三十四話 御業

 その頃フウカは、ガレクシャスと数人の手下に取り囲まれるようにして、暗い地下道を歩かされていた。

 意識を取り戻した時には後ろ手に手錠を嵌められ、バックパックまで取り上げられては、逃走を試みようにも打つ手はない。

 限りなく詰みに近い状況だが、だからといって諦めるわけにはいかなかった。

 こうしている間も多くの仲間達が苦しんでいる。早く戻らなければ――。


「どうして……どうしてこんな事をするの?」


 脱出の糸口を見出すべく、次に起こした行動は、ガレクシャスとの対話だった。


「奴らに対抗するためだ」

「奴ら、って……まさか……!」

「俺もエデンの事は知っていた……俺達を作った、『人間』達がどこにいるのかはな」

「なら……なら、どうして……! エデンは敵じゃないのに!」

「本当にそうか?」


 先を行くガレクシャスは振り向きもせず、されど逡巡する事なく答えて来る。


「元を辿れば、連中こそが諸悪の根源だった。勝手な都合でどこまでもロボットを振り回す。それどころか、崩壊する惑星へ災厄ごと置き去りにしていった」

「それは……ロボットが暴走していたから……」

「いや――俺の推量が正しければ、暴走ロボットは無理にでもアーヴェルから連れ出せば、正常に戻る可能性はあった」

「そう、なの……?」

「だが、奴らは我が身可愛さにそれをしなかった。奴らが来ればまた俺達は隷属させられる。おのずと関係性は限定されるだろう――支配するかされるかだけのな」

「そんな……みんなで話し合えばきっといい方法が見つかるよ! エデンとだって一度は通信ができたんだし、うまく話さえできれば……」

「くだらんな。奴らが耳など貸すものか。問答無用で、全てを制圧するぞ。俺達の人格や権利などものの数に入れず、邪魔者は排除する。最後の一人までも余さずな……」

「なんでそこまで、頭から決めつけて……っ」


 フウカの言葉を一蹴したガレクシャスはしかし、質問に答えるつもりはないとばかりに前方へ向き直る。


「それにまだ、不十分だ。例えアーヴェルにいる全員を食った所で、奴らには及ばん。見ろ」


 示された場所には、トンネルのようにくり抜かれた横穴があり、その奥には上階へ上がる梯子が設置されている。


「手に入れなければならない力がこの先にある。そのためにお前を連れて来た」

「この先って……工場地帯……?」


 頭の中にある地図と現在地を参照しつつ答えると、ガレクシャスは頷いた。


「俺がせっせと力を蓄えているのは、『あれ』の奪取をつつがなく執り行うためでもある」

「『あれ』……?」

「パワーコアだ」


 あっさりと告げたガレクシャスに、フウカは凍り付いた。

 パワーコア。映像で両親が語っていた、未知のエネルギー体。


 ――それが、この奥に?


「三年前のあの日から、俺の歯車は回り出した――今日のためだけに、勢力を増やし、戦いに備え、準備を進めて来たのだ」

「まさか……まさかパワーコアを手に入れて、エデンと戦う気なの……っ?」

「そうだ」

「そんなの間違ってるよ! お母さん達はアーヴェルの崩壊を止めようとしていた! なのに……」

「お前は、パワーコアの性質に気がついているか?」


 パワーコアの性質。そう問われて、フウカは抗弁するよりも、親から継いだ研究者としての血ゆえか、海面へ沈むように思考が答えを探し始めてしまう。

 パワーコアに関して、分かっている事は非常に少ない。ニホン村の工場地帯という、すぐ近くにある場所ながら、フウカでさえ、直接その目で見た事はない。

 未知のエネルギー。その恩恵を求めて、両親はアーヴェルへ来た。

 けれどもパワーコアが実際にもたらしたのは新たな技術革命や発展への標ではなく、星を崩壊させた原因ではないかとの疑惑のみだった。

 そしてアーヴェルとパワーコアは永遠に失われ、キキとヤーヴァは娘を失った――それがエデン側の視点で起きた事だ。


(だったら、今ここにいる私は……パワーコアって、何なの……?)


「パワーコアは人間へ接触し、何らかの作用を及ぼす。少なくとも俺にはそう見えた……キキ・リューピンはあの瞬間、パワーコアの力を得ていたのだ」


 フウカは度肝を抜かれ、ガレクシャスの背中を見つめた。


「お、お母さんが……!?」

「アーヴェル崩壊は、全てキキ・リューピンがパワーコアを用いて引き起こした。そう考えるのが順当だろう」


 嘘、とフウカは首を左右に振り、ガレクシャスの仮説を否定する。


「お母さんはパワーコアなんて使ってない……! 自分の手でアーヴェルを滅ぼすなんて、そんな事あるわけないよ!」

「滅ぼそうとまでは思わなくとも、それに近い出来事が起きて欲しい……そんな風に奴は願っていたはずだ。事実、崩壊を防ごうと奔走する奴の姿は、随分と活気に満ちているようだった」

「なら、なら……! ――そんな、事って……!」


 フウカは力なく頭を振る。母がアーヴェルを破壊した。信じられない。

 だってさっき通話した時も、それを隠しているようには思えなかった。


「恐らく、無意識にだ。無意識にパワーコアを行使し、そのせいで惑星を包む規模の『力場』が発生し……アーヴェルは破滅した。……もう察しているだろう?」


 ガレクシャスは不意に振り返り、頭三つ分は高い場所から、フウカを見下ろしてくる。


「人間の感情に作用し、何らかの現象――『御業』を引き起こす。それがパワーコアの性質だ」

「しょ、証拠は何もないよ……全部あなたの思い込みだけじゃない……!」

「さっきから他人事のように言っているが、お前とて無関係な話ではない」

「え……っ?」

「考えてもみろ。パワーコアが接触したのは、キキ・リューピン一人ではない」

(お母さん、だけじゃない……?)


 いや、そんなはずはない。あの時、母はすぐに父によって助けられていた。

 光が父にまで移ったようには見えなかった。だから――。


「キキ・リューピンは身ごもっていた。そして、お前の身に起きる不可解な出来事の数々……それらを結びつければ、答えは火を見るより明らかだ」


 フウカは、寒気が胸を覆うのを感じていた。

 まさか、そんな馬鹿な。あの光。よく似ている。でも、そんなわけはないと、直視しないよう理性が押しとどめていた。

 けれど、似ているのだ。そのものといっていい。

 パワーコアの放つ極彩色の輝きと――フウカの感情が高まった時にあふれ出る、淡い光の色が。


「ぅ、ああぁ……そ、そんな……っ」

「キキ・リューピンからフウカ・リューピンへ。伝染したのか移動したのか。ともかくあの時点で、パワーコアが宿ったのは二人だった。お前は三年の間、自分でも知らぬ内に、パワーコアの力を幾度も発動させていたのだ」


 ぐら、と意識が傾ぐ。まぶたは開けているのに、視野が眩んだように暗くなる。


 否定したいのに、肝心の言葉が出てこない。今度は感情よりも理性が、冷徹なまでにガレクシャスの語る説を、肯定してしまっている。

 あの、光。奇跡とも、魔法とも呼ぶべき何か。当時はいつも無我夢中だったせいで記憶はあやふやだが、思い返せばそれらはいつも、フウカが何かに必死になったり、感情がひどく昂ぶった時にだけ発生していた気がする。

 この身に眠る、得体の知れない力。同じだ。条件は当てはまっている。ならば、自分は。

 キキは無意識に、より充足した生活を求め、パワーコアの御業を発露させていた。

 そのせいでアーヴェルは崩壊――違う、崩壊したように見えた。

 なぜならキキが本質的に願っていたのは、日々がいつまでも続く事。

 忙しくも楽しい時間が――『現在』が続く事。

 だからパワーコアは、その思いを汲み取り、今をずっと続けるために、アーヴェルを別の次元へ隔離した。

 エデンからは決して観測、干渉できず、また時間の流れすら異なる異空間へ、星ごと『穴』で呑み込んだのだ。

 けれど、その前にキキ達はアーヴェルを脱出してしまった。だから彼女達の目には、アーヴェルは消滅したように見えて。

 後には、荒廃しきった惑星だけが残された。


(私が一人だけ取り残された理由は……?)


 では、フウカはどうだ。フウカはただ一人、両親達よりも先に、脱出艇で宇宙へ出た。

 あの時、自分は何を思っていたのだろう。記憶がぼやけて、思い出せない。


(でも、きっと……お父さんとお母さんから離れたくない、って、思ってたはず……)


 離れたくない。あの楽しかった生活に戻りたい。

 『過去』へ帰りたい――究極的には、そんな気持ちで胸がいっぱいだったはず。

 だから、行けなかった。それどころか、本当に戻ってしまった。

 フウカを乗せた船は、自動操縦でエデンへ向かおうとしたけれど、フウカの発動した御業によって、キキに隔離された異次元のぎりぎり内側にとどまった。

 そのうちに燃料も尽き、アーヴェルへたった一人だけ、舞い戻ってしまった。

 ――筋は通っている。


「力が必要だ」


 再び歩き出しながら、ガレクシャスは言った。


「パワーコアが感情に反応するのなら、話は早い。感情とは心が引き出す。心を持つ者になら、あれは接触してくる」

(心……心って、なに……?)


 もう分からない。ただ、パワーコアのもたらす御業は、窮地に追い込まれたり、命のかかるような場面でなければ、発動しないようだが――。


「そ、それなら……なおさら危険だよ……! パワーコアが反応するのは感情だけで、意思そのものを汲んでくれるとは限らない」


 身をもって何度も味わった。その多くはフウカのためになる事だったけれど、母のケースのように、取り返しの付かない事態がやってくる可能性だってあるのだ。


「仮に力を手に入れたって、何が起きるか……!」


 ガレクシャスは卒然とフウカの隣の壁へ手を突き、逃がさないとでも言うように威圧を込めて見据えてくる。


「俺の見立てが正しければ……お前は知っているはずだ」

「な、なにを……?」

「パワーコアを封じ込めているシェルター……その防壁を破壊するには俺でも骨が折れる。だが、キキ・リューピンは狡猾な女だからな――自分の子供にパスワードを預けるくらい平然とやってのけるはずだ」


 知らないとは言わせんぞ、と重ねて言いつのるガレクシャスに、フウカは呼気を詰めながら瞳を震わせた。


(パスワード……十一桁……数字……)


 ――父と母が渡してくれた、ロケット。その中身。写真。


 ――そしてずっと謎めいていた、不規則な数字の羅列。


 ……十一桁の、パスワード……!


「言わなければ――お前の仲間がどうなっても知らんぞ」

「脅迫、する気……!?」

「パワーコアを手に入れるためなら手段は選ばん」


 怒りをもって睨め付けるが、ガレクシャスは動じず、むしろ一層の気迫を噴出させて。


「そうだな……いつもお前にくっついているあの――ティムだとか名乗っていたな――奴をひねり潰すくらい、俺にとってはたやすい事だ」


 ごくり、と喉が鳴る。

 その名前が出た途端、どうガレクシャスの詰問を躱すべきか考えを巡らせていた頭は、一切合切闇の彼方へ吹き飛んだ。

 パワーコアを渡すという選択が、果たしていかなる事態につながるのか。

 それを正確に予測するのは難しいが、エデンへの害意に満ちているガレクシャスが用いれば、きっと良くない方向へ転がり落ちていくだろう事だけは理解できる。

 喉元まで出かかっているパスワードの羅列が、さながら地獄の釜を開く呪文のように、総身をおののかせる業火の如く焼き付いて感じられるのだから。


 でも。


(ティムがいなくなる……嫌……それだけは……っ!)

「言え。それで何もかも終わる」


 フウカに突きつけられた選択肢は――もう、ないも同然だった。

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