北署

―河辺北署警察署—

「ここ…かな。」

結雨子は警察署の前に立つ。いろいろ考えたが、結局「河辺北署に何かありそうなので行ってみます。」と鴇時雨にメールを一本送ってから行くことにした。危ないことになるかもしれないが、何とかなるだろうとも思っていた。

 警察署に禍々しさや不穏な雰囲気は特になかった。しいて言うならば、西署と比べて、少し人が少ないという程度。念のためExorの入った竹刀袋のチャックを手が入る程度に開けてから、署内に入っていく。中も特に気になる点はなかった。警察以外の人は少なかったが。

「すみません、特事課の方に取り次いでもらえますか?」

服の内ポケットに忍ばせている手帳を見せながら窓口に話しかける。対応の警察官はぴくんと反応してから結雨子の顔をじっと見た。結雨子には、その目は複雑な色に見えた。

「あの…」

異様な雰囲気を感じた結雨子は、声をかけようとして気付いた。対応した警官だけじゃない、結雨子の声が聞こえた範囲の全員が結雨子を見ていた。まるでマネキンのように首と目だけが結雨子の方を向いて静止していたのだ。

「っ!」

とっさに身を引く。囲まれる前に後ろを確認した結雨子の右手を窓口の警官が掴んだ。

「この!」

と竹刀袋ごと殴りかかろうとしたとき、対応した警官が真顔で涙を流していることに気付いた。あまり不気味さに一瞬すくむ。

「た…たすけ…」

そこまで言うと、警官は急に力が抜けたように机に突っ伏した。自由になった右手でExorを引っ張り出しながら周りを観察すると、どの警官も震えていることに気付いた。寒くて震えているというよりは、痙攣のような、動きたいのに動けない、といった動き方だ。そして皆一様に無表情だが、その裏側は泣いているように見える。

「どういうこと…?」

そう呟きながら警戒しつつ人の少ない方向へじりじりと下がっていく。すると突然

「うわあああああああ!!!!!」

と叫びながら立番の警官が警杖で殴り掛かってくる。型もなにもあったものではない、不良が鉄パイプを振り回すような、そんな動きだ。結雨子はこれを右によけ、すれ違いざまに脛を思いきり蹴り上げる。蹴られた警官は前に倒れこんで椅子にぶつかり、がんっという派手な音とともに動かなくなった。

「…!まさか!」

話には聞いたことがあった、精神汚染マインドハック型の穢者。その可能性を確かめるために警戒しつつ倒れた警官の帽子を足で払い、額を見る。

「そういうことね。」

やはりあった。薄く、細い一直線の縄の文様。疑念は確信となったが、わからないことがある。通常汚染範囲は自分を中心として半径40m程度の球状のはずだ。見る限り、北署の警察官全員が汚染されている。ということは、この警察署内にいる誰かが穢者本体だ。その誰かがわからない。を絶たねば、死ぬまで被害者は操られてしまう。Exorで斬れば汚染は解除されるが、被汚染者は当然負傷する。救うために殺しては、意味がない。気絶させるのが最適解だ。

「これは骨だね…。」

結雨子は基本的に人間同士の暴力沙汰は嫌いだ。さて、どこまで粘れるか。



「はぁ…はぁ…はっ!」

起動していないExorただのぼうで殴り続けて10人目、気絶したのは3人目のとき、すでに結雨子は息が上がっていた。汚染の為に動きが緩いとはいえ、鍛え上げられた警察官相手に、運動神経と技術だけでここまで戦えたのは十分すぎる善戦といえるだろう。

「何人いるのよ…!」

途中組み付かれたりもした。気絶寸前に足や腕をつかまれて、攻撃も何発か当たった。被害者をなぐりつける、嫌な気分を味わいながらも戦い続けたが、あまりに厳しい状況だった。また後ろから抱きつかれ、服を思いきり掴まれて引っ張られる。前からはさすまたを振りかぶった警官。


もうだめだ。


そんな気持ちになってExorを取り落とした瞬間、目の前にいた警官が思いきり蹴飛ばされた。同時に後ろの被汚染者は引きはがされた。

「大丈夫ですか!?」

後ろからスーツを被せてくれたのは宮本だった。引きはがされたとき、服も引っ張られて破けていたらしい。

「すみません!まさかあのままここに来るなんて思ってなくて…」

「な、なんでわかったの?」

宮本は前を見上げて

「鴇時雨さんが、教えてくれたんです。」

結雨子の目の前に立つ鴇時雨に視線を向ける。

「いやぁ、遅れて申し訳ないです。」

申し訳なさそうに頭を掻く鴇時雨。結雨子は未だいつもの平身低頭な鴇時雨と、目の前にいる、頭に思いきりフルスイングの飛び回し蹴りを放った男が同一人物に見えなかった。

「じゃあ宮本さん、椿さんを守っててください。椿さん、少し待っててくださいね。」

「と、鴇さん!この人たち精神汚染食らってる!だから殺さないで!」

酸欠になりかけで結雨子が叫ぶ。鴇時雨は小さく了解です、とだけ答え、振り返りざまに自分に組もうとした警官を裏拳で殴りつける。

 不思議な時間だった。まるででたらめな、鴇時雨の大振りの攻撃は面白いほど命中し、その全員が気絶していった。腹へのブロー、顎への裏拳、股間強打、みぞおちへの前蹴り。でたらめなフォームから放たれた攻撃の数々は、全て的確に命中していった。魔法か何かを見ているような、そんな気分だった。

 10分ほどだろうか、フロアには立っている被汚染者はいない。手の皮は擦り剝け、革靴の先も随分柔らかくなった鴇時雨が立っているだけだ。一人で40人相手に大立ち回りを演じた鴇時雨は振り返ってこう言った。

「さて、元凶を探しに行きましょうか。」


「とりあえず、おまわりさんの中にはいなそうでした。どこかに潜んでるのかもしれませんね」

「北署はもともとかなり慎重な体質ですし、そもそも潜り込むのは難しかった筈です。外部の修理業者などの可能性はあるかもしれませんが…。」

「ふんむ…、あまり時間はありませんから、あたりはつけて探りたいですね。椿さんはどう思われますか?」

「えっ…、それで、いいと、思い、ます…。」

「敬語じゃなくてもいいですよ。椿さんはどこがアヤシイと思いますか?」

「えっと…あの…」

結雨子は委縮しまくっていた。というかちょっと引いていた。血みどろのこぶしを意にも介さず、それまでと同じように、当たり前に結雨子に優しく問いかける鴇時雨に。

「りゅ、留置場?とか…」

フロアマップを見て、とりあえず言ってみた。考えなどあろうはずもない。宮本は聞いた瞬間ハッと顔を上げた。

「なるほど!人間体なら逮捕という形で自然に入り込めますし、動き回る必要もない…。納得ですね!」

「流石椿さんです!お手柄ですよ。では、早速行きましょうか。」

何となく言っただけなので、ちょっと褒められたことに引け目を感じて身をよじる。そんな様子を意に介さず、男二人は留置場に向けて歩き出した。

「それにしても、まさか北署全体が操られていたとは…、佐東が不憫でなりません。」

悔しさをにじませつつ宮本が言う。

「そういえばなんで佐東さんは汚染されなかったんでしょう?」

「先に気付いていろいろ探ってたのが、うまく逃げになってたのかも。」

と今回の事件を振り返っている間に留置場へ着いた。がらんとしていたが、一番奥の檻だけしまっていることに気付いた。

「あそこだ!」

三人は駆けだす。檻の前につき、奥に座っている男がいるのを確認した。

「あんたが、今回の件の原因?」

結雨子がExorを手に男に問いかける。ここまでくると思っていなかったのか、男は奥で体育座りのまま怯えるように壁に寄り添っていた。

「答えろっ!」

結雨子は檻を思いきり蹴飛ばす。ガシャンという音が、がらんとした留置場にこだまする。

「う、うるせえ!わりいかよ!ああそうだよ!おれがやったんだ!なんでてめえらそこにいるんだよ!俺の軍団はどうした!」

宮本が怪訝な表情をする。鴇時雨が答える。

「あなたがインプットされていたんでしょう?格闘技やらそういう物を身に着けていないあなたの思考の一部が。おかげで倒しやすかったですよ。しかも彼ら自身抵抗していたようでしたから、とても容易に倒せました。」

ボロボロの手を見せながらそう言うと、穢者は壁にもたれながら立ち上がった。

「ふ、ふざけんなよ!警察だぞ!銃はうるさいから使えなかったけど、警察だぞ!つええはずだろ!クソ!使えねえカスどもだ!殺しゃあよかった!あああ!」

穢者が子供のように地団駄を踏む。

「いい加減に顔を見せろ!」

結雨子が檻を開けて穢者を廊下に引っ張り出す。その穢者の顔を見て、宮本が呟く。


「佐東…?」

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