。まぁ連日行方不明だの殺人だのやってるしねえ…。仕方ないよ。」
首藤はテレビを持っていなかった。それどころか新聞もラジオもない、今時珍しい4畳半の風呂無しアパートに住んでいる。バイト代は大抵音楽の為に充てられるからだ。
「そうなんすね…」
「まぁこの状況終わったらしばらく半額でいいからさ」
「マジすか!?あざっす!」
「いつも来てくれるしね。じゃ、気を付けて。」
そう言うとまた脇道に消えていった。店長の家はビルの間の細い路地を抜けていった先にある。いつもは表を通ってスーパーに寄ってから帰っているが、状況的に早く家に帰りたかったのだろう。
「どうすっかなぁ…」
首藤は特に他にやることもないので、散歩してから帰ることにした。この辺りは小さな一軒家から高層ビルまで、まるでブロックをひっくり返したように乱雑に立てられているので散歩のし甲斐がある。それに、歌詞の一つでも浮かべば上々だ。
「よっしゃ、ここら辺歩き回ってやるか!」
外出を控えろと言っても、彼にはあまりに現実味がなさ過ぎた。普段はほぼ俗世の情報なく過ごしているし、今だって周りに人が居ないわけではない。そう考えて彼はまず初めに、商店街アーケードの方へ向かっていった。
―江和地区屯所―
「椿、出るぞ。」
屯所に到着した瞬間にそう百舌牡丹に告げられた結雨子は、きょとんとした表情で聞き返す。
「今日巡回の日だっけ?」
「ちげーよ。」
「最近昼にも穢者が出る事件が多いから、昼にも見回りしようって、さっき所長からいわれたんです。」
「そういうこと…、私学生服のままなんだけど?」
「コート貸してやっから、ホレ」
ぱさっと革製のコートを投げ渡される。しかしどう見てもサイズはあっていない。
「つんつるてんじゃんこれ!」
「文句言うなってんだ!ポケットに手ぇ突っ込めば気になんねえよ!」
「ちょっと強引な気が…」
「るせえ!とっとと行くぞ!」
百舌がぐいっと結雨子を引っ張りだす。結雨子は観念してため息を一つ吐いてから歩き出した。あとから里狸百合が続く。
「…まさか、管轄全部歩くわけないよね?」
「たりめーだ。車停めてっから、それで回るんだ。」
「全部?」
「全部。」
ぴっと百舌が指さした先には、赤くて丸い軽自動車が停まっていた。これもまた祓穢組からの支給品で、いろいろ便利な機能が付いている。ピピっと百舌がカギを押すと、ヘッドライトが点灯し、車のカギが開いた。結雨子は助手席に乗り込み、百舌は後部座席、里狸は運転席に乗った。
「あれ、百舌さんの車じゃないの?」
というと、里狸が顔を寄せ、
「牡丹さん、運転荒すぎて酔うから…」
と言った。
「口調通りだね…」
「聞こえてんぞ~」
百舌がゲシゲシとシートを蹴り、早く出せと暗に示す。多分本人も気にしているのだろう。バックミラーを見ると、少しほほが赤くなっていた。
「りー、とりあえずさっき言ったとこだ。」
「了解です。」
「あてがあるの?」
「おう。人死にはないんだけど、どうにも怪しい動きをしてるやつがいるらしい。」
「地図と照らし合わせてみたら、予測できそうだったから、いくつか目星をつけておいたんです。」
「なるほど。で、最初は?」
「とりあえず歌舞伎町の外れ辺りだ。」
―丸久保商店街―
商店街の散歩は意外と楽しい。看板がボロボロな店が、入ってみると最新のファッションアイテムから、懐かしの服までそろっていたりするのだ。
「すっげえ!」
「これなんか兄さんに合うんじゃないかね?」
そんな不思議な空間に、首藤守也はすっかり魅了されていた。再販されていない伝説のコレクターズアイテムが新品で手に入り、最新モデルは古着として安く手に入る。ロックミュージシャンを目指す彼としては、服にも気を使っておきたいという気持ちがあり、この店は天国の様だった。
「うわ!これマックスの最新モデル!定額よりずっと安いじゃん!」
とはいえ、万年貧乏生活の彼の手元には、食費分しか入っていない。
「どうだい兄さん?安くしとくよ?」
「う~ん…」
丁度着古していたパーカーが、バイト中にダメになったところだった。しかしこれを買えばあと2週間何も食べられない。でもロッカーとして見た目のかっこよさは命だ。結局、彼の根底には「かっこよくなりたい」というシンプルな理念があった。
「買っちゃお!」
「へへっ!毎度!」
喜びと少しの後悔を抱えて店を出ると、バンっと女性と衝突してしまった。女性のバッグから中身が飛び散る。
「だ、大丈夫っすか!?」
「え、ええ。すみません、すみません…。」
首藤が駆け寄り手を差し伸べたが、女性は急いだ様子で散らばった荷物をかき集めている。あまりにあたふたした様子に、何となくいたたまれなくなり、首藤も手伝う。よく見ると色々なものがあちこちに散らばっていた。首藤はそれを手際よく拾いに行く。
「さて、お姉さんごめんな…アレ?」
振り返ると、さっきまでそこにいた女性はもう走り出していて、すぐに細い路地に入っていった。
「おーい!忘れもん忘れもん!」
片手に買い物袋、片手に女ものの化粧品を抱え、守也は駆けだした。
―歌舞伎町―
「…それっぽいのはいねえな。」
街はかなりの人が居たが、それらしいものは見当たらなかった。
「“負の感情”が渦巻いてそうだけど、案外いないもんだね。」
自然発生する穢者は、基本的に人間の負の感情が積もり積もって生まれる。そして、負の感情が強いものに憑りつきやすい。
「地図上の予測地点的には最有力候補だったんですけど…」
里狸がマップを見ながらう~ん、と悩む。
「まぁ、こんな人通りの多いところで堂々やるやつはいねえよな。っつーか外出機制かかってるのになんでこんなに人が居るんだよ。」
「ま、人が多ければ動きづらいって考えたんじゃない?それよりさ」
里狸のスマホをのぞき込んでいた結雨子がマップを縮小し、歌舞伎町から少し離れた商店街を指した。
「ここは?住宅地の小さな商店街なんて、餌がたくさんあるようなものだし。」
「まぁ、ありえなくはないな。ちなみに、なんでそう考えた?」
「通報があったってことは、『何らかの怪しい動きをしてた』ってことで、それがさらに祓穢組≪うち≫に回ってきたってことは、明らかに人間の挙動じゃなかったってことだよね?」
「警察官が調査して発覚したケースもありますが、警察から通報が来たのも早かったですし、そういうことでしょうね。」
「でも実際の誘拐は起きていない。ってなると…」
百舌も推理に参加しつつ、結雨子の予測を促す。
「陽動かなって。」
里狸と百舌もうなずく。しかし、一つ疑問が残る。
「なら、なんでこの商店街なんだ?」
「通報地点からこの商店街まで、総台線で一本でいける距離ですし、商店街周辺は団地や社宅が多いです。それと、シャッターの閉まった店も。」
「紛れ込めるし、場所も確保できる…か。ま、今のところ緊急性は無いし、行ってみっか。丸久保商店街。」
―丸久保商店街—
「おーい!落とし物ー!」
細く、周りに人はいない道だというのに、女は振り向かない。足もかなり速いようだ。守也には陸上経験もあるが、なかなか追いつけない。もうかなりの時間追いかけているが、まるで洞窟のように、道はどんどん入り組んでいる。20mほどまで近づいたところで、女は右に曲がった。
「ったく…!」
守也も、掴んだ排水管を軸にして、ぐるんと右に曲がる。とそこへ女がこちら向きに立っていた。
「うわぁ!びっくりしたぁ…」
女は直立不動で、能面のような顔をしている。
「これ、落とし物。」
やっと追いかけっこの終わった安堵からか、にこやかに守也は近付いていく。が、近付くにつれ、何か変だと気付いた。身長はそれほど大きくなかったはずだが、守也と同じくらいになっていて、髪も長かったはずが短くなっている。そして何より、女か男かわからない。
「え、ええっと…?」
「ありがとう。大事なものだから助かったわ。兄ちゃん、お礼させてくれますか?」
声も不自然なシステム音声のようになっている。それも性別がわからないような声だ。もう守也は恐ろしくなり、後ずさりし始めた。
「い、いや…」
「ご飯にさせてもらうわ。」
「お、お構いなく!」
守也は駆けだした。さっき買ったパーカーも投げ捨てて。まだ何もされてないが、何かされるのはわかったからだ。一刻も早くこの小路を出ようと来た道と逆方向に走り出したが、何かがおかしい。同じところを回っている気がしてきた。思い切って後ろを振り向くと
「逃げられるとお思いで?」
さっきの女、いや男、いや…それ以外の何かが眼前に立っていた。
「ひ、ぃ…」
すっかり腰を抜かした。本当に文字通り腰が抜けたように、足に力が入らなくなっている。腕にも力が入らず、どさっとコンクリートにあおむけになる。もう思考も混濁してきた。声も出ない。
(い、いやまて、腕の力まで抜けるのはおかしいだろ!)
「やはりこれが最善の方法だな。毒で弱らせるのが一番だ。」
守也はもう目もかすれてきた。しかし、あきらかに目の前の生き物が人の形をしていないことはわかった。
「じゃ、食わせてもらおう。腹からが美味いらしいが…」
パシュッパシュッという乾いた音を耳にして、守也は気絶した。
「おい、偶然にしちゃあよくできてんな。」
「ぐぁっ…お前らは…!」
「嘆書でてないのに、発砲して良かったんでしょうか…」
「現行犯だし、いいんじゃない?」
穢者の前には、Exorを展開した百舌牡丹、麒麟椿、そして小型拳銃を向けた里狸百合が立っていた。細い路地だが、前衛二人がしゃがむことで、射線を確保していた。
「おう、バケモン!投降するならいてえだけで済ませてやる!」
穢者はクラゲのような触手と、繊維質の胴体を持っていた。人型はかろうじてとどめている。着弾した触手を体から切り離し、キッと百舌をにらみつける。
「誰が投降するか!死ね!」
触手を三人に向けて伸ばすが、いずれも結雨子に切り払われた。
「なら、祓うしかないね。」
思いきり地面を蹴り、細い胴体に向けて刺突を繰り出す。結雨子の踏み込みはかなり深い。全体重を乗せた切っ先が繊維質の体に突き刺さる。が、手ごたえはない。
「椿!どこ切ってんだ!上だ!」
百舌の声に反応し、さっと体ごと引いて上を見るが、何もない。
「ふざけないで!」
「二人とも!何見てるんですか!後ろですよ後ろ!」
「「はぁ?」」
そういう里狸の後ろにもいない。つまり、三人とも虚空に攻撃をしたということになる。
「…どういうことだ?」
一瞬静寂が訪れる。音もしなければ、どこにも見えない。ただかび臭いにおいがあるだけだ。
「幻覚…みたいですね。」
困惑と警戒の目で周囲を見る里狸がそう言った次の瞬間、通路を構成しているビルから、触手が伸び、結雨子に絡みつく。
「っくぁっ!!」
電撃が走った。全身の痛覚という痛覚に針を突き立てたような痛みだ。
「そこ!」
里狸がビルと結雨子の隙間、わずか数センチに露わになった触手を撃つ。
「ぐぁ!」
全身が現れた。どうやら幻覚は本体の状態と連動しているらしい。
「どりゃああ!!!」
百舌がExorを頭部と思しき所に振り下ろす。百舌の手にはぐにゅっとした気持ち悪い感覚が伝わる。
「でりゃあ!」
感覚があったとわかると、蹴りを本体に見舞う。
「がぁっ!」
足を振り戻す反動を使ってしゃがみ、
「りー!」
と合図を出した。里狸はそれに応える代わりに、マガジンの残りの弾を撃ち尽くした。
「く、クソが…!」
穢者が怯み、全身のしびれから結雨子が解放された。結雨子は顔には出していないが、相当頭に来ている。
「…ふっ!!」
「ああぁっ!」
立ち上がったと同時に、右側の触手をすべて切り落とす。単なる怒り任せの攻撃だ。痛みに耐えられなかったのか、穢者は膝をついた。
「ひでえ」
「あんた、自然発生?」
「答えるかよ!」
「じゃぁ、阿巴良衣って名前に聞き覚えは?」
「…知らねえ」
マガジンを入れ替えた里狸が、銃口を向けつつ近づいてくる。
「それは知ってる人の回答ですよね。」
穏やかな声だが、静かな力を感じる。クラゲの穢者は目をそらし、もう話したくないと言わんばかりの態度をとる。
「オイ往生際がわりいぞ。話せば祓わずに捕まえるだけで許してやる。」
結雨子は露骨に不満気だが、とりあえず口は出さない。
「…本当に?」
「あぁ本当だ。隣の奴は許してなさそうだけど、アタシの権限で許してやる。」
「…阿巴良衣とかいう奴は知らねえけど、変な奴には会った。」
「どんな?」
「なんか、よくわかんねえ、テレパシーかなんかで俺に語り掛けてきた。『今お前の食人衝動は抑制されている』とか言って、それから人が喰いたくてしょうがなくなった。」
「…まぁいい。分入にしてやる。この筒に入れ。」
そういって百舌が竹筒を開けると、クラゲの穢者に向けた。局に送れば、何かしら情報は得られるだろう。
「あぁ…。うん?」
穢者が右半身を筒に向けた瞬間、消えた。跡形もなくあっけなく消えた。それはまるで手品のようにフッといなくなった。
「!?」「逃げた!」「いや待て!そんなことあるかよ?あのダメージだぞ!」
突然の出来事に三人は動揺した。幻覚を使う相手ではあったが、明らかに重大なダメージがあった。それは現実のものだった。事実、余力があるなら結雨子はまだしびれていてもおかしくないはずだ。結雨子が通路の先を見ると、戦闘の直前に倒れていた男―首藤守也までもが消えている。
「どういうこと…?」
この日、最終的にクラゲの穢者も、通行人首藤守也も見つからなかった。更に、首藤守也に関しては、その後、捜索届も出されることはなかった。
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