穢者
「スズ!大丈夫!?」
結雨子は頭を揺らさぬように涼香に呼びかけるが、返事はない。
「待ってて!誰か呼んでくるから!」
そう言って頭の下に買い物袋を置き、目の前にあった非常口を開けて更に奥のドアに駆け寄る。このショッピングモールはもともと古い建物で、それを外面だけ奇麗にしてある。
「!開かない…」
故に今現在機能していないドアもある。非常口からなら誰かしらのスタッフを呼べると思っていたが、目論見が外れた。加えて電話も圏外だ。入ってきたドアを開けようと非常通路を戻ると、蜥蜴のような見た目の穢者が涼香を抱えていた。
「!」
「あ」
結雨子は半分パニックになっている。そんなときに冷静な判断などできない。ましてや憎悪の対象が目の前で友人を抱きかかえているときなど、まともな反応ができるはずもない。見開いた目にグッと力を込め、コンクリートの地面を蹴った。
「涼香を離せ!」
バッグからポケットに入れなおしていた短刀展開型Exorを起動させ、切りかかる。
「うわっ!待て待て!待てって!」
「離せ!離して!離してぇ!」
「落ち着けって!なんもしてねえ!いや、するんだけど!」
「殺す…!」
「違う!治すんだよ!この子気絶してるだけだから!出血止めんの!待てって!」
穢者の必死の叫びが届いたか、少し離れた位置で結雨子の動きが止まる。
「どういうこと…?」
結雨子は構えを崩さない。穢者は怯えた目つきで続ける。
「俺は…まぁ穢者だけど、複雑なんだよ生まれが!とりあえず置けよ物騒なもん!」
結雨子は内心腹わた煮えくり返っている。大事な友人が今目の前で憎悪の対象に抱かれているからだ。だが、全く敵意がないのはなんとか伝わったので、とりあえずExorをスリープさせる。
「おし、おーし…、待ってろ。見た目気持ちわりいけど、すぐだから。」
そういって穢者は傷口をベロンと舐める。
「う…」
「お、おい吐くなよ。」
結雨子の位置からだと傷口は見えないが、出血は止まっているのは確認できた。
「お、よかったよかった。置いとくぜ。」
穢者の手から涼香が離れる。ようやくここで、結雨子は落ち着きを取り戻してきた。
「ちなみにだが、俺たちが入ってきたドアは開かねえぜ。壊せば開くかもしれねえけど、大事にはしたくねえだろ?」
「…なんで治せるの?アンタ達、人を殺すもんでしょ。」
少し離れた位置に座った穢者が答える。
「9割7分はそうだろうな。あ、俺は登録名原田だ。お前は?」
「江和地区祓穢士麒麟椿。あんたがその3分だって?」
「まあな。」
「意味が分からないんだけど。」
「椿さん、あんたエクソシストだろ?あぁ、日本だとハラエシとかいうんだったか。」
「そうだよ。質問に答えて。」
「おっかねえな…。まあいいや、救助が来るまで俺の話でもしよう。祓穢士のあんたなら、
「呪詛発生か自然発生。どちらも憎悪とか、邪悪な念が込められてるって話?」
「そうだ。俺は自然発生、システマティックに生み出されたんじゃなく、人々の念がこもりすぎて発生した。」
穢者はゆっくりと人間体に戻り、どっこいせと座って話を続ける。
「俺の生まれた町は、なんでかわからんが病気と怪我をしやすいところでな。医者にかかれないわけでもないし、周りに害を為す工場やら鉱山やらは無かった。それなのに週に何人も病気、怪我するんだ。生まれる星が悪い、ってやつなのか。」
タバコに火をつける。結雨子は露骨に嫌そうな顔をしたが、気に留めず話を続ける。
「その内に、その町の奴らはそれらを憎んだ。『病気』『怪我』って概念をな。それが積もり積もって、更にもとからあったマイナスの感情が上乗せされて、俺が生まれた。」
結雨子は怪訝な顔で尋ねる。
「じゃああんたは、『病気』『怪我』に対する攻撃性があるってこと?」
「まぁそうなる。恨みって大抵人間に向くもんだろ?それなのにあいつらはそういうものを恨んだ。変な奴らだろ?複雑ってのはそういうことだ。」
理解したような、理解できないような、そんな気持ちで結雨子が尋ねる。
「あんた病気治せるんでしょ?その町から出た理由は?」
「そこがさらに複雑なところでな。俺はそういうもんに対して攻撃的なだけで、『病気に攻撃する』算段は持ち合わせてない。出血止めたのだって、俺の粘性のある唾液で皮膚をつなぎ合わせただけだ。絆創膏と変わらない応急処置だよ。」
「精神汚染させる奴もいるけど、そいつらみたいな特殊能力は無いの?」
「あいつらだって、自分の一部を分け与える≪≪コツ≫≫を知ってるってるだけで、特殊能力とまでは呼べない。それができない奴との違いはそこだけ。お前らでいえば、指の第一関節が曲がるかどうかくらいの違いさ。」
結雨子は自分の手を撫でつつ、穢者について語る目の前の男を胡散臭そうに見つめる。
「んで、まぁ俺は気味悪がられたし、嫌われもした。突然化け物が人間に憑依して、それまでと違う生き物になったんだから、そりゃ嫌われるさ。それでエクソシズム教会…まぁ外国のハラエグミみたいなもんだ。そこに行って相談した。そしたらな、環境を変えて、ゼロからやり直すなら日本がいいって言われたのさ。登録とかいうシステムもあるからって。」
エクソシズム教会とは、アメリカを中心として世界に分布している退魔組織で、従来の宗教や組織から派生した団体だ。結雨子をはじめとする祓穢組で広く使われているExorを開発した組織でもある。エクソシズム教会も悪魔と呼ばれることの多い、そうした存在を受け入れる活動はしている。しかし、海外で“悪魔”とよばれるそれと、日本で“穢者”と呼ばれる存在は少し違う存在だ。悪魔は精神体として存在できるが、穢者は憑りつくことでしか存在できない。“悪魔”は受け入れられても“穢者”は受け入れられないのは、≪≪慣れ≫≫という意味では当たり前なのかもしれない。
ふと、結雨子は疑問に思ったことを聞くことにした。
「…なんであんた、そんなに穢者に詳しいの?そんなに穢者が多いところだったの?」
口元まで煙草を持ってきた手が止まる。う~んと何やら考えてから、意を決したように煙草を投げ捨て、結雨子の目を見返す。
「おれは以前、日本≪ここ≫のやばい連中とつるんでたことがあったんだ。」
結雨子は目を見開いた。
「まさか…阿巴良衣?」
「あぁ…、すぐに去ったけどな。俺は人間を殺すなんてできなかった。嫌な思い出だ。」
穢者は口を歪ませ、苦々しくそうつぶやいた。だが結雨子は意に介さず、詰め寄って胸倉を掴んで問いただす。
「教えて!奴はどこにいるの!?」
「い、いや…今は知らねえ…。もう3年も前の話だ、当時は確か立川の方にいたが、用心深い奴だったから、とっくに去ってると思う。」
立川…、杷田地区の管轄だ。結雨子はクソ…と悔しそうにつぶやき、きつく締めあげていた手を離した。
「嬢ちゃん、深くは聞かねえけど、穢者≪おれたち≫を憎んでるんだろう?」
「…そう。全部殺してやりたいくらい、ね。」
「俺みたいな、人を殺せない奴もか?」
「…はっきり言えばそう。だけど」
結雨子はおもむろに立ち上がり、小さく頭を下げる。
「ありがとう。涼香を助けてくれて。」
「頭を上げな。難儀な性格だな。」
と穢者は笑った。結雨子は涼香を助けてくれた恩人でもあり、自分の憎むべき敵である対象が同一人物であることに葛藤している。結雨子がもう一度座って、そっぽを向いたとき、ガンガンという鉄の扉を叩く音が聞こえた。
「オイ!椿!いるか!」
波流山だ。地震直後にしては早い。
「いるよ!原田もいる!友達が今気絶してる!」
「ドア…ひしゃげてやがる。オイりー!こいつぶっ壊すぞ!」
「えー…また『隠すための交渉大変なんだぞ!』って北静屋≪きたしず≫さんに怒られちゃいますよ?」
「かまわねえ!ぶっ壊せ!」
「はぁ…、椿さーん?離れてくださいねー?」
結雨子がドアから少し離れてすぐに、どごんどごんとわかりやすい破壊音が鳴り、ドアが倒れる。ドアを踏みつけ、波流山とごついハンマーを持った里狸百合が現れる。
「無事か椿?」
「うん。それより友達を…」
「あ!てめー!なんで家にいなかったんだよ!」
と波流山は穢者を叱り飛ばしに行った。そのあとから里狸百合が結雨子に駆け寄っっていった。
「椿さん。お友達の容体は?」
「気絶してるだけ…らしいけど。私にはわからない…。」
「軽く診てみましょう。」
元看護婦の里狸百合は、依然眠ったような表情の涼香のすぐわきにしゃがみ、呼吸や脈、傷の様子を診ていく。結雨子はそれを助けを求めるようにじっと見ていた。
「…うん、とりあえずは大丈夫そう。あおたんは出来ちゃうかもしれないけど。」
はぁ…と結雨子が膝から崩れ落ちた。自分でも意外そうな顔をしている。
「緊張の糸、切れちゃったかな。」
「椿ちゃん、今日お休みでしたしね。お疲れ様です。」
里狸は柔らかい笑みを結雨子に向ける。結雨子もなんだか疲れて、へへと笑い返す。
「いてぇっす!いててて…」
「てめえ…マジでふざけんなよ…てめえのせいで何人動員したと…」
振り返ってみると、祓穢組らしき人が4人ほどいた。江和地区10人中4人ならそこそこの数だ。
「すみませんでしたぁ…」
「帰るぞ!りー!友達運んでやれ!」
「も、持てるかなぁ…」
「この子の家まで行かないといけないから、私が行くよ。適当なところで起こさないといけないしね。」
―同日、某所―
「そうか、彼が…。」
暗いコンクリート打ちっ放しの部屋で、男がそうつぶやいた。部屋は冷え切っており、吊るされた照明が部屋を青色に照らしているのもあって、雪洞のような雰囲気を漂わせている。
「いつか分かり合えると思って、あえてそのまま抜けさせたんだけどね。」
やはり自分が生んだものが一番だ、と男は付け加えた。
『どうしますか?』
「まだいい。」
男はコンクリートの壁に投影された映像を見ながら、腕を組んで何かを考えている。スピーカーから流れる報告を聞きながら、何か思案しているようだ。革靴がコンクリートを撫でつける音がする。
『“煙”はいつでも動けます。』
壁にはところどころに赤と黒の点がついた東京全域の地図が投影されている。男が静かに一つの点に触れると、様々な情報がウィンドウとして展開される。そこに写された顔は、江和地区登録穢者、原田元≪はらだはじめ≫だった。
「もう少し泳がせてみようか。彼らが私たちにたどり着くのも面白い。」
静かに微笑みながら、また点に触れてウィンドウを縮小させた。
『…危険です。』
「人とは」
男はディスプレイから目を離し、部屋の奥まった位置に配置してある檻の前まで歩み寄って、餌らしきものを置く。
「人とは、少し躍らせていた方が面白いものだよ。餌を見せながらね。」
『…』
檻の中で目が爛々と輝いている。怯えと、悲嘆と、希望と、祈りの混じりあった、真っ黒な瞳がまっすぐ餌を見つめる。
「なに、放っておいてもすぐにはたどり着けまいよ。静かに待とうじゃないか。」
『…了解。』
檻から餌に向けて伸び出たやせっぽちの手を撫で、慈しむように目を見つめる。皿まであと数センチ、いや数ミリというところまで枝のような手が伸びる。
檻の中にいた≪≪もの≫≫は、今日もまたあと数ミリが届かなかった。
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