捜索
「はぁ…」
結雨子は今、指定されたビルの下で鴇時雨を待っていた。嘆書番号240050種別『人喰』の調査に当たる為だ。
―昨晩
「この人喰はうちに『登録』してなくて、データが無いみたいですね。まぁ登録している穢者が事件を起こすなんて思えませんけども…。」
登録とは、「人間に危害を与える気もないが、呪詛による衝動が抑えられないかもしれないので、祓穢組に個人情報を渡し、GPSを付ける代わりに生活のサポートをしてもらう」という制度で、推計的には日本の怪物(祓穢組では『穢者』と呼ぶ)の3割が利用している。実際、登録した穢者による事件は十年に一度くらいしかないが、結雨子はこの制度に納得していない。
「登録してたって変わらないと思います。で、とりあえずわかっているのは出没場所だけですか?」
「敬語でなくともいいですよ。人間体もわかっていないということは、夜の捜索になりそうですね。」
あまりに情報のない嘆書を見ながら鴇時雨が言う。
「…一般人が殺されないとわからないなんて…」
結雨子の眉間にしわが寄る。それには少し、鴇時雨への非難も含まれていた。
「とりあえず昼から聞き込みしますか、何かわかるかもしれませんし。結雨子さん、明日は空いてますか?」
「特に用事は無いかな。」
「なら、明日私服でこの場所まで来てください。12時までには着きますから。」
と、鴇時雨は名刺を差し出した。そこに書かれていた会社は祓穢組の息のかかった企業で、常盤十郎という名前が書かれていた。
「わかった。12時ね。」
そして今に至る。時間はもうすぐ13時だ。顔にこそ出ていないが、スマホを握る力がどんどん強くなっていく。もう指は白い。
「あ!椿さ~ん!」
ビルから降りてきた鴇時雨はスーツ姿だった。
「…どーも」
「いや、申し訳ないです!鍵を探してたらこんな時間に…」
といいつつ胸ポケットを触る。その瞬間鴇時雨から表情が消えた。
「…お、落としちゃったみた「待ってます。」
言い切る前に結雨子の視線はスマホに戻り、平板な声音でそう言い放った。
「さ、探してきます~!!」
「本当に遅れて申し訳ないです…」
助手席に座る結雨子にずっと謝っている。姿勢は変わらないはずだが、小さく見える。
「それはもういいけどさ、会社抜け出してきて大丈夫なの?」
内心もういいわけないが、話題を提供しないと延々二回り近く年の違う男に謝られ続けるので、気になったことを聞いてみた。
「いやぁ…お恥ずかしい話、いわゆる窓際でして。部長に一声かければいつでも『営業』に行けてしまうんです。」
結雨子は少し黙って、ふ~ん、とだけ返し、別の話題を振った。
「家族は…いるの?」
「ええ。同い年の妻と今年13歳の娘がいます。最近はちょっと反抗期に入ったようで、たまに『パパはどいて!』なんて言われてしまいますよ。」
はは、と小さく笑う。結雨子もほほ笑んで返した。
「娘さん、かわいい?」
「そりゃあもう。『親ばか』なんてよく言われますが、親ばかにならない親なんていませんよ。娘が小学校の時にはね…」
と楽しそうに語る。結雨子はうん、とかいいね、だとかしっかり聞きながら短く相槌を打つ。
「…椿さんは優しいですね。」
唐突に言われ、結雨子はへっ?と間の抜けた声を上げた。
「な、なんで?」
「私の居場所が無いんじゃないかって、心配してくださったんでしょう?」
「…そんなことない。」
「大きな被害を出した、私のような男を気遣えるのは、椿さんが優しいからですよ。」
結雨子は窓の外に顔を向けた。
「凩さんからあなたの話はよく聞きます。この前の現場でも活躍しましたし、あなたはきっと、私と違っていい祓穢士になれますよ。」
むずがゆくなった結雨子は褒め返す。
「鴇さんだって、見たことないけど現役の時はすごかったんでしょ?」
「…私は、大事なものが欠けてますから。」
「でもいままであの杷田地区で頑張ってたじゃん。」
「私は管理能力も低いですが、そうではなくて。」
無表情で続ける。
「人として大事なものが欠けてるんですよ」
「それってどう…」
「つきましたよ。」
気が付いたらパーキングに到着していた。
「私は東の方から聞きこみますから、椿さんは西からでいきましょう。」
会話を断つようにそう提案され、結雨子は
「わかった…」
と同意するしかなかった。
―3時間後
「何か手がかりは見つかりました?」
結雨子は首を振った。それを見て鴇時雨もため息をつく。よほどうまくやっているらしく、どの人に聞いても「この辺り物騒だから気を付けて」としか言われなかった。
「困りましたね…。こんなに何にも情報が無いとは思いませんでした。」
「こんだけ何もないってことは、たぶん離れたところに拠点があるんじゃないかな。それで、もともと治安のよくないここまで出張ってきてるんだと思う。」
この河辺区は、過去に反社会勢力の管理していた場所であり、警察の介入によって改善された現在でも、あまり治安がいいとは言えなかった。
「そうかもしれません。もう少し調査したいところですが、時間が…」
時計を見ると四時近くになっていた。鴇時雨が退社時間の5時に帰らなければならないことを考えると、これ以上の調査は厳しい時間だ。
「私、もう少し調べてみる。鴇さんは帰った方がいいし。」
そういうと、鴇時雨は申し訳なさそうに両手を掲げた。
「申し訳ないですよ!それに、今回の奴は頭の切れる奴です。危ないですよ!」
「大丈夫だから。ほら早く帰らないと、首切られちゃうかもよ?」
それを言われると鴇時雨は弱い。
「…わかりました。でも!もし何かわかったら、私と地区局に連絡をください!絶対ですよ!」
そういうと渋々車に戻り、ゆっくりと走り出した。
結雨子が鴇時雨を気遣ったのは本心からだが、正直なところ、それよりも早く捕まえたいという気持ちが強かった。彼女からすれば相手は憎んでも憎み切れない邪悪であり、今回の件は更に卑劣なやり口にはらわたが煮えくり返っていた。一刻も早く
捕まえなければ、祓わなければ、倒さなければ、殺さなければ。
「…」
スマホで嘆書のデータを見ると、穢者による被害は河辺区全体にわたっていた。しかし、日付を見ると、ここ数日は北部でしか事件を起こしていないことが分かった。
「警察、行ってみよう。」
―西河辺警察署―
平日だが人が多く、時折騒いで警察に押さえつけられている人もいた。
「すみません」
「はい、どうされました?」
対応した警察官は少し疲れているように見えた。普段から仕事が多いのもあるだろうが、穢者の起こした事件も増えたからだろう。
「私、こういう者なんですけど。」
とあまり口慣れない言い回しで出したのは『特殊事件対策部』と書かれた手帳だった。祓穢組が警察に協力を請うときに使う警察手帳のようなものだ。
「少々お待ちください。」
そういって内線で関係者を呼び出してくれた。数分待っていると男が一人歩いてきた。
「お待たせしました!宮本です。こちらへ」
そういって署の小さな『特事部』と書かれた部屋へ案内された。資料らしきファイルや段ボールが置かれた、少し埃っぽい部屋だ。
「お疲れ様です。えっと…」
「…麒麟椿です。」
「あぁ!あの!いやあ埃っぽい部屋で申し訳ない!」
相変わらず恥ずかしい公名を口にしたうえ、褒められて少し恥ずかしくなった。
「もしかして、北の管轄の、例の事件ですか?」
「そう、その事件について、何か知ってることないかなって。」
「実はうちでもひっそり探ってるんです。」
意外な回答だった。北の管轄のはずなのに?
「河辺北の管轄じゃないの?」
「そうです。そうなんですが…。」
宮本は視線を外し、頭をかいてからふうと一息ついて話し始めた。
「実は北の友人から頼まれまして、北署じゃ何故か最近俺の外出が規制されてるようだから、お前も内密に調査してくれないかって。私も特事以外の仕事もありますから断ったんですが、すごい真剣なまなざしで言うもんだから引き受けちゃって。」
「それで、一か月くらい私一人で地道に探ってみたものの、怪しいところは一点しか見つからずって感じでした。」
「本当?なにかわかったの!?」
結雨子は少し前のめりになって聞いた。
「奴は雨の降る日の前日夜にしか事件を起こさないようでした。これが私の調査結果です。」
結雨子は動悸が速くなり、大きな目が少し開いた。こんなに早くヒントがつかめるなんて。それとは対照的に宮本の顔は少し暗くなった。
「ありがとう!すぐ連絡する。」
「椿さん、少しいいですか?」
立ち上がってスマホを取り出した結雨子は宮本の顔を見た。何かを背負っているような、そんな表情だった。
「さっきの…私に調査を頼んだ男、佐東というんですが…実は、俺と話した翌週には離島の交番勤務になったんです。はじめはメールでやり取りしていました。けど、それも途絶えた。鬱になったんだそうです。島民は優しくしていてくれたそうですが、北署のこと、自分が手放さざるをえなかった事件のことが気になるも、帰れない。そんな環境が彼にとって駄目だったんでしょう。」
結雨子は黙って聞いていた。
「佐東は、いままで特事として活躍していましたし、彼一人で特殊犯人の捕縛までこぎつけたこともあります。そんな男が突然人口10人の離島で交番勤務…おかしいでしょう?」
泣きそうな、笑いそうな、怒りだしそうな、複雑な声音で宮本が続ける。
「俺と会った日だって、俺の部屋だったんですよ?あいつは普段北署の連中と仲良くしていたし、へまをしたわけでもない。なら今回の左遷はあいつが俺に『北署の不審な動きを言ったから』!それしか原因がない!あいつは盗聴されてたんですよ!そうとしか考えられない!!」
小さな部屋に男の声が反響する。
「俺もきっと、ここにいる時間は長くないでしょう。北署には気を付けて、あいつの…佐東の胸のつかえを、どうか晴らしてやってください、椿さん。」
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