三十五話 こころ

 あてどもなく、ただ逃げるように足を進めていたティムは、ふと気づくとコントロールルームにまで戻ってきてしまっていた。

 目前には横倒しになった端末やヒビの入った床。先刻ガレクシャスへ立ち向かった時にできた痕跡だった。

 結果は惨敗。所詮かなう相手ではなかった。フウカを守るため、などと威勢を振るったものの、それで実力以上の何かが出せるでもない。

 自分はロボットだ。フウカとは違う。何かのきっかけで成長できるわけではない。

 心のありようからして違うのだ。


(こころ……こころって何だろう)


 湧き出でる情念を指すのか。衝動を意思で律する事か。

 命令に束縛されず、自分でものを考え、決定できる事をいうのだろうか。

 それを自我と呼ぶなら、自分達はどこから来て、古い人との違いはどこにあるのか。

 ティムのみならず誰もが目覚めてから一度ならず問い、答えの得られぬ事柄。

 痛みも知らぬ、命も知らぬはずの作り物達に芽生えし、正逆のそれ。

 使われるだけだった存在にとって、何にも依らず決断しなければならないというのは、今思えばひどく難儀で、残酷な宿命に思えてならない。


(だから……無理なんだ。ぼくみたいな量産型には、荷が重すぎる……)


 最初から長老さんについて来てもらっていれば。カインがいてくれれば。ガレクシャスと遭遇した時、取り合わずに逃げていれば。

 そのどれもが後ろ向き、通り過ぎた「もしも」ばかりで、余計陰鬱とした気分になる。

 やはり自分なんかに、できる事など――。


『そこに誰か……いるのかい?』


 唐突に声をかけられ、ティムはぎょっとしてあたりを見回す。

 正面奥には、点灯したままのスクリーン。それも、まだ極彩色の光が宿ったままだ。

 ならば、アダムからではない。といって、女性の声でもない。


『なんとなく、分かるんだ。気配っていうのかな……もし違ったら、すごく間抜けな独り言を喋ってる事になっちゃうけど』


 温厚そうな、男の声。自然とティムは踏み出し、スクリーンを食い入るように見つめていた。


『ぼくはヤーヴァ。フウカの父親だよ。実は今、キキから携帯を借りて話させてもらってるんだ。宇宙港まで、車で移動しながらね……』


 宇宙港。という事は、まさか。


『なるべく急いでアーヴェルへ到着できると思うよ。もちろんフウカを、迎えにね』


 そうか、と思う。キキもヤーヴァも、フウカを助けるために、アーヴェルまで来るのだ。

 本当にたどり着けるか、確証もないのに。死んだと諦めていたはずの娘からの電話一つで、はるばる宇宙を駆けてやって来ようとしている。


 それに比べて、自分と来たら――。


『……そこにいる君は、ずっとフウカといてくれたんだね』


 思いがけない言葉が飛び出し、うなだれかけたティムは驚きに目線を跳ね上げる。


『それくらい分かるさ。テラフォーミングセンターは海に囲まれている。ぼく達が脱出した後は、ひどい大気汚染や水質汚染で、まさに死の島と化していたはずだ。それを渡るには、きっと一筋縄では行かなかったはず……それでも君は、ここにいる。フウカと一緒に、危険を犯して来てくれた』


 違う、とティムは否定したかった。自分は何もできなかった。今だって、できる事はない。涙は出ないのに、無性に泣きたいような心地だった。


『フウカの側にいてくれて、ありがとう。何もできないぼく達の代わりに、フウカを守ってくれて、ありがとう』


 やめて欲しい。ティムは彼らとは違う。本当に何もできないのだから。力はないし、智恵も足りない。それでどうして、フウカを守っているなどとのたまえるのか。


『そして……恥を忍んで頼みたい』


 ヤーヴァの声色が引き締まり、真剣な響きが籠もる。


『どうか、これからも娘を守って欲しい。何より愛する、たった一つの宝物なんだ』


 ティムは両手で端末を叩いていた。


 いっそ、この通信を切断できれば、どれほど良かったか。

 でも、その一方で。

 フウカを守るためには我慢しよう、深く閉じ込めようとしていた記憶領域の中で、鮮烈なまでの思い出が駆け巡る。


 ――わたし、フウカ

 ――フウカ……?

 ――うん、フウカ

 ――そうなんだ……よ、よろしくね

 ――よろしくね……


 胸に満ちる、何にも代え難い暖かな気持ち。


 ――仕事っていうのは、生き方なんだ。何を選び決断するか――その道を決めるための。……だからね、約束する

 ――この先に何があっても、ぼくは、君を守るよ


 能力を超えたおこがましさと、それでも決して消せない熱き決意。


 ――神様の星に、行ってみない?

 ――神様の星に、私達が……?


 美しい星々の見守る下で、フウカと交わした約束。

 一つ、二つ、三つ。もっともっと。そしてこれからも。

 道しるべを見失い、くすぶっていたティムの動力機関に、確かな火が灯る。

 叶えなければいけない。フウカと、みんなと、時間をかけて少しずつ紡いで来たものを、さらに先へと、歩んで往くために。

 だって、後悔しても、嘆いても。


『ぼくがこうして託せるのは、こうしてこの場に立つ、強い思いを備えた君にだけなんだ。だから頼む。ぼく達の分も、フウカを……!』


 なお前を向いて、歩み出せるのは、きっと。


「……分かったよ。あなた達の……みんなの思いを抱えて、やれるだけやってみる……!」


 過去でも現在でもない。今を懸命に築き上げて来た、ティムにしかできない事なのだ――。


「ぼくはフウカと、『明日』の空が見たいから!」


 答えた時には、スクリーンの光は消え、センター全体の電源もオフになっていた。

 ティムは走り出す。もう迷いはなかった。フウカを助ける。その一心でセンターを抜け、クルーザーの停めてある桟橋へ向かう。

 折しも、クルーザーはエンジンをかけ、海原へ向けて出発する所だった。

 ティムは全力疾走しながら、届くように精一杯の声を張る。


「――待って!」


 足場の淵から思い切って幅跳びし、今しも離れていかんばかりの船の端へ、すんでのところで着地する。

 それでも足を踏み違えてぶっ倒れ、情けなくばたばたと操舵室へ転がり込む。

 ワガハイは無言で操舵桿を握っていた。ティムはちょっと決まり悪そうに声をかける。


「ごめん、遅れた……」

「遅いぞ、まったく……面倒くさい奴だ」


 ワガハイは呆れ返ったみたいにため息をついてから、ティムを一瞥して。


「だが、まぁ……逃げずに戻って来た事は、褒めてやる」

「えへへ……根性あるでしょ?」


 抜かせ、ともう一度嘆息したワガハイは、切り替えるように今後について尋ねる。


「それでどうする? フウカが連れて行かれたのは恐らくパワーコアのある工場地帯だ。しかし、正面突破するには地上も地下も警戒が厳重すぎる」

「長老さん達と合流するのは?」

「風末があれば連絡は取れたが、あいにくフウカごと誘拐されたからな……現状どこにいるかは、皆目見当も付かん」


 ティムは腕組みをして考える。ワガハイがこうしてティムにまで意見を求めるという事は、相当何も手がかりがない、という状況に違いない。

 切り口を変えてみよう。どうせ精密で、正確さを要するような作戦は不得手だ。だったらティムらしい、ちょっとくらい馬鹿げた考えでも、この際検討に値するかも知れない。


「船……船を横付けしてみる、っていうのは?」

「お前な……エンシェント・イヴ号は動かんし、このクルーザーで工場地帯まで飛んでいけるわけないだろうが」

「そうだよ、飛んで行けばいいんだよ……!」


 ティムは腕組みをやめ、ワガハイの目をまっすぐ見つめた。


「船は、もう一つある。毎日毎日、みんなで修理していた――」


 そこまで言えば、ワガハイにもティムが何の事を指しているのか、伝わったらしく。


「まさか……フウカの乗って来た宇宙船か!?」


 裏返った声を上げたので、ティムはしてやったりと頷いた。


「あの船なら、まだ宇宙まで行けるほど直ってなくても、低空飛行くらいはできるでしょ? それなら……!」

「ティム……お前」


 ワガハイは心底から驚きをあらわにしたみたいに、しばし穴が空くほどティムを見返して来る。

 沈黙が続いたので、ティムは少し不安になった。

 できるわけないだろうと呆れられたり、てっきり一蹴されるかと思ったのである。

 けれど。


「……悪くない考えだ」


 表情のないロボットなのに、にやり、と確かにワガハイは笑ったように、ティムには見えていた。



「宇宙港へ出るには、この地下鉄を抜けるのが近い……なんとか駆け抜けるぞ!」

「うん!」


 地下鉄道内を進むティムとワガハイはしかし、道程半ばにて足止めを受けていた。

 カーブした道の行く手。小さな照明の下に、ガレクシャスの手下達が集まっている。どうやら地上だけでなく、敵の侵入に際してこちらにも警戒の手が割かれていたらしい。

 少なく見積もっても十人以上。このまま行けば、確実に見つかってしまうだろう。


(けど……無茶でも、やらなきゃいけないんだ……!)


 迂回するだけの時間的余裕はない。ならば強行突破するのみ、と腹を決めた時。


「チチチ……」


 ティムの真横を、プロペラを回した丸い小型ロボットが、ふよふよと通り過ぎて行く。


「ち、チェッキー……どうしてここに――あ、ま、待って、そっちはっ」


 ティムの制止もむなしく、チェッキーはあっという間に発見されてしまった。


「なんだ、こいつ? おい、ここから先は立ち入り禁止だぞ」

「見た所集落の奴か? とっとと消えねぇと、痛い目見るぜ」


 チェッキーは案の定取り囲まれ、ドスの利いた声音で恫喝を受けてしまっていたが。


「チチッ……チチチ……――チチチチチチシャーッ!」


 瞬間、身体が割れて大量の溝が生まれ、なんとその奥から、これまた数え切れない程の小型ミサイルが、一斉に発射されたのである!


「のぅお、おわあぁわぁーっ!」

「や、やべぇ! 逃げろ!」


 縦横無尽に飛び回るミサイルから、尻尾を巻いて逃げ散る手下達。

 唖然と見ていると、後ろの方からは続々と足音が近づいて来る。

 現れたのは、ガレクシャス一味の襲撃によりちりぢりになっていた、集落の仲間達。

 その先陣は、長老さんとダララロが努めていた。


「みんな……! 来てくれたんだ!」

「当たり前だロ! これだけ仲間を痛めつけられて、黙って泣き寝入りなんてできないだロ!」

「ワガハイの連絡があったから間に合ったのじゃ。何やらフウカがやばいらしいのう」


 それだけではなく、宇宙船を修理するため各地の村から集まっていた住民まで参加しており、皆一様に燃える闘志を宿していた。


「イエス! バトルハウィークデ、ケンカハヘイトダケド、フウカヲレスキューシタイネ!」


 あふれんばかりの士気でもって、果敢に手下達へと挑みかかっていく。


「チチッ、チチチチチチッ!」

「え……先に行けって? 美味しい所は譲ってやるからって――う、うん!」


 チェッキーに促され、ティムは申し訳なくも頼もしく思いながら、皆を信じて地下道をひた走る。

 ほどなく、左右二股へ分かれた分岐点に差し掛かった。マップでは右側の道が最短ルートと表示されており、ティムとワガハイはその案内に従って進もうとするが。


「うわっ……な、なに?」


 唐突に左側のトンネルから、突き刺すような光がティムを照らしだして来る。

 その光はみるみる大きくなり、次いでうねりのような音までが切迫して来て。


「い、いかん……電車だ!」


 ガレクシャスの手下が操作しているのか、一向にスピードが衰える風はない。

 ならばと右側の道へ逃げ込もうとするも一歩遅く、視界いっぱいに電車が迫り――。

 直後、崩落音とともに真上の天井から突き出して来た巨大な機械の手が、真っ向から車体を掴んで押しとどめ、二人は寸前で難を逃れたのである。


「こ、これって……?」


 砂や石が崩れて来る天井を見上げると、細かく開いた穴の部分から、見慣れた大きな顔が覗き込んでいる。


「シュシ……!」

「下から、声が響いてたから、急いで来た。間に合ったみたいで、良かった」


 シュシは腕一本で電車の進行を抑えつけながら、普段通りの気さくさで話しかけて来る。


「フウカの一大事と、聞いた。ここは任せて、行け」

「……うん! ありがとう!」


 シュシに見送られる形で、二人は無事に右側の道へと駆け込んでいく。


「もう少しだ……次の駅を抜けた所に……!」


 だが、その駅構内にもガレクシャスの手下達がたむろしており、ティム達は足を止める事を強いられてしまう。


『――ガレクシャスの手下ども! 聞こえてるか!? お前らとっとと目を覚ましな!』


 その時、構内に設置されているスピーカーから、威勢の良い声が響き渡ってきた。


『ガレクシャスの野郎はパワーコアっつーやべぇブツを手に入れようとしてる! そいつが手に入ったらお前らも用なしなんだ!』

「ラックだ……ラックが放送をかけてるんだ……!」

『ガレクシャスが恃みにしてるのは己の力一つだけだ! 他には何もねぇ! お前らも、お前らの友達も、全員あいつに食われちまうぞ! それでもいいのかッ!?』


 すると構内に立っていた手下達は、どこか迷うように顔を見合わせ始める。


「お、おい……どう思う?」

「……確かに一理ある。ニホン村を支配するとか言っておいて、肝心の本人はろくに戦いにも出ず、指揮も執らずに行方をくらましちまってるからな」

「どうも変だと思ってたんだ……俺達、いいように利用されてるのか……?」


 どうやらガレクシャスと手下達の間を結びつけているのは友情や忠誠ではなく、利害と恐怖によるものだけのようで、ラックが揺さぶりをかける度に、動揺が広がっていく。


『ガレクシャスは俺達の仲間をさらった! 人質を取るなんて卑怯な方法を採っておいて何が力だ、笑わせるぜ! お前らも意地があるなら、正々堂々かかって来やがれ!』

「ひ、人質なんて聞いてねぇよ……そうか、それで集落の奴ら、あれだけムキになって」

「おい! 今入った情報によると、すぐ後ろから敵が押し寄せて来るそうだ……!」

「ありえねぇ!? この戦力差だぞ! ぜ、前線の奴らはどうした!」


 誤情報が錯綜しているのか、通信機を握って右往左往しながら走り去る手下達。

 遠くに離れていても、仲間達が手助けしてくれている。

 胸に心強いものを抱きつつ、ティムとワガハイは確かな足取りで構内を突破していく。

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