遭遇
休暇というものはいつでもほしいものだが、当日になると意外とどうしたらいいかわからないものである。この物語の主人公、坊庭結雨子もそれは同じ。平日の休暇ならまだしも、土日の休日という物はますます何をやったらいいのか…と変なことで頭を悩ませる。唯一の友人、加滑涼香にでも連絡しようか。そう思いスマホをとると、電話がかかってきた。通名波流山秋子、公名は百舌牡丹からだ。
「秋子さん?どうしたの?仕事は?」
『今日は非番だよ。お前怪我してねえか?』
「ああ…、大丈夫。優しいね。」
『うるせぇ!一応先輩だから心配してやったんだよ!で、昨日のこと聞いたぜ~?随分張り切っちゃったみてえじゃねえか?う~ん?』
う、と思わず漏れてしまう。
「いや、まあ…うん。」
『おいおい萎れんなよ!アタシがいじめてるみてーじゃん。まぁ、若いうちはそんなこともあるわな』
「秋子さんだって若いじゃん」
『ちげえの!社会経験的な?そういうのだよ!』
「あ~秋子さんもう結構長いしね。そういう意味で言うとおばさん?」
『うるっせえ!』
電話の向こうでドンっという音が聞こえる。
『てめーのせいで怒られちったじゃねえか…、しかし北署がやられるとはね、あたしらもついさっきメールで注意喚起回ってきたよ。つっても、人間体のバケモンに注意することなんてできないけどな。』
『まあとにかく、しっかり休めよ。まぁなんつうか、お前実習期間長かったんだから、長めに休んだってすぐ感覚取り戻せるだろ。休めるときはしっかり休んどけ。』
「ふふ…ありがと。じゃ、切るね。」
『あ、それと1つ。今日祓穢組の巡回があったんだけどな、一人出なかったんだわ。まぁズボラな奴だから、忘れてるだけだとは思うけど、一応気を付けとけ。写真送っとくから。』
巡回とは、月に一度、登録穢者に異常がないか確認しに行く祓穢組の仕事の一つだ。人間への攻撃性を抑える成分を取り込むための薬剤を渡しに行く為の手順でもある。巡回が来るまでは自宅待機をしなくてはならないので、その時間にいなかったというのは、トラブルに巻き込まれたか、トラブルを巻き起こしているかどちらかの可能性も考えられる。
「うん、気を付ける。じゃ、またね。」
『おう。』
軽口をたたきあいながら、心配してくれる人が居るというのは安心するものだ。だいぶ心が軽くなった。さて、と涼香に電話をかける。
「涼香?今日ひま?」
―ショッピングモール―
「おっはよ~!!」
「おはよ」
涼香は電話をするなり行く行く!と乗り気だった。今日は『大丈夫な日』だったようだ。
「どこから回ろうか?」
「デューンの新作見に行こうよ!すっごいかわいくて安いの!」
「そうしよっか。サイズあるかな…。」
結雨子は女子にしては大きい(168cm)うえに、筋肉と脂肪もそこそこにあるので慎重だけで決めると肩やふとももが厳しいことが多い。そういう理由から、いつもメンズの服となり、その結果よく言えば「かっこよく」悪く言えば「近づき難い」外見となる。まぁ意図してやっている部分もあるのだが。
「う~ん…結雨子ちゃんおっきいからなあ…、私作ろっか?」
加滑涼香は勉強はダメダメだが、芸術方面に強いうえ手先が器用で、よくアクセサリー類やイラストをフリーマーケットに出している。結雨子は一度売り子を手伝ったことがあったが、その時はそこそこ売れていた。
「いや、それは悪いよ。デューンダメだったらCB寄ろう。あそこの古着も見てみたいし。」
「いいね!それが終わったら…あれだよね!」
「あれだね。」
結局昼もとらず3時間半も店巡りに費やした。二人は表面的にはかけ離れた趣味だが、根っこが似ているので、こうして何時間もショッピングを楽しむのが日常だった。そして最後には、お決まりの喫茶店で二人でミルクティを頼むのが休日の“いつものコース”だった。
「結構買っちゃったね~」
「今月やばいかも」
結雨子は祓穢組の給料があるが、基本柳也が管理しているので、特別お金持ちというわけでもない。涼香は家族にバイトが禁じられているので、それこそアクセサリー販売などでコツコツお金をためて、こういう時に一気に使う。
「ところでどう?似合ってる?」
デューンの新作を早速着た涼香は両手を広げ、結雨子にキラキラした目を向けた。
「うん。大人の可愛さって感じ。すごい似合ってるよ。」
本人は認めたがらないが、涼香はかなりかわいい部類だ。クリっとした丸い目に整った鼻梁。ウェーブしている栗色の髪はきらめくような艶やかさだ。結雨子は涼香のその可愛らしさに癒されているという節はあった。
「えへへ~、いや~新作買えたのが今日一番の収穫ですねパイセン!」
「同い年でしょ…、サイズあってよかったよ。なかったら泣いてた。」
「泣かないで~」
「泣かないよ~」
と、他愛もない話をしていると時間は過ぎるものだ。嫌なことがあった翌日の友人との会話だと特に。窓の外を見るとすっかり紅葉色の空になっていた。
「そろそろ出ますか。」
「そうだね~、ゆーこちゃんと久しぶりにいっぱいお話しできて楽しかった!」
「うん、私も。」
会計を済ませ、エレベーターの方へ向かう。ふと、結雨子の目に留まった男がいた。見覚えのある、長い黒髪にサングラス。身長は170cm程度で細身の筋肉質、右腕の肘上から手首まで包帯を巻いている。ぐっと目を凝らして結雨子が気付く。
「あっ!」
思わず声をあげ、スマホに送られた写真を見ると、見事に目の前の男と一致した。そう、巡回の時にいなかった穢者だ。穢者は周りを不安そうに見渡して、人気のない小道に入っていった。
「スズ、ちょっとこれ持ってて!待っててね!」
「うわっぷ!どしたのゆーこちゃん!」
と紙袋を強引に手渡し、大型ショッピングモールの中で少し不気味な小道に入り込んでいく。前回の失敗があっただけに、いきなり突入はしない。先にバッグに忍ばせた小型のExorを起動させ、ひっそりと後姿を見ながら、波流山に連絡を入れる。
『おう、どうした?』
「写真貰った穢者いたよ。湾岸部のケルンってショッピングモール4階、“セントラ”と“橋上堂”の間の小道に今いる。」
『まじかよ、今行く!突撃すんなよ!暴れはしないと思うが、一応見張っとけ!』
ぶつっと電話が切れた。今波流山の自宅だとするとおそらく20分はかかる。夜更けならバイクでかっ飛ばして10分だが、まだ人の往来が多いこの時間、大きな動きは見せられない。そうこうしている内に穢者はこちらに気付き、目の前の扉を開けて逃げた。一瞬の逡巡はあったが結局
「あーもう!」
結雨子も追いかけていく。自制しないといけないとはわかっていても、憎さか、危機感からか、動いてしまう。思いきり扉を開けると、既にそこに穢者はいなかった。
「逃げた…か?」
手動電源なのか、かなり暗い倉庫らしきところを警戒しながら見回す。
「ゆーこちゃんゆーこちゃん!ここダメっぽいよ!怒られちゃうって!」
「スズ!?待っててって言った…」
と駆け寄ろうとした瞬間、大きく地面が揺れた。かなり大きい横揺れだ。あちこちで資材同士がぶつかる音がする。その中で
「うわっ!」
という声とガスッという鈍い音がする。振り返ると、涼香が頭を押さえてうずくまっている。荷物を持っていたために受け身が取れなかったのだろう。
「スズ!!」
殆ど悲鳴に近い声を上げて、収まりつつある揺れの中を結雨子が駆け寄る。揺れは収まったが、涼香の額からは絵の具のような血がポタポタと流れてきた。
「スズ!スズ!」
ヒステリーに近い呼びかけをするが、涼香はうんと小さな声でつぶやくだけだった。倉庫の中で結雨子の声がただ響く。ただ、響く。
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